第六章 決めた覚悟と、揺れる想いの話
誤字脱字は発見次第修正していきます。
見つけた場合、すみやかに解読をお願いします。
転校初日の晩。お嬢様から掲示された約束は
一、これからは敬語禁止。
二、遠慮はしない。
の二つ。どちらも彼女に対して、だ。
「その約束、どちらもお嬢様にリターンがない気がするのですが」
そう尋ねると、
「だ・か・ら! 敬語禁止だって言ってるでしょ! 後、呼び方も呼び捨てにすること!」
質問には答えず、こちらに箸を向けるのだ。そうはいってもまだ承諾したわけではない。そんな言い訳も通用するわけないし、彼女自身、敬語を使われることに嫌悪感を抱いているようだった。もしかしたら、これがリターンなのかもしれない。
「わ、わかりました。で、では、れ、れ、レイカ」
「そ、それでいいのよ!」
その後の食事は、食べ終わるまで妙な沈黙が漂った。
俯いたお嬢様の黒髪の隙間から除く、真っ赤に湯気を立てる耳を見て、自分の顔も沸騰しかけていることに気が付いたのも原因の一つだろう。
だけど、居心地はよかった。
執事とお嬢様という、この関係が薄れ、離れて行ってしまうのではないかと一瞬思えたが、本当に一瞬であった。俺は真の意味で彼女と家族になれた気がした。
「それでは行ってきます」
「いってらっしゃい! 気を付けてね!」
お嬢様からの声援を受け、俺は玄関から足を一歩踏み出した。
彼女らが転入して最初の土曜日。
俺は初めてパトロールに出る。
初めて訓練ではなく、外へ出る。
嬉しいような、怖いような、とにかく緊張はしていた。
「約束の時間三十六分と三十二秒前か。まぁ、ギリギリセーフだな」
少し濃いめ、灰色パトカーの前。白く、新品のように清潔な制服に身を包んだキノシタ隊長が、左腕に巻かれた時計を見ながら言った。スポーツタイプの黒いベルトが、白い制服に映える。
「ありがとうございます!」
チクショー! これでもギリギリかよ!
この一か月の訓練は一度も隊長より早く来るどころか、合格印すらもらうことができなかった。
「諦めろ。こいつは一時間前からここにいる」
甲高いモーター音と共に現れたのは、七、八メートル程度の高さはありそうなシルバーのロボット――名前は確かディカストといったか。乗っているのはアサクラ副隊長だ。
って、この人はそんな前からいたのか……暇人なのでしょうか?
「んなっ! と、当然だろう!」
狼狽えるも、胸を張る。なぜ狼狽える必要があったかは謎だが、何とも頼もしい。
が、
「余程心配なのだな」
という副隊長の言葉に打ち砕かれる。
「そ、そそそそんなわけないでやんす!」
口調はかなり怪しい。隠し事が苦手なのだろう。凄くありがたい話だから、ここは素直に喜んでおこう。
そこでふと俺は気が付いた。
「アサクラさんもそんな前からいたんですね」
「っな! そ、それは準備しているときにたまたま見かけただけだ! こんな暇人と一緒にしないでほしい!」
あ、やっぱり見かけただけなのですね。
が、ロボットに指を差されたこんな暇人は、
「冗談じゃない! お前だって、その準備にどれだけ時間かけてるんだよ! そんな前から準備するとか暇人のすることだろ!」
「なんだと⁉」
また始まったよ痴話げんか……。まぁ、時間に余裕があるからいいんだけどさ。
でも、延々と聞かされる身にもなってほしいよね。
とりあえず、もう一つ質問でもしておくか。
「ディカストもパトロールに使うんですね」
「もちろんだ。知名度も上げなきゃいかんからな」
「いざという時にこの姿でパニックになってもらっては困る」
さっきまで喧嘩してたくせに息ピッタリなんですね。仲がいいのか悪いのか。
「おい、何で説明するんだよ」
「隊長の補佐が私の仕事だからだ」
「なら他のところでやってくれ。いいところだけ取ってくな」
「ふ、夫婦喧嘩見てるみたいだ」
本物を見たことないから、想像の中でって話になっちゃうけどね。
「「誰が夫婦だ!」」
「すみませんでした!」
この息ピッタリなリーダー達の夫婦漫才もそこそこに、パトカーの助手席に俺は乗り、初めてのパトロールが始まった。
「とりあえず、今は道を覚えることに専念した方がいい。何故かわかるか?」
本部の敷地を抜けて最初の交差点。信号待ちをしながら聞く隊長に、
「すぐに駆けつけることができるように、ですか?」
そう答えるも、少し自信がなく、若干声が小さくなった。
「正解だ。だが、もう一つある」
「もう一つですか?」
車が加速を始める。
朝日に照らされたその横顔は凛々しく、俺の体を強張らせる。これが仕事モードというものだろうか。俺もこういう切り替えのできる人間にならなくてはいけないな。
彼はゆっくり口を開く。
「ああ。女の子とのデートコースとか見つけられるかもしれないのだよ」
おい。さっきまでの憧れ返せ!
