幼年期(8歳)「魔法」
あっ、、アル君が消えた…
と思ったら、すごい土煙をあげながら、アル君が大地を滑っていく。
わたしの出番かな?と、
隣に座る修道女を見上げると、
修道女はいつもの柔らかな笑顔でわたしの頭を撫でる。
「大丈夫。あなたのアル君はとっても強いから、あれくらいなら、治癒の必要はありません。」
「でも、アル君。痛そう…。」
「痛みを感じて、痛みを覚える事も訓練のひとつです。痛みにびっくりして戦えなくなったら、困るでしょう?」
「…うん。」
「ほら。アル君を見て。
立ち上がって、何もなかったみたいに訓練を再開しています。
少し顔が赤いでしょ?
彼はあなたにかっこいいところを見せたいようなので、失敗したのはなかったことにしたいようですね。
さぁ。あなたがこれからすることは?
彼の失敗を治癒する?それとも、なにもなかったように応援する?」
「応援します!
アル君すごく速かったー!かっこいいー!がんばれー!!」
「ほら。アル君もうれしそうですよ。張りきりすぎて、また失敗しそうですが…」
修道女とわたしは、教会の外で、アル君の「魔法」の訓練を見守っている。
見守っていると言っても、ただ見ているだけではなく、アル君の訓練で発生する、砂埃や大きな音。強い風なんかを「魔法」の防壁で防ぐ訓練だ。
そう。この世界には「魔法」がある。
「魔法」っていう呼び方は、わたしの中の僕が言ってるだけで、
集落の人達は、「龍人式治癒術」とか、「龍人式剣闘技」みたいな感じで、それぞれ呼んでいるけど、長いしたくさん種類があるので、わたしも「魔法」でまとめる言い方には賛成だ。
「守役」のわたしは、防壁と治癒の「魔法」。
「継役」のアル君は剣の技とか、火や雷を出す、攻撃の「魔法」に適正があって、それを練習している。
わたしの「魔法」は、理解と同調が大事らしく、体の構造や、現象を学ぶ「座学」の時間が長い。
逆にアル君の「魔法」は、基本的には「魔法」を使うと自動的に体が動くものらしく、
(例えば、前進斬りの魔法を使うと、体が自動的に、5mくらい進んで剣を振り下ろす動きをする)
その「魔法」がどんな速さでどんな動きをするか、どの状況で、どの「魔法」を使うか、
感覚的に覚える為に、ひたすら反復する。
自動的に体が動くから、無理な体勢から「魔法」を出せば、腕が折れたり、体が壊れてしまうし、障害物があればぶつかってしまう。
だから、アル君は毎日のようにケガをしているけど、それを治癒するのは、わたしの訓練になって。
わたしとアル君は、やっていることは違うけど、ふたりで育っている。
そう思うと、大変な訓練も、しあわせに思えてくる。
わたしの中の僕が、「魔法」のエネルギーはどこから、とか、そのエネルギーが、なぜ触媒もなしに様々な現象を引き起こせるのか、、とか、
ぶつぶつ、うるさいような気がするけど、
わたしは、アル君とのしあわせな時間をかみしめるのに忙しくて、僕の声を聞いている時間はない。




