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第一章 春の始まりの、終わりを告げる話

 三月三十一日。夜。


「レイカ! なんだその態度は! パパの言うことが聞けないというのか!」


 G県の県庁所在地がある市から、少し外れた位置にある小さな森。その森の木々に囲まれた土地にぽつりとある洋風二階建てにある屋敷が雅家執事兼養子の俺、ミヤビマコトの家だ。    


屋敷とはいえ、どこぞのバイオな舞台ほど広くはなく、一般家庭の二階建ての家より二まわり程大きい家といったところだ。


あれ、十分デカイ。


しかもサッカーコート一枚まるまる収まるレベルの庭付き。ほぼ芝生で、その芝生を整えるのは自動芝刈り機。当主自ら発明したらしい。ロボット関係の仕事で培ったキャリアを少し活かすだけで作れるそうだ。さすが旦那様だ。


 その屋敷の少し広めに造られたパーティ会場にもなりそうなダイニングの、長テーブル上座にて、声を荒げる一頭の獅子。


たっぷりと顎鬚を豊かに蓄え、白髪の混じった短めライオンヘアーの大男、それが雅家当主、ミヤビ銀郎ギンロウだ。普段は温厚だが、キレると猛獣すら逃げ出す覇気を噴出する。今がそれだ。


「いいじゃない! 新学期始まってから出してる子もいるのよ! 別に提出期限は明日じゃないんだし!」


 それに対し必死で抵抗をする子猫が一匹。俺の真正面に座る少女、ギンロウの愛娘、ミヤビ麗歌レイカだ。


腰まで伸びた長い黒髪に、キリッとした目元、スッと通った鼻筋、細く挑発的な唇を持つ彼女は、実際非常にモテる。


ただ、声をかけようとした男性は旦那様と俺という最強のATフィールドによって近づくことすらままならなかった。


仮に近づけたとしても、今のこの様子を見れば、一目散に逃げ出すだろう。


現在、お嬢様はナイフとフォークを両手に持ち、徹底抗戦を行っている。ナイフを旦那様に向けられるのは彼女を除いて地球上には存在しないだろう。たぶん。


それ以前に、ナイフは人に向けない! 危険です!


「バカ者! 春休みの課題は春休みにやるものだ!」


 ドスンと机が揺れる。旦那様がテーブルめがけて金槌のような拳を振り下ろしたのだ。が、そこで割れない机はやはり高級だな。


 などと場違いな感想を抱くほど油断をしていると、突然水を向けられてしまった。


「たぶんマコトも終わってないわよ。ずっと忙しくいろいろな仕事をしていたもの」


 チラリと俺を見るお嬢様。


他人の行動を把握できるのも、彼女の才能の一つではないだろうか。


 ……なんていうフォローはどうでしょう。


「そうなのか?」


 旦那様の目がギロリと俺を捉える。その瞬間飛び出た言葉は、


「春休み前に終わらせました」


 しまった。これではフォローどころか自分が休み中にはやっていないという墓穴を掘ってしまっただけではないか!


「さすがマコトだ!」


 嬉しそうに微笑む旦那様に対し、裏切り者! と涙目のお嬢様。


 えーっと、セーフってことでいいのかな?


 まぁ、事実だから仕方がない。


「で」


 スッと真顔に戻る旦那様。自分自身に向けられた訳ではないのに、背中がひんやりしていく感覚に襲われた。


「忙しくもないお前がなんで終わっていないのだ?」


「う……」


 怒りの矛先を再び向けられ、完全に固まる。


 どうにかせねば。


「まぁ、お嬢様の学校よりもうちの学校は課題が少ないですからね」


「そ、そうよ! 本当に課題が多くて終わりきらないのよ!」


 俺、ナイスフォロー!


