王都
アメリアは王都で1番人気の菓子店の前にいた。
王都に到着して早5日。やはり宮廷魔術師は忙しいらしく、返事は一向に届かない。昨日まではクレアと共に屋敷で過ごしていたものの、これは長期戦ねと笑いあい、王都を楽しむことにした。
この菓子店には、何でも冬季限定の菓子があるらしい。
執事から情報を得たアメリアは、早速足を運ぶことにした。春から夏にかけてのみ王都に滞在するアメリアには、縁のなかったものだ。それはアメリアに仕えるリタも同じで、朝からそわそわと浮足立っている。
店内の人の多さに慄いたものの、隣で目を輝かせるリタが微笑ましく、「またにしましょう」とは言えなかった。
その菓子は雪を模しているというコロコロとしたクッキーだった。見た目が可愛らしく、若い女性に人気があるのも頷ける。
それ以外にも、ショーケースにはお洒落な菓子が並んでいる。散々悩んで数種類に絞ると、リタのためにと多めに購入し、人混みから抜け出した。
本当はこの後、街を散策してから帰る予定だった。しかし、袋から漂う甘い香りの誘惑に、どうにも抗えない。早く帰ってお茶にしようと、近くに止めていた馬車へと向かうことにした。
突然、背後の広場から女性の甲高い叫び声が聞こえた。何事かと振り返ると、リタがアメリアを庇う様に立ちふさがっている。
背中越しに覗き込むようにして、騒ぎの中心に目を向ける。この場に不釣り合いな3人の男女が噴水の前にいるのが見えた。
怖がる女性を庇う様に、男性が立っている。その視線の先では、短い杖を構え濃紺色のローブに身を包んだ女性が、その先端を男性に向けていた。
「どうして? どうしてよ!」
「落ち着け! 落ち着いてくれ!」
杖を構えた女性はひどく取り乱しており、男性に詰め寄っている。対して男性は、両手を前に出し、怯え焦ったように「落ち着け」と繰り返すだけだった。
痴情のもつれ。
恐らくただそれだけのことではあるのだが、如何せん杖がいただけなかった。
木製で、丸みを帯びた先端部分には赤いルビーのような石が埋まっている。その杖は、明らかに魔術師の使うそれだった。しかも、魔術師が杖を使うのは、媒介が必要な程複雑、あるいは強力な魔術を使うときだと聞いたことがある。
魔術師である彼女を止めるなど、一般人には不可能だ。皆が皆遠巻きにして、彼らの様子を窺っている。
「あの男が二股でもかけたのでしょうね」
冷ややかな眼差しで彼らを一瞥し、リタはふんと鼻を鳴らした。
「こんなことをしでかして、彼女の魔術師としての未来は大丈夫なのかしらね」
「自業自得です。お嬢様、こんなものをご覧になる必要はありません。帰りましょう」
リタは一転してにっこりと笑うと、アメリアの背中を押して歩き出した。彼女の行く末が心配ではあったものの、目に優しい場景でもない。アメリアは素直にリタに従うことにした。
馬車に乗り込もうとした時、再度、今度は至る所から悲鳴が上がった。周囲がざわざわと騒がしい。アメリアはびくりと体を強張らせ、首を回す。
逃げ惑う者、目を見開き立ちすくんでいる者、泣き叫んでいる者。広場中が恐慌状態に陥っていた。
その中心にはやはり、あの3人がいた。
男性が力なく倒れている。先ほどまで庇われていた女性が男性に寄り添い、必死に声をかけているが、起き上がる気配はない。
状況から考えて、明らかに魔術が行使されていた。
ねえ、と魔術師の声が響いた。
いやに鮮明で、背筋に冷たいものが走る。広場は潮が引くように静かになった。
「貴女の愛は本物かしら? 本当に愛しているというのなら、彼にくちづけをしてごらんなさい」
狂気じみた笑い声を上げながら、女性魔術師は挑戦的に言い放った。女性は男性と魔術師の顔を交互に見やる。彼女への恐怖で状況が理解できないようだった。
「あら、言葉を理解なさらないの? お馬鹿さんなのね。いい? くちづけよ、く・ち・づ・け」
杖を女性の頬にペチペチと当て、馬鹿にしたような口調で繰り返す。
「くちづけ……」
女性はぼそりと呟くと、男性の顔を見下ろした。しかし、そこから動くことはない。
魔術師は愉快そうに口元を歪め、再度頬を叩く。
「はやくしなさいよ。口と口をくっつけるだけ。簡単でしょう?」
女性はびくりと肩を揺らす。魔術師の言葉に逆らえないようで、カタカタと震えながら、男性にゆっくりと顔を近づけた。
――ダメよ!
