迷い猫1
小さい頃から飼っている猫が、ある日突然脱走してしまった。周囲を探してもいない。公園で野良猫っぽくない子がいたよと言われ行っても、猫らしき姿は見えなかった。
猫がいなくなって1週間。高校の友人が勧めてくれたのは一件の喫茶店だった。
困ってることがあったら、喫茶店の店員が解決してくれるらしい。そう言われ半信半疑で街から離れた古びた喫茶店に足を踏み入れる。
カランカランとドアベルの音が鳴る。昔ながらの喫茶店だ。室内は無音で少しそわそわしてしまうが、店員がコーヒーを挽く音や匂いが心を落ち着かせていく。
扉の前で佇んでいると、カウンターから1人の青年がひょっこりと顔を出した。
黒髪のボサボサ頭で、目が悪いのか黒いフレームのメガネをしている。どことなくヤボったい印象だけど、人の良さそうな笑みに安心感が湧いてくる。
「空いている席にどうぞ」
見た目や声の感じからしても20代か。
空いてる席と言われても、テーブル席には常連客と思わしき人達が悠々と陣取っている。
だから残るはカウンター席しかない。
何となく店員である青年の手元が見える位置に座り、コーヒーを用意している姿を眺める。
本当にここで解決出来るんだろうか。店内の様子を見ても不安でしかない。
カウンターに置かれているメニュー表を見てそう考えていると、メニュー表の1番下の方に困り事があったら探偵にの一言を発見した。
コーヒーや紅茶のように横には料金が書いてあるかと思いきや、料金は応相談となっており、探偵は物凄く高いんじゃないか?と不安になっていく。
(でも……ミナミは心細いかもしれない……)
ミナミという飼い猫のことを思い出すと、お金がなんだとか言ってられない!と店員を見る。
「決まりました?」
「探偵をお願いします」
目を何度か瞬かせた店員は柔らかく微笑み、畏まりましたと呟く。
「少し待っていてくださいね」
さっきは意識しなかったけれど、青年の声は落ち着いていて、聞いてるだけで自分の心まで落ち着いてくる。
ボサボサ頭の少し変わった様子の人だと思ったけれど、メガネの奥に見える瞳は綺麗な茶色で、じっと見つめてしまうと吸い込まれそうになる色を放っていた。
コーヒーを常連客に届けた青年は、数枚の書類を持ってカウンターに戻ってきた。
「初めまして……ですよね?」
「あ、はい!若槻菜緒と申します!!」
椅子から立ち上がり勢い良くお辞儀をすると、青年はクスクスと笑っている。
「元気ですね。僕の名前は瀬浪千紘と申します」
カウンター越しに握手をする。周りにいる男子とは違った大きな手の感触だ。
何だか気恥ずかしくなり照れた笑いを見せると、千紘は慌てたように手を離した。
「あぁ、すみません!女の子の手を握ってしまってすみません……」
何度も謝る姿はオドオドしていて、プッと吹き出す。
「あははっ、瀬浪さん大丈夫ですよ!訴えたりしませんから」
「それは助かります」
クスクスと笑う姿は可愛らしさもあり、自分より年上そうな人に何を考えているんだ!と叱咤する。
「それで、依頼内容は?」
「飼い猫を探して欲しいんです。脱走してもう1週間いなくて。どこかで寂しがってたり、事故や病気になってたら……」
ミナミのことを考えるだけでじんわりと涙が浮かんでくる。
そんな不安を感じ取ったのか、千紘は菜緒に安心させるような笑みを浮かべた。
「分かりました。依頼は迅速に解決がモットーですから。2時間後に駅で探偵と会えるように手筈を整えておきます」
「あれ、瀬浪さんが探偵じゃないんですね」
てっきり探偵もするのかと思っていたけれど、よくよく考えてみれば喫茶店と探偵を両立するのは厳しいだろう。
ここが仲介してるのか……と思いながら、千紘から交付された契約書を読んでいく。
難しい字面は読んでいて苦痛だ。でも、千紘が分かりやすく説明をしてくれるお陰で何とか理解出来た。
「じゃあ、解決出来ることを祈っています。何かあれば喫茶店に電話してください」
「ありがとうございます!!」
契約だけして何も頼まなかったのは申し訳ないが、笑顔で送り出してくれる千紘に別れを告げる。
2時間後にはどんな探偵が来るのだろうか。
千紘と同じように優しい人か、はたまた年のいった父親と同い年くらいの人か。
探偵を雇ったことなどない身としては、不謹慎ながらワクワクしてしまう。
ミナミを絶対に見つける。そう思いながら2時間後の待ち合わせを楽しみに待っていった。
***
***
待ち合わせは駅の改札前。
ここに来る前、どんな人が来るのか特徴を教えてもらいたいと、喫茶店に一度連絡を入れた。特徴は教えて貰っていないけれど、菜緒の特徴を伝えたらしく、ただ待っていれば良いですよと言われ大人しく待っている。
スマホを確認しながら待っていると、格好良い……!と騒がしい声が周りから聞こえてきた。
「芸能人でもいたのかな?」
独り言を呟き見てみると、いかにも芸能人っぽい人が周囲をキョロキョロと見回していた。
無造作だけど整えられた髪。黒のジャケットに細身のスキニーにブラウンのショートブーツ。ラフな格好が様になっている。
モデルかな?と思うくらいに確かに格好良い。
そんな人が目的の人を見つけたのかズンズンと近づいてくる。
自分の隣にいる人は普通のサラリーマンだ。
そんな人に用事なのかなと思いながら近づいてくる人を見ていると、自分の目の前に立たれ呆けた顔をしてしまう。
「お前が依頼人だな」
「……え、まさか……探偵?」
「そうだ。全く、動物の依頼を受けるアイツの気がしれないな」
顔を顰める探偵の表情から見ても、動物嫌いなのだと瞬時に理解する。
もしや千紘は動物嫌いなのを知らなかったのでは?と思うと、動物嫌いの探偵に頼んでしまったのが申し訳なく思う。
やっぱり自分で探すべきだ……と探偵にペコリとお辞儀をする。
「すみません。やっぱり自分で探します!」
挨拶もそこそこに走り出すと、前方にいた人にぶつかってお互い倒れてしまう。
前方にいた男性はすみません!と、謝りながら菜緒を立たせてくれようとした。
差し出された右手に掴まり謝っていると、男性の荷物を探偵が拾ってくれたのか、男性に差し出している。
男性はそんな探偵の顔をまじまじと見つめる。
「なにか?」
「いえ……モデルみたいで格好良いですが、モデルか何かですか?」
「いいや。モデルみたいだと良く言われるだけだ」
周りから騒がれていたのも、こうしてモデルみたいだと言われるのも日常茶飯事なのだろう。
澄ました顔でそう言われると納得せざるを得ない。
男性ですら呆けてしまうのだから、女性はもっと呆けて見つめてしまうだろう。
男性に改めて謝り別れた辺りで、話しかけてきた探偵を見る。
「依頼を受けたからには完璧にこなす。それが俺の信条だ」
「受けてくれるんですか……動物嫌いなのに?」
「ああ。ペット捜索は専門外だが、依頼人が困っているなら助けるさ。さあ、まずはお前の家の周辺だな」
案内しろという探偵は、自分の格好良さも理解しているからか若干俺様風だ。
そんな人はあまり好きではないけど、探偵として動いてくれようとする姿には好感を覚えた。