じゃなかった、さすがお嬢様。なんとか乗ってくれた。


 彼女の通うお嬢様学校では、確かに殺人レベルの課題が出る。それに比べれば少ないかもしれないが、俺の通う進学校もかなり多いほうだ。まぁ、旦那様は知らないでしょうが。


「そうか……。ならば仕方あるまい」


 あまり納得した顔ではないが、グラスに残ったワインをぐいっと飲み干すと、早く終わらせるのだぞと席を立った。


「ご、ごちそうさま」


 お嬢様も、旦那様が出ていくのとほぼ同時に手を合わせ、そそくさと自室へ戻る。その背中には、「終わらせなければ殺される!」という焦りが感じられた。今回の勝負は旦那様の勝ちのようだ。


 俺も一息つくと、テーブルを立つ。さて、片付けますかと腕まくりをしていたとき。

ゾクリと背中から首筋にかけて何かが這い上がるような感覚が襲った。


 後ろを振り向くが、そこにあるのは恐怖に歪む己の顔が映った窓。


「だ、誰ですか!」


 情けない、震えた声が出た。


 もちろん、窓の向こうが応えることはない。


「……」


 何者かをただ睨みつける。


 それがハッタリでしかないことを、恐怖を誤魔化そうとしていることを、俺は自覚していた。その自覚もまた、俺の首を絞める。


 こんな感覚は初めてだった。


「――と」

 こんなこと、何の意味もないことぐらいわかっている。


 しかし、何をするのが正しいのかわからない。


 わからない。怖い。怖い、怖い。


「マコト!」


 肩を激しく揺すぶられた。


「……だ、旦那様――!」


 息も切れ切れに振り向くと、そこには物々しい顔をした旦那様。と思いきや、その強張った顔はやがて緩み、いつもの優しい顔へと戻った。そう、いつもは優しい男なのだ。


 それに気づいたとき、足から急に力が抜け、気がつけば太く毛深い腕に包まれていた。


「もう大丈夫だ」


 旦那様はそう呟くと、俺の呼吸が落ち着くのを待って引き剥がし、神妙な顔つきで俺の目を捉える。


「大事な話をしよう。覚悟して聞いてくれ」


「は、はい」


 こんな目をした旦那様を見たのは初めてかもしれない。


 突然のことに戸惑いながら、俺はその話を聞いた。


 その内容は、しっかり頭に入ってこなかったような気がする。


 西日本の危ない輩がここを狙っているだの、その狙いは地下にあるだの、それは巨大なロボットだの……。


 これだけ分かれば頭には入っていたのかもしれない。ただ、あまりに現実味がなさ過ぎて、それなのに旦那様の顔が恐ろしく本気で、文字通り何が何だかわからなかった。



「お嬢様、マコトです」


 一時間半ほどで残りの仕事も終わり、まだ混乱する頭でお嬢様の部屋へと向かった。


「どうぞ」


「失礼します」


 部屋の中から鈴のような声が聞こえたのを確認し、扉を開ける。


 二階の一番西側の角にあるレイカお嬢様の部屋。白いシンプルな壁紙が清楚さを醸し出す、十畳のかなり広めな部屋。


入って右側の壁沿いに、手前から順にクローゼットと本棚が並ぶ。


本棚には、電子書籍が主流の今時には珍しく、漫画やら小説やらがきちっと分けられ並んでいた。左側には薄いピンクと白のかわいらしいベッド、正面には縦開き正方形の窓と、勉強机。そこに向かっているのは腰まで伸びた長くつやのある黒髪少女。


「ちゃんとやっているのですね」


「え、ええ……」


 その返事は何とも歯切れが悪い。


恐る恐る横から覗くと、空白の数学ワークが横たわっていた。


このお嬢様、文系は得意だが、理数系は致命的な程苦手なのだ。


「誰よ、数学なんて発明したの」


「数学がなければ物を買うことすらできませんよ。さぁ、始めましょう」


「算数あれば買えるじゃない」と文句を言うわがままお嬢様をなだめつつ、雅家執事兼養子、レイカの義兄である雅誠流の家庭教師が始まった。


 が、一時間で彼女は限界を迎えた!