それを見た途端、アメリアはリタを押しのけて駆け出した。リタが焦ったように声を上げたが、聞かなかったことにする。
人をかき分け、3人の前に勢いよく飛び出した。魔術師の彼女だけが、突如乱入してきたアメリアに胡乱げな視線をよこしたが、それも無視し、今にもくちづけしそうな男女の間に手を差し込んだ。
突然割り込んできた手に驚き、女性が視線を上げる。
「貴女たちは、愛し合っているの? もし違うのなら、くちづけをした途端にこの男性は死んでしまうわ」
アメリアは必死に女性に問いかけた。女性は青白い顔を上げ、がたがたと震えながらアメリアを見つめる。恐怖に支配され、アメリアの言葉が認識できないようだった。
「貴女、何で知っているの? もしかして、貴女も魔女?」
「魔女ですって?」
手を男性の口元に当てたまま、アメリアは眉を顰めて振り返る。魔術師は、心底迷惑そうに顔を歪めて、アメリアを見下ろしていた。
「そこまでだ」
突然、男性の声が響き渡った。
それを合図に、女性魔術師は後ろから取り押さえられる。兵士が女性魔術師の腕を捻り上げ、杖を落として跪かせた。その横では女性魔術師と同じローブを纏った青年が、杖を女性魔術師に向けていた。女性魔術師はもがきながら、青年を忌々し気に睨みつけている。
その周りを、幾人もの兵士が取り囲んでいた。
飛び出したはいいものの、やはり悪意を持った魔術師を前に、緊張していたのだろう。彼らが近づいてきたことに一切気が付かないほどに。
彼らの登場に驚きながらも、アメリアはひどく安堵し、その場にすとんと腰を落とした。
その時やっと、アメリアはもう1人の存在に気が付いた。白いローブを纏った若い男が立っていた。明るい水色で縁取られ、左胸には王国の紋章が刺繍されている真っ白なローブ。紛れもなくこの国の宮廷魔術師のものだ。
ローブとは対照的な青みがかった黒い髪が、風になびく。その立ち姿は、端正な容姿と相まって美しかった。広場にいる誰もが、この宮廷魔術師に注目している。アメリアも、思わず目を奪われた。
宮廷魔術師は女性魔術師が捕縛されたことを確認すると、アメリアたちに向かって真っすぐに歩いてくる。
「失礼」
その声は、先ほど場を収めた声と同じだった。宮廷魔術師は静かに跪くと、倒れている男性を覗き込む。
「呪い、ですね。話を伺いますので、お二方ともご同行願います」
兵士を呼んで眠ったままの男性を運ばせる。女性魔術師も引っ立てられ、その場にはアメリアと当事者の女性が残された。
「大丈夫です。あの方は必ず助けますよ」
宮廷魔術師は柔らかい笑みを浮かべ、がたがたと震える女性に優しく声をかける。立ち上がることのできない女性は、兵士に抱えられて先にどこかへと向かって行った。
それを見送ると、今度は落ち着いたブラウンの瞳が、アメリアを覗き込む。しっかりと視線が交わった。アメリアはただただ呆然としていたが、宮廷魔術師は口元に微笑みを湛える。
「では、私たちも参りましょう」
宮廷魔術師はすっと立ち上がり、流れるような動作でアメリアに手を差し伸べる。アメリアは戸惑いながらも、そっと手を重ねた。