「はっはっは! 真面目な話だと思ってたろ?」
緊張した空気が、高らかな笑い声で打ち砕かれた。
まるで、やってやったと言わんばかりの満面の笑みで彼は続ける。
「確かに集中しなきゃいけないけど、ガチガチでは見えるものも見えなくなっちまう。今のお前では変なところに力が入りすぎて逆に覚えられんぞ」
「そ、そうですか……」
「だからな、楽しいこと考えながら景色見れば、記憶に残りやすいんだよ。まぁ、そちらに集中しすぎてもダメだけどさ」
やっぱりこの人は凄かった。考えてないようなことばかり言いながら、と言うと失礼だが、誰よりも考えている。だからこそ隊長なのだろう。
「そうだ、今のうちに聞きたいことがあったら言えよ?」
「あ、はい。えーっと……」
聞きたいことならいくらでもあるはずなのに、こういう時に限って浮かぶのがどうでもいいこと。考えても、考えても、それが邪魔をする。
視線を外した先のサイドミラーには、チラチラと四つん這い四輪駆動に変形中のディカストが映った。大型バスサイズ程度までコンパクトになった機体には、あの人が乗っている。
「ん?」
悩む。これ。聞いちゃってもいいのだろうか。
いや、何でも聞いていいって言ったのは彼の方だ。
「アサクラさんとはどういったご関係なんですか?」
「幼馴染」
俺が顔色を覗う前に答えた。間髪入れず、その質問に驚くことなく、先までの楽しそうな雰囲気を押し殺したような抑揚のない口調で。
「そ、そうなんですか」
「お前の期待しているような甘いものはないぞ?」
再びにやりと笑う隊長。
「大体あんな強い女、ベッドの上で責められんだろう? むしろ俺が女にされちまいそうだぜ」
「あ、あはは……」
確かにそうかもしれん。
「んで、お前はどうなのよ? レイカちゃんとは」
「へ?」
何故そこでお嬢様の名前が出てくるのだろうか。
「僕は執事ですよ?」
「でも、血は繋がっていないだろう? 思春期の男女が一つ屋根の下で寝ているのに何とも思わないのか?」
「と、隣の部屋で寝ていますし、そんな風に思ったことありませんよ!」
な、何を急にこの人は! 執事が主人に手を出すとか言語道断! 烏滸がましいでしょう!
「ふぅん。じゃあ、レイカちゃんに彼氏できても何とも思わないのか?」
「ちゃんと審査して合格できるレベルなら喜ばしいことで――」
「ん?」
あれ? 想像したくないのは何故だろう。
「お前も男だねぇ~」
どういう意味だ! と抗議しようとした矢先。
「すまん」
会話を左腕で制され、彼はそのまま赤色警告灯と拡声器をオンにする。
「前方車両、すぐに路肩へ車を止めてください!」
その前方では、白いセダンがフラフラと揺れ、白線を飛び出し始めていたところだった。
そんなところも見抜かなくてはならないのか。事故の未然防止も仕事の一つだ。会話中でも気を抜けない。
「マズい」
だが、隊長は焦っていた。
セダンが後輪を激しく滑らせながら、猛スピードで逃げ出したのだ。
このままでは事故に繋がりかねない。
「しっかり掴まっていろよ!」
滑らかに動く左手が、シフトレバーをDからMに入れた。
「ひぃ!」
背中がシートに張り付けられ、景色が早送りの映像のように流れる。かと思えば、急激にくる減速が、シートベルトを体に食い込ませる。
隣を見ると、表情を一切変えず、ハンドルに備え付けられた何らかのレバーを、エンジンのふけ上がる音に合わせてリズムよく押す隊長。顔、怖いですって!
