千紘の隠し事
学校がある日は夕方からバイトに入っている。でも今日は猫の予防接種日だからお休みをさせてもらった。
ミナミを先日樹が捕獲してくれたキャリーケースに入れる。ナァーオ!ナァーオ!と不安そうに鳴く声が室内に響く。
美樹はまだ帰っていないようで、貰った合鍵で鍵を閉めて病院へと歩みを進めた。
動物病院は夕方も混んでいるようで、沢山の犬と猫がいる。
大人しく座って待っている犬もいれば、呼ばれた途端にきゅーんと不安そうに鳴く犬もいる。
ミナミはキャリーケースの中で漸く落ち着いたのか、比較的静かに待っていた。
「若槻ミナミちゃーん」
「はーい」
診察室から呼ばれた声に返事をして室内に入る。
診察台の前にはお馴染みの先生である春野先生がニコニコ顔で立っていた。
キャリーケースから出し診察台の上に乗せると、不機嫌そうに尻尾を揺らし低く唸っている。
「うんうん。元気そうだねぇ。今日は予防接種かな?」
「はい」
体重を測りお腹の様子を探る春野先生にも慣れたのか、大人しく触れられている。
そろそろ診察は終わりかな?という頃、隣の診察室から笑い声が響いてきた。
「最近更木先生が一部の奥様方から人気で。爽やかで格好良いってさ」
「そうなんですね」
確かに話した感じは爽やか好青年と言える感じで、奥様方に人気と言うのも頷ける。
「しかも彼女なしの超優良物件。もー。僕の仕事取られちゃうよ。ミナミちゃんも更木先生派かな~」
残念だなぁとミナミに話しかけながらしているのは注射の用意。
「でも大丈夫。動物達は僕の方が好きだもんね?」
ね?と言いながら笑顔でプスリと注射を刺す。ふぎゃ、と短く鳴いたミナミは相変わらず春野先生の手にかかれば大人しい。
「そうですね。ミナミは春野先生が好きみたいです」
「ミナミは?」
「もー、ミナミもです」
「うーん。嬉しいから病院食のサンプルあげちゃおう」
それいつも検診の時に貰ってる……なんて思いながらも、春野先生の話し方が面白くてクスクスと笑ってしまった。
こうしてミナミの予防接種はバッチリ済み、病気にもなっていないようで安心してマンションへと帰れた。
***
***
学生は勉強が大事。千紘にそう言われ、テスト週間になるとシフトにあまり入れてくれない。でも以前の事もあったからか、1人でいさせるのは不安だということで、喫茶店で勉強をさせてもらっている。
今日は沙世と勇気も交じり勉強を進めていく。暇な時は千紘が勉強を見てくれるお陰で、いつもより良い点数が取れるような気がしてくる。
でも、流石に毎日入り浸る訳にも行かず、翌日はマンションで勉強を進めた。
丁度その頃、喫茶店には勇気が1人で来ていた。
カウンター席に座り紅茶を飲み、視線を泳がしている姿に千紘は依頼をしてきた時の事を思い出す。
音をあまり立てないように作業を進め、用事があってやってきた美樹にシッとジェスチャーを送り暫く待ってもらう。
そうして10分ほど待った頃だろうか、辺りを気にしながら漸く話し始めた。
「昨日若槻と相澤と勉強して……」
「うん」
「帰った時に変な女の人に話しかけられて……」
「……うん」
「若槻とはどういう関係なのか、彼女なのか?とか、付き合う予定はあるのかとか……すげー若槻について色々知りたがってる感じで、俺怖くて逃げちゃったんだけど」
後から考えて、これは菜緒自身や千紘達にいった方が良いのでは?と思い付き今日来たらしい。
「勉強で忙しいのにありがとう。ちなみに、どんな女性だったか覚えてる?」
「年は良く分かんないけど、まあ普通の人だったよ。俺の腕を掴んで来た時に見たのは、色の濃いマニキュアが塗ってあったくらいかな」
「マニキュア……何か髪留めしてなかった?」