「うがああああ疲れたああああ」


「はい、では休憩しましょう」


 あまりお嬢様らしくないことを言うのはやめてほしい。執事として悲しいであります。


家での丁寧な言葉遣いは求めませんがね……。


「とりあえずお風呂にしましょう」


 このまま続けても効率は恐ろしく悪いだろう。


 そう思い、別の仕事へと頭を切り替えさせることにした。


「はーい」


 お嬢様は元気な返事で席を立ち、部屋のドアを開けながら、こちらを振り向くことなく、


「あ、ありがとう」


 と、消え入りそうな声で呟いた。


「いえいえ。当然のことですよ。終わらせなきゃ欠点になりかねませんしね」


 何とか聞き取れた。が、だからといってこの返答は正しいとは限らなかった。


「そうじゃなくて! その……」


「はい?」


 もじもじとしながら、


「ご、ご飯のとき」


「ああ」


 課題のことでフォローしたときのことだろうか。


「当然です」


「んっ」


 彼女が満足げに出て行くのを見届けた後、俺もココアを用意しにお嬢様の部屋を後にした。


 今回はなんとか正解のようだ。


 だが、旦那様の『あの告白』が、俺の心を満足させてくれなかった。



 次の日。


 頭痛とふらつく足を無理やり動かし、やっとの思いで登校する。


 新学期の始まりの日だというのに、この気だるさは深刻だ。


 新しい教室へと足を踏み入れ、自分の席へと向かい、ドシンと座る。昨年度もやっていた動作なのに、うまく制御ができない。途中で力が抜けてしまう。


そして何より、クラスの喧騒もいつも以上に耳障りに感じる。



 すると、こちらに近づいてくる、目ざw……長身の男子生徒が一人。


「おっはようマコト!」


「ああ、おはよう」


 去年も同じクラスだった友人、ノボル。


 黒髪の両サイドを刈り上げた短めのソフトモヒカン。学ランの第一ボタンを外し、中に着込んだ赤いバスケウェアが目立つ青年。性格も見た目相応、少しやんちゃだが、根はいいやつだ。たぶん。


「テンション低いぜ。大丈夫か?」


「大丈夫だ。問題ない」


 そう言い、さっさと立ち去れと顔を伏せた。


「全然問題大アリじゃねえか!」


 夢間ユメマノボル――バスケ部のキャプテン候補。イケメン。天才。スタイル抜群。


 この三高揃った彼にも欠点はある。


「よし、お前を元気づけてやる! えーっと……お、リョウちゃん! また同じクラスだね! よかったら部活終わってから――」


「うぅ……ヒック」


 同じく去年も同じクラスにいた女子、リョウさん(苗字は忘れた)は怯えて泣きだした。


 これは今回に限った話ではない。


彼がいろいろな女の子に声を掛けまくり、全校、いや、この地区の学校全ての女子から警戒されブラックリストに載っているというのはここらじゃ有名な話。彼曰く、大会の時、何故か女バスが自分の視界に入らないそうだ。哀れだね。