セダンも必死で逃げる。信号も無視して突っ込み、垂直に曲がる。
直線では向こうの方がパワーがあるらしく、どんどん離されていくが、奴が曲がれば曲がるほど追いついていく。
遠退いていく意識の中、気が付く。
「何で近づかれるとわかっていて、曲がるのでしょうか」
「相手がバカなだけか……まさか!」
何に気が付いたのかわからないが、それでも彼はアクセルを離さない。つまり、このまま追いかけることに何か意味があるのだろう。
「おい、マコト‼ 今から無線で応援を呼べ! 特殊機動部隊をな!」
「はい!」
揺さぶられる車体に苦戦しながら、やっとのことで無線機に手を伸ばす。
「こちら四号車! 至急現在地に特殊機動部隊の応援をお願いします! どうぞ!」
だが、応答はすぐには来なかった。交差点を二度ほど曲がったところで、副団長らしき声が聞こえてきた。
「了解した。六機送ろう。併せて君たちの機体もトレーラーで送る。若干の時間はかかりそうだが、それまで無茶はしないように!」
「了解です!」
今までの会話で察するに、この後戦闘があるということだろうか。
しかも、戦うのは……俺っ⁉
「マコト。今のうちに覚悟しておけ。大丈夫だ。あの訓練を耐えたんだ。何とかなる!」
必死の形相で励ます隊長。どうやら俺の予想は正しいようだ。
「マコト。こいつらが向かう先に、何があるか知っているか?」
「え、えーっと」
俺はあまり地理に強くはない。その少ない知識を総動員して予想する。
「倉庫街ですか?」
「たぶん正解だ」
そう、倉庫街だ。周りに民家はなく、大小様々な倉庫が立ち並ぶ土地。そこに何があるというのだろうか。
「あそこには、お前らを襲った奴らの根城があるのではないかと疑いが浮上している。まだ捜査の段階だったが、そうはいかなくなった」
つまり俺にとっては、復讐のようなもの。
「あまり熱くなるなよ。もしかしたらこちらの誰かが死ぬことになるかもしれない」
「は、はい!」
『死』という言葉に、俺の心臓が警笛を鳴らす。
「もうすぐだ」
住宅街を抜け、景色がガラリと変わったところで、セダンは停車した。
カーチェイス開始から五分も経たないうちに、川辺の倉庫街へとたどり着いていた。
どの倉庫も青い塗装が所々禿げ、赤茶色の錆が覗く。
トタンの壁には組み合わさる部位で隙間が空き、中が見えてしまいそうだ。
その捨てられた寂しい空間に、サイレンだけ響いていた。
と、そのときだ。
「マコト、伏せろ!」
隊長の叫び声の直後、右隣の倉庫から、赤々と激しい炎がこちらめがけて放たれた。
が、それはこちらに届くことはない。
「大丈夫か? 二人とも」
無線から聞こえる鋭い声は、アサクラ隊長のものだった。
彼女の駆る機体が、巨大な盾片手に、パトカーと倉庫の間に立っていたのだ。
「今のうちに外へ」
「はい!」
慌てて飛び出て、別の倉庫の陰に隠れ、副隊長機の様子を覗う。
燃える倉庫から現れたのは、かつて俺たちの屋敷を襲い、多くの大切なものを破壊したあの赤黒いボデー。鬼ヶ島。
憎しみより先に来るのは恐怖心。もし、また俺がミスをして、油断をして、誰かを死なせてしまったら。俺はそのとき、耐えられるのだろうか。
「マコト、セダンを見ろ」
「わっ」
無理矢理鬼ヶ島から視線を外される。
次に入った視界の先、白いセダンから現れたのは、二人組の男。
片方は赤い帽子。片方は緑の帽子を被った、両方特徴のあるファッションの男。二人で何かを抱えて降りてきた。
