モデルとストーカー(前)
カランカランとドアベルの音が鳴る。テーブルを拭いていた手を止めてパッと視線を移すと、170センチ以上ありそうな女性が立っていた。スリットの入ったミニワンピースで、惜し気もなく美脚を露にしている姿に思わず惚れ惚れしてしまう。かけていたサングラスを取って微笑む姿はまるで芸能人……と思った所で、バッとカウンターにいる千紘を見る。
「久しぶり千紘」
「久しぶりだねヒカリ」
2人のそのやり取りだけで、この人が千紘の元カノなんだと実感する。お好きな席にどうぞと言った菜緒にお礼を言って、颯爽とカウンター席を目指し座る姿は映画やドラマのワンシーンのようだ。
「今日はどうしたの?」
「上田くんから聞いたから寄ってみたの」
そう言いながら髪を耳にかきあげる姿も様になっている。他のお客さんの注文を取り、カウンターに戻ろうとした時、千紘の怪訝そうな声が聞こえてきた。
「ヒカリ。何かあった?」
「どうしてそう思うのよ」
断定するような物言いに、ヒカリじゃなくてもそう思うと思っていたけれど、ヒカリは千紘の物言いをどことなく嬉しそうに聞いている。
「頻繁に耳の下触ってる。その癖は変わらないね」
「もう、本当目敏い」
「どうしたの?」
少しだけ低くした声色。今まで聞いたことのなかった優しさと心配そうな、千紘の心情を含んでいるようだ。それにヒカリの癖を知っている口振り。元カノだから当然なんだろうけど、何だか知らない千紘の姿を見ているようで気まずさを感じてしまう。
あまり2人を見ないようにカウンターに戻り、注文された商品を用意していると、ヒカリにちょっと待っててと言って、千紘がこちらに近づいてきた。
「菜緒ちゃん、どうしたの?」
「え?何がですか?」
「何か元気ないような……体調悪い?」
心配してくれている表情はいつもの千紘でホッとしてしまう。気を使わせて申し訳ない!と、首を勢い良く振り絶好調をアピールすると笑われてしまった。
「それなら良いけど」
「はい!千紘さんは話しててください」
「ん、分かった。菜緒ちゃん、無理しないでね」
はーいと元気良く返事をしてお客さんの元に向かう途中、ずっとヒカリから視線を感じ居心地が悪い。気にせずお客さんに注文してくれたケーキセットを渡すと、こそっと話しかけられた。
「あの人、店主さんの彼女?」
「違うとは……思います。多分」
元々は付き合っていたと思うと完璧に否定は出来ない。それにこの再会を期に、上田のように食事に行ったりしてまた関係が深まる可能性もある。ごゆっくりどうぞと、定番の挨拶をしてカウンターに戻った丁度その時、ヒカリの相談が始まった。
「実は……ストーカー被害にあってるの」
菜緒自身もあの事件の際に追い回されて精神的に参っていた。だから今にも泣き出しそうなヒカリの心境が分かってしまう。
「なら相談はストーカーの特定?」
「ううん。何となく目星は付いてるよ」
「じゃあ何で警察に相談しないの。寧ろ事務所に相談した?」
千紘の疑問はもっともだ……とヒカリを見つめる。
「んー、事務所の一部の人には相談しているけど、穏便に済ませたいというか……」
「穏便にって……ヒカリが危ない目に有ってからじゃ遅いでしょ?ヒカリの身に危険があったら悲しむ人だって多いと思うけど」
家族やファンや関係者の人達。きっと自分が思うよりも多くの人が悲しむ。
「辛かったからここに来たんだよね。なら、ここでは素直になったら?」
「……うん。分かった」
優しく諭す千紘に小さく頷いたヒカリは、テレビで見る美人さではなくて、1人の女性として可愛らしく返事をしている。
「そういえば樹くんは元気?」
「……っ!」
付き合っていたのだから樹のことも知っていて当然だ。なのに何だか生前の樹を知っているヒカリを物凄く羨ましく思えてしまった。そんなことを嘆いても仕方ないのに疎外感を感じてしまう。何とかその嫌な疎外感から逃れようと頑張ったけれど、千紘の一言で崩れて行ってしまう。
「……今度別の所で話そう」
「えぇ、そうね。そうしよっか」