「何故だああああああああああああああああああああ」


「頼む。今の俺のそばでそんな大きな声を出さないでくれ」


「酷い!」


 まぁ、気持ちはありがたい。だけど、うーん……何かもう少しまともな方法は思いつかないのだろうか。


 仕方がない、リョウさんには後で謝罪をしておこう。


「よーし、お前ら、全員揃っているか?」


 そのとき、一人の教師が教室に入り、適当に確認した後、外に並べと指示を出した。


 これから体育館に移動して、始業式を行うのだろう。この先生はその引率をしに来ただけで、別に今年の担任というわけではなさそうだ。


 ぞろぞろと皆が歩きだしたとき、ふと、後ろから肩を叩かれた。


「なぁ、お前本当に大丈夫か?」


「ん?」


「さっきからフラフラとしてるし、目にもくまができてるしな」


 慌てて目の下に手を伸ばすと、心なしか、肌がざらついて感じた。


「無理するなよ」


 ノボルに心配される程疲れが溜まっているらしい。


「気をつけなくては」


 誰にも聞こえない程度の声で呟き、気を引き締めて、再び歩き出す。



「これで、始業式を閉式します。一同、礼!」


 司会の先生が号令をかけると、点でバラバラなあいさつと礼で始業式を締めくくった。


「あれ?」


 気がつけば、始業式が終わっていた。


体育館の壁のアナログ時計を見れば、確かに開始から小一時間経過していた。


気を抜いた間にどうやら眠ってしまっていたようだ。


「なあなあ、今年の副担めっちゃ可愛くね?」


 突然、後ろから肩をバシバシ叩かれ、目が覚める。


「え?」


「あ、お前、新任教師の紹介のとき寝てたろ! 新しく来た先生、ハルノ先生って言うらしいんだけど、イマドキの女子大生って感じで、超若くて超可愛いぞ!」


 ノボルはかなり興奮していたのか、かなり大きな声でまくし立てた。可愛いのはわかったが、そこまで興奮する程なのだろうか。ちょっと気になる。


なんかこっちを見ていただのなんだのと、嬉しいのはわかったが、ただ大げさに騒いでいるだけかもしれない。こいつの目は女に飢えている野獣だからな。


 そもそも女子大生は高校の副担任になれる訳がないぞ。


「ただ、担任は……」


「悪いのか?」


 尋ねると、うなるような低い声で答える。


「ああ、なんてったってあの小垣コガキだからな……」


「コガキ? あぁ、あのおっさんか。そんなに悪いのか?」


 コガキ先生に対し悪い印象はなく、どこにでもいそうな普通の先生だと思っていた。疑問を抱いて聞き返すと、ノボルはアチャーと大げさに額を抑えた。


「本当に噂話に疎いんだから! いいか、マコト」


 ノボル曰く、彼は過去にクーデターを起こし、逮捕されかけることがあったそうだ。逮捕されなかったのは、当時は日本革命の真っ只中で、警察機関がマヒをしていた為であるらしい。


「でもそれ、所詮は噂話なんだろ?」


 疑いの目を向けると、


「いや、まぁそうなんだけどさ」


 ドヤ顔で


「でもほら、ことわざかなんかであるだろ? 火のない所に煙は立たぬってさ」


 と、言った。


「お前からことわざが出るとは思わなかったわ」


「なっ!」


 この世の終わりのような顔をした。まぁ、頭いいのは確かなんだけどね。


 それよりもただ、それが本当だとしたら……。


 これ以上深く考えるのはなしにした。



 教室に戻り、担任が教壇の真ん中に立ち、その横に副担任が立つ。そして自然とHRが始まった。


「二年一組の担任となりました、コガキと言います。みなさんこの一年間よろしく」


 コガキ先生は教卓に太い両腕を立て、力強い声で自己紹介をした後、黒板に白いチョークで縦書きで『小垣コガキ俊之トシユキ』と美しい行書体で書く。


 彼の背はあまり高くなく、何処にでもいそうな中年の体つき、そして、ブルドッグのような厳つい顔をしていた。それでも、あまり悪い人には思えない。


 自己紹介をしている間、クラスはざわつきっぱなしだった。話の内容から、やはりあのあまりよろしくない噂のことだろう。


「では、ハルノ先生、お願いします」


「はい!」


 コガキ先生が横にずれ、教壇の真ん中にハルノ先生がパタパタとスリッパを鳴らして入る。


「みなさんはじめまして! 副担任となった……」


 一旦黒板の方に向き、白いチョークでコガキの名前の横に、自分の名前を書き、名前が見えるよう、少し横にずれると、非常に明るく耳触りのいい透き通った声で自己紹介をした。


春野ハルノカナデと言います! 二十三歳です!」


めちゃくちゃ若いなーなんて思っていたのも束の間。一つの爆弾が投下された。


「恋愛対象はプラスマイナス八歳までです」


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 二年一組の獣たちは、勝利の雄たけびを上げた。自分たちも範囲内だからだろうか。


 見た目は確かに若くてきれいな先生だ。年齢の割には、というと少し失礼かもしれないが、少し幼さがあり、二十代と言われるまでまだ十代に見えてしまう。


少しカールの入った焦げ茶のショートヘアがとても似合っていて、ニコッと笑った時の大きな目が細まる所は、俺も少しドギマギしてしまった。


背はコガキ先生よりかは少しだけ低いが、女性としては高いほうだろう。スタイルはスラリとしたモデル体型。熟したイチゴのような艶っぽい唇、豊かに蓄えられた胸の二つのふくらみに、獣だけでなく、恋する乙女までもがうっとりしてしまっていた。