「隊長、あれ」
「たぶん、人攫いだ」
抱えられていたのは、うちの高校らしきセーラー服。
「あの子、もしかしたら知っている子かもしれません」
土曜日の朝で制服ということは、部活動に行く道中に攫われたと推測できる。
「だったら尚更だな。ついてこい」
彼らが入っていった倉庫へ向かおうとしたとき、その倉庫を除く四つの倉庫から、それぞれ一体ずつの鬼ヶ島が飛び出した。
それらは全て、今まさに一つの鬼ヶ島を取り押さえようとしている副隊長めがけて突進していく。
「あ、ああ……」
スローモーションのように映る景色。ゆっくり、ゆっくりと隙間が埋められ、赤黒さの中にシルバーが消えていく。
「マコト! 早く!」
「でも!」
「見ていては何もできん! 今は俺たちにできることをするんだ!」
何故そこまで幼馴染を心配しないのだろうか。こんな大勢に囲まれていて、勝てるわけがない。
それなのに、
「行くぞ!」
俺の腕を引っ張り、二人組の入った倉庫へと向かう。
「中の様子を覗う。少し待ってろ」
入口に先に足を踏み入れる隊長。その姿が消えるとき、凄まじい地響きと、轟音が耳を劈いた。
キーンと鳴る耳を抑えながら、音の方向を振り返ると、そこにはひっくり返った鬼ヶ島五つ。
「これは――」
そうか、忘れていた。
副隊長の必殺技。
「『花び――』」
言おうとしたところで口を塞ぐ。こんな時だというのに、俺は何を考えているのだろうか。
いや、この現実離れした光景に、いつもの感覚がマヒしたのかもしれない。まさしく映画の中の世界が繰り広げられていたのだから。
だが、気を取られている場合ではない。
隊長の消えた倉庫の中をこっそりのぞき込む。
中には鬼ヶ島――とは違うロボットが一つ。
鈍いエンジン音を唸らせ、暴れ始めるのを今か今かと待っているようにも思えた。
「マコト。とりあえず離れよう」
柱の陰から飛び出した隊長に腕を掴まれ、俺達はその倉庫から離れる。
「隊長、あれは何ですか」
炎で頬が焼け付くように痛い。黒煙も広がり、吸わないようにハンカチで抑えるのが精いっぱいだった。
「わからん。とりあえず、鬼ヶ島とやらとは別物だろう」
一切呼吸を乱すことなく、淡々と告げる。
あれは一瞬しか見えなかったが、確実に言えるのは鬼ヶ島よりも大きく、大量の兵器を搭載している可能性があるということ。
「マコト。どうやら俺たちの出番のようだ」
倉庫街の途切れ目。そこには二機のロボット。片方は俺たちの背後で燃える炎で赤く反射し、片方は、その赤すらも吹き飛ばすほど、白く輝いていた。
「カルティノ……」
二週間前から共に訓練をしていた相棒。
「さぁ、行くぞ!」
「はい!」
しゃがませてあるため、コックピットのある胸の位置までは三メートル程度しかない。この乗る動作だけでも訓練はしてきた。訓練の際はもっと高く、登るのに時間はかかったが、今日は大丈夫だ。
「大丈夫。やれる」
自分に言い聞かせ、汗たっぷりな手をズボンで拭う。
そして、俺は白い梯子に手を掛けた。
そのときだ。
「おやおや? 誰かと思えばわいの獲物ちゃんやん!」
さっきまで副隊長と戦っていたのと同じであろう鬼ヶ島が一機、聞き覚えのある特徴的な声をまき散らしながらこちらにゆっくりと向かってきていた。
「なん……で……?」
俺の記憶が正しければ、そいつは――
「わいが自爆したんやと思ったやろ? ちゃうねん」
次回は一週間後を予定しています。
紺〇伝にはまらなければ大丈夫。たぶん。