嬉しそうに砕けた返答をするヒカリと反対に菜緒の心は深く沈んでいく。千紘の知らない面が見れて新鮮なのに、その新鮮な面を見たくない。複雑な心境のままカウンターで立っていると、千紘が白紙の紙とペンを取り出し何やら書き始める。
≪声に出さないで読んで。ヒカリの鞄の中に盗聴器が仕掛けられてるかもしれないから≫
今までの心境など一気に消えていくほどの強烈な文面だ。ヒカリに至っては温かい紅茶を飲んでいるのに血の気が引いている。
≪だから、出かける約束をすればあぶり出せるかも知れないと思ったんだ≫
続けて書かれた文字に目を瞬かせる。そして自分の思考が随分と短絡的だったなと実感して恥ずかしくなってしまった。
≪ヒカリの仕事場近くとかで、何度か出かけてみよう≫
トントンっと書いた文字をペンで叩く千紘にヒカリは神妙な面持ちで頷く。
≪約束は電話かメールね。僕の番号は変わってないよ≫
≪私も≫
付き合っていたんだと彷彿させるようなやり取りを目の当たりにして、非常に居心地が悪い。2人だけにした方が良いんじゃないかと漸く思い立ち、距離を取ろうとしたけれど、千紘に腕を掴まれビクッと肩を震えさせる。
「菜緒ちゃん?」
「えっと、外掃除とかしようかなって……」
だから離して欲しいと願ったものの、首を横に振られてしまった。まだこの居心地の悪い空間にいなきゃいけないのかと嘆いていると、千紘が再びペンを走らせる。
紙に書かれて行くのは盗聴されやすい場所や盗聴器として使われる物など、盗聴盗撮対策やストーカー注意事項などを書いていっている。
1枚書き終えた所で、ヒカリにスマホでその文面を撮らせている。
「じゃあ、楽しみにしてるよ」
「え、ええ私も。それじゃあね」
千紘がわざと言葉を出した所で、既にストーカー対策は始まったようだ。戸惑いつつも帰っていくヒカリを入り口まで見送る。
そしてカウンターまで帰ってきた所で思い切り気が抜けてしまった。
盛大にため息を吐いて気を緩めていると、千紘から紅茶と先ほど書いていた紙を差し出された。
「なんだか緊張しちゃいました」
「うん。実は僕も」
「えぇ、全然見えなかったですよ」
「依頼人の前で緊張した素振り見せられないでしょ?」
「確かに」
だから今はお互い緊張を解いて良いのだと言われているようで嬉しくなる。お礼を言って紅茶を飲み、渡された紙を読んでいく。
「これ、私にですか?」
「うん。探偵業の中でも盗聴盗撮の相談は多いから、覚えておいて損はないよ」
そう言えば相談を受けたことはなかった。それはたまたまだったようで、学校に通っている時間で調べていたこともあったらしい。
「ストーカーがしそうなこととか、エスカレートした時の対処……まあ警察に相談するとかの初歩的なものも書いてあるから」
「ありがとうございます!」
これを読んで勉強しようと紙を折り畳む。役に立つことなんて無いと良いけど、現にヒカリが被害にあっているのだから、勉強して役に立てるようにしたいとそう決意した。
***
***
数日後、樹のことについて話したようでヒカリはショックを受けていたらしい。ただ、千紘が今はそれほど引き摺っていないことを説明し納得したようで、ヒカリも気にしないようにしてくれたようだ。
その日から時間が会えば樹の格好でヒカリと会っている。大体はヒカリの事務所周辺を歩いたり、食事をしたりするようで、時には喫茶店に来て2人で話していたりもする。
そして勿論その時店番をしているのは美樹と菜緒だ。仲良くしている光景を見て、美樹がポツリと呟く。
「寄り戻すのかしら」
「……どうですかね」
賛成とも反対とも言えない自分が嫌だ。この気持ちを持つのは千紘に迷惑だろう……と、曖昧な笑みを浮かべ美樹の言葉への解答は濁してしまった。
2人が仲良くしているのと同時期に、事務所には何通もの告発が届いている。それも全部ヒカリと樹のツーショット。
記者に密告してやるぞと脅しも来ているものの、事情を知っている事務所の人間が全て処理しているため、ヒカリと樹は何の問題もなく過ごせている。
そんな2人の姿を見続けた犯人は痺れを切らしていく。裏からヒカリを見続けていた犯人は、遂に表舞台に立つ決意をしてしまったようだった。