「先生! 好きな人は居ますか!」


「先生! 彼氏は居ますか!」


「先生――」


 始まった質問ラッシュ。まだ寝起きの頭にガンガン響く。


「はいは~い。順番にね」


 まるで小学生を相手にするように対応を進めるハルノ先生。


その少し困ったような照れたような、複雑な表情はどこか懐かしさを覚えた。


「え~っとぉ、好きな人は居ます! 十年来の片想いよ!」


「キャー!」


 黄色い鳴き声にコガキ先生は顔をしかめる。さっきとの温度差がありすぎる。


 同情します。先生。


「だから彼氏はいませ~ん!」


「じゃあ、俺と相思相愛に!」


「ダメよ! ダメダメ!」


 いにしえのネタでひらりと返すハルノ先生。そこに隙はなかった。


「じゃ、じゃあ、このクラスで好みの男子は居ますか!」


 一人の男子が質問をした。というより、後ろから聞こえた。ノボルである。


 アイツはまた傷を作る気なのか? 仕方ない。傷だらけの獅子の称号を与えてやろう。


「ん~そうね……」


 と言って左から右へと品定めを始めた。その様子をクラスが固唾かたずを飲んで見守る。


 そして、俺と目が合った。


「っ……」


 ドキリとした。しかし、それは恋のトキメキではない。甘酸っぱい何かではなく、ドロリとした恐怖。例えるなら、天敵に狙いを定められたようなものに近いだろう。


「あら? その質問者君……」


「っしゃああ!」


 後ろから喜びの雄叫び。


「の前の男の子!」


「は、はい⁉︎」


 少し、自分ではないかという身構えもあったにも関わらず、声が自然と震えた。


「お前かよ!」

「ミヤビ、羨ましいぞ!」

「キャー」


 ハルノ先生の俺を見る目に、俺は全身の血が足の先からすべて流れ出てしまうような感じを覚えた。


様々な野次やら歓声やらが飛び交うが、耳にはどれ一つ言葉として受け止められない。それほど恐怖を感じた。


「おいおい、嬉しすぎて緊張してるんじゃねえって! この野郎!」


 後ろから茶かすノボルの声を、辛うじて雑音ではなく言葉として受け止めることができた。


違う……そんなんじゃない。もっと、別の何かだ。


 それが何なのか、理解できない。


 その心を読んだかのように、一瞬だけキュッと目を細めると、


「あら、あまり喜んでいただけなくて先生、ショックだわ……」


 と、頬を両手ではさみこみ、身を捩る彼女。その様子を見て、さらに教室は沸いた。


「てめえ! もっと喜べよ!」

「サイテー」

「萌え~」

 口々に勝手なことを言う野次馬。


 当事者の後ろからもため息混じりの声が聞こえたが、あまりうまく聞き取れなかった。


「あはは、すみません。こういうのにあまり慣れていなくて……」


「そりゃそうよね! 先生こそごめんね!」


 愛想笑いを浮かべて誤魔化すと、ハルノ先生は両手を合わせて可愛あざとく謝った。


 その後、話はまた別のものに変わっていき、彼女の照準が俺から外れると、次第に気持ちは落ち着いた。


 あれは一体なんだったのだろうか。同じような感覚、確か昨日も……。


 昨日の出来事を思い出すと、気が気でなかった。正直、早く帰りたい。


 ハルノ先生への質問ラッシュによるハプニングで少々長引いたHRも、やがて担任からの連絡事項で締められる。


「気をつけ、礼」


「ありがとうございました」


 すぐに教室から出る者は少なく、すぐにハルノのもとへ生徒は集まり、その隙に後はよろしく頼みますとコガキ先生が逃げるように去って行った。同情します。


 さて、俺もその流れに乗りますかな。


カバン担ぎ、そそくさと帰ろうとするも、邪魔が入る。


「おいおい、待てよ恋敵!」


「恋敵になったつもりはねえよ」


 副担任の周りに居たはずのノボルが、まるで瞬間移動したかのように現れ、いきなり肩を掴む。俺とノボルの席は窓際から二列目、一番後ろに並んだ席。彼女の居る場所は、廊下側の教壇。かなり遠い位置のはずだ。


