第四章 『ごめんねミモちゃん』
スマホの振動が止まらない。
塾を出てからメッセージを受信しっぱなしだ。
操作が分からないとはぐらかし、逃げ切ろうと考えたのだが今や業界七十%のシェアを誇るPear社のlPhone6だ。美護が操作が分からなくても他のユーザーが使い方が分かるので、スマホを取り上げられ勝手に交換を進められてしまった。
画面上には見慣れぬ名前がずらりと並んでいた。まともに自己紹介を行っていないので、名前だけでは誰が誰だかわからない。数的にクラスメイト全員と交換したわけではなさそうだ。「参ったな」と、言う感じでスマホの電源を切る。翌朝、電源を点けるとメッセージと着信の数がありえない事になっていた。覚悟を決め一件一件確認していく。
はじめは皆、自己紹介や美護への質問が中心。中には挑戦状らしきものまで送られてきていた。しばらくすると返信が無いからか催促や、身を案じてくれるような内容に変わっていき、今に至る。お詫びのメールを全員に一斉送信。するとすぐに返信が! しかも、次々と……流石にこちらから送っているので無視するわけにはいかず、律儀に返信をしていると、いつも家を出る時間を過ぎてしまっていた。本日も遅刻ギリギリの登校になってしまった。
登校中もメッセージをチェック。勇者の事、学校での事、美護の事様々な内容の連絡ではあるが一貫して『佐藤美護はすごい』と言う、尊敬のような内容が多かった。
普段から目立たぬ様にして生きている美護にとって、数多くの人間に尊敬されるのは生まれて初めての事だった。
そんな連絡が合宿に行く前日の夜まで、続くのだった。
政府による海上都市計画とは、人口爆発により支える事の出来なくなった人口をカバーする為に、日本各地の海上に人工の島を造り、いざと言うときに備えて衣食住全てが揃う様になっている。海上都市は都道府県とは違い、都市独自の規律が設けられている。
そんな海上都市計画・第三番目の都市『阿菅』は東京都心に近いと言うところから大手企業のビルが立ち並び、そのアクセスの便利さからベットタウンになっていたりする。
この都市だけ完全な人工の島ではなく、天然の島を活用して出来ている為、他の島と比べて毛色が違った。通常、商業区・居住区と区分けされているのだが、阿菅には自然区と呼ばれる区画が設けられている。阿菅には棲梶山と呼ばれる山が島の南側にそびえている。昔から霊山として親しまれ、毎年数多くの人が山頂に足を運んだ。この山の中腹にはキャンプ場があり、一年を通して人々で賑わっている。
今回、麻林塾が合宿に訪れたのも棲梶山にあるキャンプ場『オートキャンプSUKAJI』だ。朝早くから集められ、徒歩でキャンプ場まで向かう。皆、一様に汚れてもいい服装だ。美護は学校指定のジャージ。
螺旋の手により適当に班分けされ美護は、裂と千雅と同じ班になった。顔の見知った者同士と言うのは、螺旋の配慮であろう。
「実践演習は明日になります」
落胆する生徒達、早く自分の力を試したくて仕方が無いのだ。
「まぁ、そんなに落ち込まないでください。明日、思う存分出来ますからね。今日は一日レクリエーションになります。もうそろそろお昼になるので、おいしいカレーを作りましょう! 夜はおなじみ、キャンプファイヤーです」
一斉に調理開始!