「んー、ああ、なんかしてたかも。白い粒が一杯のやつ」
色の濃いマニキュアと白い粒。白い粒は恐らく真珠だろう。菜緒とそれなりに仲良くなっていたのだから、個人的に聞けばいい筈だ。なのにわざわざ周りに聞く必要はあるのだろうか。
美樹も心配そうに近寄り、菜緒ちゃんのこと…と声を出す。
「何があるか分からないし、探偵もこのお店も辞めさせる?」
「それだと何かあった時に助け辛い」
真剣な瞳で語る千紘に美樹は頷く。
そんな千紘の様子を見ていた勇気は、本当に樹と千紘は双子なんだな……と感心する。真剣な瞳が樹に良く似ている。そう思いながら残りの紅茶を啜った。
***
***
遂にテスト週間。この期間は早めに帰れることもあり、沙世と勇気と喫茶店で勉強をするためにやってきた。
入り口から入ろうとすると、ゴミなどを捨てる裏口から千紘の声が聞こえてきた。
柔らかな声色は堅く、いつもの千紘らしくない声だ。3人で顔を見合せ裏口の様子を覗く。
千紘の他に1人男性の姿があり、ハッと目を見開く。あれはつい最近まで付きまとってきた不審者だ。美樹のマンションに行ってから出会わなかったけれどまたこうして現れた。その姿を怖いと思う反面、何やら様子がおかしくて聞き耳を立てる。持っていたタバコをふかした不審者は、千紘を見てニヤリと笑った。
「俺が何を調べてんのか、分かってんでしょうよ?」
「……そうですね」
「俺は真実ってのが知りたいんだ」
千紘の表情は菜緒達からは見えない。緊迫した雰囲気のみ伝わってきて、3人でゴクリと喉をならす。一体あの人は何を調べているのか。そもそもあの人は何なのか。それが分からないまま話しが進んでいく。
「瀬浪千紘。お前がどういうつもりでしているかは分からないが、余計なことして身を滅ぼすなよ」
「余計なことをしているのはそちらでは?僕を調べるよりやることあるでしょう」
「いいや。俺はお前に興味がある。……なぁ、こういうのはどうだ?」
「……」
「こっちはお前が欲しい情報をくれてやる。その代わり……」
勿体ぶったように溜める不審者は、タバコを携帯灰皿に捨て千紘を見る。
「お前が関わっている殺人事件について話せ」
不審者の言葉の意味が分からず3人で顔を見合せる。不審者が話したいことは終わったのか、裏口からこっちに向かってくる姿が見えて急いでその場を離れた。
流石に喫茶店に行く気にもなれず、近くの公園のベンチに座る。項垂れている勇気は、は?と呟いた。
「千紘さんが殺人事件に関わってるってなんだよ」
「分かんない……菜緒は?」
2人の疑問に答えられずに勇気と同じように項垂れて首を振る。千紘は優しくて暖かくて、とても殺人事件に関わるような人ではない。そう思って声に出そうとしたものの、喫茶店で働いている千紘の姿しか知らないことに気がついた。それは樹に関してもだ。美樹は喫茶店の手伝いと在宅仕事。休日はショッピングに行ったり映画を観たり。一緒に暮らしているから分かるが樹は違う。
樹は待ち合わせ場所にフラりと現れ仕事をこなし帰っていく。勿論、人となりを知っているつもりだし、仕事に関しても信頼している。でもそれ以上は何も知らない。
何だか2人の存在が物凄く遠く感じてしまう。
こんな気持ちでテスト週間を乗り切れるだろうか。それは沙世と勇気も同じだったらしく、3人でため息をはく。
「……新聞」
「新聞?」
「ネットでも新聞でも何でも使って、気になるなら調べようぜ」
駅から10分もあるけば、ネット環境が整っていて過去の新聞が置いてある図書館がある。
テスト勉強だってそこで出来るなんて言い訳をしながら、ベンチから立ち上がる。
沙世も付き合ってくれるらしく、いても立ってもいられず、走って図書館に向かっていった。