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大きな手術を終えて自分を見つめ直す

私には2人の子供がいる

共に成人した男性だし 私も殆ど家に居ないので あまり実家には帰って来ない

でも神様から授かった子供達だ

私達夫婦は結婚後3年余り経っても子供を授からず

その間は近所の幼なじみの所に嫁いできた女性と親しくなり もっぱら彼らの子供たちを可愛がらせてもらったものだ

姑は未だ若かったが早く孫の顔を見たかったのだろう

私達に和歌山の加太に有る淡嶋神社が小授かりの神さまとして有名である事を教えてくれた

半信半疑で旅行も兼ねて淡嶋神社に行って拝んでもらったら何と的面に男児を授かった

それは嬉しくて一生懸命子育てした

今思うと余りに一生懸命過ぎて「子供にはどうだったかな、、」

それから暫くしても子供は授からず

2年後4年後には授かったものの直ぐに流産してしまったのだ

それが 長男が8歳の時 お礼参りも兼ねて再び淡嶋神社を訪れ参拝したら瞬く間に次男を授かったのだった

「又ダメかなぁ」という気持ちもあったので

趣味のテニスも原付の運転も辞めなかった

ところが神さまの子供は強くて私のお腹にしっかりと宿ってくれた

おまけに逆子で産婦人科の先生がいくらひっくり返してくれても又元の位置に戻ってしまうの繰り返しであった

予定日は9月であったが長男の夏休み中に産みたかった

逆子であったのと もう充分大きくなっていたので8月中に帝王切開で産むことになった

生まれた子供は玉のような男の子で ひときわ大きな声で泣いては 静かに眠っていた周りの新生児たちをたちまち泣き声の合奏に巻き込んでいた

長男は小躍りして喜んでいた

長男の授業参観などでも次男は子供達からも親御さんたちからもひっぱりだこだった

幼児は沢山いたが新生児は小学5年生にはおままごと感覚で目新しく映ったのであった


長男が中学1年生 次男が幼稚園の小さい組の時

阪神淡路大震災にあった

1月17日

その時私は子供達のお弁当作りの最中だった

突然突き上げた揺れに自分の身体を支えるのがやっとで子供達のことは未だ考えられなかった

丁度揚げ物の鍋を温めていたのだが辛うじて火の始末は出来た

いつも3つのコンロを同時進行で使っていたので

揚げ物の鍋には必ず蓋を被せて使っていた

これがラッキーで上から落ちてきたものが熱い鍋の中に直撃落下するのを防げた

主人は食卓でコーヒーを飲みながら

私に色々な指示をした

風呂場に水を溜めている時 次男が大声で泣きだした

未だ2階の和室で寝ているはずだった

階下から大声で「そこに居なさい」と叫んだ

ダイニングは食器などが散らばってたし

余震は未だ続いていた

大急ぎで2階に上がると次男は和室の襖に寄りかかって泣いていた

和室はというと 3人が川の字になって寝ていた その正に次男が寝ていたであろう所に大きな和ダンスが倒れ 部屋はタンスに占領されていた

「どうやってこの子は助かったのだろう」

タンスが倒れる直前に立ち上がっていたのには違いないのだが

PTSDというのか

その後10年間程 夜中になると「お母さん お母さん」と言って夜泣きする事があった

起こすと「覚えていない」と言うのだ

長男はあの揺れの最中未だ眠っていた

起こすと「学校が休める」と言って喜んでいた


子供たちは何もできなかった私に色々な事を学ばせてくれた

料理も裁縫も得意ではなかったが

長男の物はよだれ掛けから下着にいたるまで殆ど手作りした そして必ずSNOOPYのイラストと名前を刺繍した

彼の時代は周りも未だ布おむつが主流で出かける時だけ紙おむつを使ったが製品自身がまだそれほど改良されていなかったので嫌がっていたものだ

今は携帯用のお尻拭きペーパーでさえもスマホの充電器で余熱してから使えるというから驚きだ

パン作りやお菓子作りにも独学チャレンジした

今の私の僅かな知識が有れば もう少し美味しい物が作れていたであろうが当時はそれでも喜んでくれた

今は私の手作りパンやお菓子を家族は殆ど口にする機会がない もっぱら自分の為に作っているのだ


長男が小学校高学年の時

クラスでいじめ問題が勃発した

クラス一丸となって取り組まそうと担任の先生が体育館に生徒を集めて一人一人に厳しく現状を訴えさせ みんなで解決しようという話し合いの最中

女の子達が誰からとも無く泣き出しその内殆どの子供逹が泣いてしまったらしい

その時「宮崎君が突然ひょうきんな自作自演の踊りを踊りだしてその場の雰囲気が一気に変わりました」

と卒業式の時に担任から聞いて驚いた

今彼はダンスを職業としているが

周りの方々が楽しくなる それが出来ることによってさらに自らも楽しくなる

そんな事が出来ているのだろうか


長男と9歳離れた次男は幼少期からヤンチャさんだ

何しろ幼稚園の時には中学生の何でも出来るお兄ちゃんがいたのだから腕白ぶりは人並み以上であった


私は彼らに親としての最低限の役割は果たせたのだろうか

動物の母親の子育ての様に甘えさせたり

突き放したり

「一人前の大人として生きて行くすべを」

伝える事が出来たのだろうか

いや私のように模索しながらでも歩んでいって欲しい

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