不審者
ケーキ屋で話しかけてきた不審者が、このところ喫茶店周辺にいるようになった。
この間こんなことがあってと、世間話ついでに千紘に言うと、何それ……と怒った表現を見せている。
「菜緒ちゃん。営業終わった後、僕が送るから」
ガシッと両肩を掴み心配してくれる千紘は、オドオドとした態度の時もあるけどやはり男性のような頼もしさもある。
それと、やはり双子というべきかふとした瞬間の所作が樹と似ていたりもして、発見すると何だか面白い。
喫茶店の営業終了は夜の20時。ある程度は営業中に片付けて、本格的な閉店作業をして退勤するのが20時半くらいだ。
他の業務は千紘が残ってしていて、菜緒は賄いを貰ってお疲れ様ですと言って帰る。
でも今日からは一緒に帰ってくれるようで心強い。
「千紘さんと外を歩くの何だか新鮮です」
「うん。初めてかもね」
不審者様々ではないけれど、外でも話せて嬉しい。そう思っていた時、案の定あの不審者がこちらを眺めていた。
思わず千紘の袖を握ってしまうと、安心させてくれるようにか右手をギュッと握ってくれた。
力強いその手に心の奥が暖かくなる。
このまま帰ろう。そう言われ頷いたものの、いつもはこちらを眺めていただけの不審者が、おもむろに近づいてきた為に体をびくりとさせる。
自分を庇うように前に立つ千紘さんの表情見えない。
「何か用ですか?」
「なるほど。こりゃ良い」
感心したように頷いた不審者は千紘に近づき名刺を1枚差し出そうとした。
菜緒の警戒心剥き出しの姿に笑っていた不審者は、不穏な空気を感じ取ったのか、警察に通報してくれている男性に気がつき、やれやれ……と言いながら去っていく。
「あの、大丈夫ですか?」
「少し困ってたんです。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「いいえ。警察来るまで私も待ちましょうか?」
「多分今は何もしてこないので大丈夫ですよ」
「そうですか。では、お気を付けて」
通報してくれた男性が離れていく。鳴らす靴音は何だか独特だ。コッココッコと鳴らしながら歩く後ろ姿を眺めていると、近くに警察官がいたのかすぐに駆けつけてくれた。
「お、何だ千紘じゃないか。通報したのはお前か?」
「こんばんは。ちょっと絡まれていた所を親切な方が助けてくれたんですよ」
千紘の名前を知っているのか、40代位の警察官は千紘の肩をポンポン叩いている。背後にいた菜緒に気がついたのか、菜緒と千紘を交互に見る。
「この人は前川さん。この先にある警察署勤務なんだよ」
「よろしくなお嬢さん。で、このお嬢さんとはどんな関係だ?」
「喫茶店の従業員です。遅くなったので送ってるんですよ」
「ほお、良い心がけだな。ここも最近治安が悪い。お嬢さんも気を付けるんだぞ」
「はい」
何なら今さっき不審者がいた。不審者について千紘の説明を聞いた前川は、パトロールするか……と呟いている。
パトロールでどんな抑止力になるかは分からないけれど、自分の家の近くも回ってくれるらしくお礼を言っておいた。
***
***
翌日から誰かに見られている気配がして、後ろを何度も振り返る癖がついてしまった。
学校へ向かう途中はまちまちで、学校にいる時は感じない。
喫茶店にいる時も基本感じなくて、送ってもらっている時もまちまちだ。
一番感じるのは部屋に入る瞬間。視線を強く感じ、恐る恐る辺りを見回しても誰もいない。
鍵を急いで閉めて部屋を明るくし音楽を流して音を出す。そこで漸くホッと一息をつく。そんな生活を、不審者が話しかけてきた辺りから続けている。
最初はあの不審者かな?とも思ったけれど、どうも違う気がしてならない。
お風呂に長く浸かる気にもなれず、シャワーだけを浴びる。
貰ったサンドイッチを食べる気力も湧かず、就寝の準備を整えてすぐにベッドに入った。
***
***
翌日の日曜日。起きてみると、日頃の不安やストレスのせいか見事に風邪を引いてしまった。
幸いにも熱はなく咳と倦怠感だけだ。これならマスクだけしてれば大丈夫かと思いそのまま喫茶店に向かう。
喫茶店の扉もいつもより重く感じる。
「おはようございます……」
「おはよう。菜緒ちゃん風邪?」
声の調子が悪いのが1発でバレてしまった。
苦笑いを見せて頷くと、カウンターから出てきた千紘が菜緒のおでこに手を当てた。
「うーん……微熱かな。折角来て貰って悪いけど、今日は無理せず休んで?」
くるりと後ろを向かされ、入ってきたばかりの扉を真正面に見る。
また、あの視線を感じるかもしれない道を帰るのか?と思うと不安でしょうがない。
体調不良と相まって、やだやだと駄々を捏ねると、いつもの様子と違ったせいか、千紘は菜緒を心配そうに見つめている。
「菜緒ちゃん。どうしたの?」
優しい声色が胸の奥に響きポロポロと涙が溢れてくる。
「え!?ちょ、え!?僕なにかしちゃった!?」
「ちが、ちがいます」
「とりあえず座ってて」
体調不良の中で泣いたせいで頬が赤くなっていく。
千紘に促されるようにカウンター席に座る。
開店前だというのに手を煩わせて申し訳ない。
グスグスと泣いたまま開店準備を始めると、千紘に怒られてしまった。
「座っててって言ったよね?」
ムッと睨む顔はあまり迫力がなくて怖くない。怒るのは樹の方が迫力がありそうだ。なんて考えながらコクンと頷くと、満足そうに笑っている。
元々は1人で営業していたらしいし、開店準備も店内や外の掃除もお手のものだった。
仕込みも朝からしていたようで、開店前には全ての準備が整っていた。
「千紘さん、私も働きたい……」
「僕が体調不良の女の子を働かせると思う?」
千紘ならオロオロと心配してくれるし、実際今も心配してくれていると首を振った。
「ん。その通り。一応食品関係を扱ってるから、体調が悪かったらすぐに言ってね」
「ごめんなさい……家に居たくなくて……」
「どうして?」
怪訝な表情を見せる千紘に、ここ最近の視線について語っていくと、千紘の表情がみるみるうちに不機嫌そうになっていく。何だかさっきより怖い。
「なんでもっと早く言わないの!」
「だって、皆に心配かけたくないです。それに勘違いだったら恥ずかしい……」
「勘違いなら良かったで済む話だよ。それに、一緒に働いている子を心配するのは当たり前でしょう?」
ね?と優しく語られまたポロポロと涙が溢れる。
眉を下げ困ったように笑った千紘はティッシュを渡してきた。
「………」
口元に手を当てて考え込んでいる千紘は、何かを思い付いたのかスマホを取り出し何処かに連絡をする。
「ストラップ……お揃いなんですね」
スマホの落下防止に付けられているストラップは、樹も同じのを付けていた。あの時は気にならなかったけど、シンプルなレザーのストラップは2人のお揃いらしい。千紘はブラウンで樹はブラック。どちらも瞳の色を表しているようだ。
「うん。そうなんだ。お揃いなんて嫌だって思ってたけど……大事な思い出になるしね」
優しく微笑みストラップを見つめた千紘は、スマホを後ろポケットにしまいこむ。
「とりあえず菜緒ちゃんはここで休んでて」
「すみません……ありがとうございます」
「ん。ゆっくりしてて」
頷いた千紘を見てから顔を伏せ突っ伏す。
ここは妙な視線を感じない。
これならきっと……と思った時にはもう夢の世界に誘われていた。