「今日これからカラオケ行こうぜ! 折角午前で終わって、さらに部活がオフなんだ!」


「お前、今朝部活が終わってからとか言ってなかったか?」


 しかし、自慢げに鼻の下をさすり、


「オフになったのだよ!」


 なるほど、サボりか。


「カナデちゃんも誘うからさ!」


 先生をいきなり下の名前でちゃん付けするとは……。


「やめてくれ。てか、絶対無理だろ。初日は絶対に忙しい。後、俺も忙しくてさ」


「ちぇ、またかよ」


「悪いな」


 ノボルの拘束を解くと、マコトはさっさと教室を出て、下駄箱へ向かおうと廊下を歩き始めた。


あいつの誘いには今まで乗ったことがない。いつか一緒に遊びに行きたいが、自分は執事である。家のことを最優先しなければいけないのは宿命だ。


 そんなことを考えていた。そのとき。


「マコト」


 声の方を振り向くと、もみくちゃになっていた大人気、ハルノ先生が必死になってこちらを見ていた。


 って、いきなり呼び捨てですか……。


「またね。気をつけて帰るのよ」


「は、はい」


 何事かと思えば、たったそれだけだった。


 だが、俺はその『気をつけて』にすら深い意味を考えてしまっていた。疲れているのかもしれない。



 どうやら俺は本当に疲れているようだ。


「なんだ……これは……」


屋敷の庭の前まで着いたとき、その異様な光景に言葉を失った。


 巨大な赤黒い鉄の巨人が四体、屋敷を囲うように、四体それぞれ四つ角に佇んでいたのだ。


 そのゴツゴツとした戦車のような装甲に、屋敷の屋根を超えるほど大きな背丈は、一つの岩山を彷彿させる。幻覚でも見ているのだろうか。アニメや映画の世界からそのまんま飛び出してきたような巨大ロボットが、そこに居たのだ。


 頭部には、不気味に光る白い双眼、鋭い角が額から後ろへ鎌のように曲がり、背中は異常に盛り上がっている。臀部でんぶ辺りからは、排気部と思われる黒い管が二本まっすぐ飛び出ていた。


 ゆっくり観察すれば、頭が回るようになってきた。


 きっとこれが旦那様が言っていたものなのだろう。


 俺は自転車と共に森の木に隠れながら、どうするか考える。


 お嬢様の学校も午前授業だったし、旦那様は自分の娘は自分で迎えに行きたい人だったため、もしかしたら家の中にいるかもしれない。いや、いるだろう。


三十分も前の自分の入れたこれから帰るという旨の連絡に、既読きどくのマークがついていないのだ。返信の早いこの親子が既読をつけないなど、何かあったからに決まっている。


無理に突入しても、あんなのに太刀打ちはできない。今は動いていないだけで、いつ動き出すかわからないし、あんな銃口から放たれるものが当たれば、ひとたまりもないだろう。


 とりあえず通報するべく学ランのポケットからスマートフォンを取り出し、『自警団ジケイダン』の番号、九十九番へとかけた。


 自警団というのは、日本革命時の警察組織事実的崩壊により生まれた組織で、利益は求めず、ただ、人を守るために戦う正義の味方だ。おかげで東日本では今も治安は維持されている。特にマコト達の暮らすこの県は、西日本との境界と接しており、他の都道県と比べ、その体制は強化されている。


 後は待つだけだと思っていた矢先、そのとき。スマホの着信がやかましく響いた。


 その画面にはお嬢様の名前が表示されている。彼女は無事だったのだ!


「お嬢様! ご無事だったのですね!」


 歓喜のあまり涙が溢れてしまう。まだ解決したわけではないのに。


「ええ。そっちも大丈夫そうね」


 その声は押し殺したかのように小さく、恐ろしく落ち着いていた。


「お嬢様、現状を教えて頂いてもいいですか?」


「ええ」


 帰宅のタイミングに合わせて襲われたということ。


 旦那様が盾になり、お嬢様だけ地下シェルターに逃げ込んだということ。


 電波が悪く、繋がるのに時間がかかったということ。


 旦那様は今も捕まっているということ。


 そして、お嬢様を探して、今も奴らが屋敷を捜索しているとのこと。


 奴らは男五人組だということ。


「わかりました。お嬢様はそこから動かないでください。通報も完了しましたので、後は自警団が何とかしてくれるでしょう」


 そう言うと、何故かため息混じりに


「そうね」


 と呟いた。


 とにかくお嬢様の無事は確認できたのだ。それだけでも十分朗報だった。


 ただ、旦那様だけは心配だが……。


 だが、それ以上に自分の身を案じなければならなかった。


 ここが安全であると、心の奥底で安心しきっていたのだ。さらに、眠気と疲労感も、ピークに達していた。おかげでというと言い訳に聞こえるかもしれないが、注意力が散漫になり、後ろから現れた人物に気がつかなかった。


 気がついた頃には、俺めがけ腕が伸び――


「しまっ――」


 首筋に痺れるような激痛が走るのを最後に、ぷっつり視界が消えた。




次回投稿は少し間が開くと思います。

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