美護班は千雅が中心になり進めていく。美護は野菜を洗う係、千雅が米研ぎ係り、裂が火を起こす係だ。千雅はウインドブレーカー、裂は体操服の出で立ち。
美護は野菜を抱え、洗い場へと向かう「こんなに食べれるのだろうか?」と、不安になる量だった。他の班もなかなかの量だ。
「いつになったら火が付くのかしら?」
飯盒を持ちながら千雅はイライラしていた。
「ウ~ン、あとちょっと!」
裂が自ら火起こしを志願したので、さぞ、自身があるのかと思ったら待てど暮らせど火が付かなかった。
「それ、さっきも言ってましたわよ。他の班はもうとっくに付いてますわ」
「何でだろうおかしいなぁ。でも、大丈夫! 絶対付くから」
「……」
それからブツブツと独り言を吐き、ライターで火傷しそうにまでなっていたが一向に付く気配が無く、焦れた千雅が交代するのだった。余った裂は美護の手伝いに回される。
テキパキと新聞紙を丸め、木を組んでいく。千雅は火起こしの経験があった。幼い頃に経験した本物の勇者達との生活、その中で憧れの男に教えてもらった事がある。彼からはいろいろな事を教わった気がする。火の付け方、勇者の世界、恋……火を見ているとその思い出が蘇ってくる。自分が生きていると感じられる幸せだった日々を。そんな彼は自分の前から姿を消した。生きているのか死んでいるのかすら分からない。けれど、千雅は死んでいるとは思わない、あの男は主人公なのだ。主人公は決して死んだりなんかしないのだから。
そんな思い出に浸っている千雅であったが、今度は野菜を洗いに行っている二人がなかなか帰ってこないことに気付き、飯盒だけセットして迎えに行く事にした。
横並びで仲良く野菜を洗っている美護と裂。本来ならもう終わっているのだが折角洗った野菜を、裂が地面にぶちまけてしまい、また洗い直すハメになってしまった。千雅にどやされる事を二人は覚悟した。他の班は既に洗い終え撤収していた。
「ごめんね、ミモちゃん。裂のせいで……」
「いいよ。洗うのなんてすぐ終わるし」
「……そのことじゃなくって。退学の事」
「あぁ……」
『裂がクラス委員にならなければ退学』この約束は今回の合宿で果たさなければならない。もしなれなければ、彼女は塾を去る事になってしまう。これは後味が悪い、皆の前でも宣誓してしまった。
「素朴な疑問なんだけど、この塾以外の塾じゃ駄目なの? 他にも勇者の塾あるって話だよね?」
「麻林は阿菅でも指折りの塾なんだ。裂の家族は皆ここの出身なの。それとちゃんと勇者になれなきゃ裂は家追い出されちゃうし」
裂の家は先祖代々勇者をしてきた家系。彼女も十二代目の頭首になる予定だ。幾度となく敵からの侵攻を防いできた由緒ある一族、それが木佐紀崎なのだ。そんな家系にありながら彼女は落ちこぼれ、勇者候補生ですらいられないなど、一族の恥で勘当されてしまう。中学生であっても家から追い出され、路頭に迷わされる。そこまでやるほど、厳格な家系なのだ。絶対そうなると裂には確信があった。
「だから、何が何でもクラス委員になって、勇者にならなきゃならないの」
さらに重荷が増えた気がした。「ここを辞めても他の塾に入ればいい」と思ったのだが、それは難しそうで、このご時勢に中学生が宿無しで生きていけるわけなど無いのだ。
「必ず勇者になるって大事な約束もしてるしね。ここで絶たれる訳にはいかないんだ」
確固たる意思を感じた。”祖師ヶ谷の彼女になる”などと言う動機が、恥ずかしくてたまらなかった。他のクラスメイトもきっと同じように目的を持って塾に通っているんだろうと思い、なおさら自分の動機が”普通”ではないと、感じるのであった。
「そうなんだ……私、裂ちゃんの為にがんばるよ」
帯を締めなおす。まずは裂をクラス委員にする為に今日明日は乗り切る、そう誓った。
「あなた達、まだ洗ってましたの? 他の班もう煮立ててますわ」
迎えに来た千雅に満面の笑みで答える。
「ごめんね、センちゃん。もう終わったよ!」
さっきまで落ちていたとは思えないその切り返しの速さに、感心してしまった。
「さっ、ミモちゃん行こう!」
「う、うん」
何とかカレーを作り終え、いただきますをしたのだが、最後になってしまった。
「まだ食べている班もあると思いますが、これからの流れを説明します」
各班にプリントが配られる。
「これからウォークラリーを行います。配られたプリントの指示に従って各班で協力して時間内にここに戻ってきてください。各チェックポイントには問題を出題する先生達がいるので、問題に答えてください」
まず、席を立ったのは牛男だった。
「カレー食ってる場合じゃあないな! 皆! 急ごう!」
頬にカレーを付けたまま走り出す!
「牛男君! ちゃんとカレーを完食して、片付けてからスタートしてください」
「うぐっ……ハ~イ」
渋々席に付きカレーをかき込んでいくのだった。
それから、次々と各班スタートを切っていく。
「気をつけて行ってらっしゃい。最近、野犬が出るようなので山道から外れないようにもして下さい」
北ノ庄城班が一番にスタートし、続いて妹子の班、それを追うように路加の班と牛男の班がほぼ同時に飛び出していった。便宜上、スタートした順にA班・B班と付けられ美護達は最後のE班だ。
「裂のせいでスタートが遅れてしまいましたわ」
「まぁまぁ、大丈夫よ。残り物には福があるって言うでしょ?」
「裂ちゃんそれ、使い方違くない?」
「それに、クラスのトップ一位と三位がいるんだもん。余裕のよしえさんだわ!」
「……はぁ、いいですわ。行きますわよ」
裂と同じ班になった時から大変になると思っていたが、予想以上に大変になりそうな予感がしてならなかった。
各班に配られたプリントにはそれぞれルートが書かれていて、それに従って山道を進みチェックポイントの問題を解いていくというものだ。最初の一問目だけは各班同じ場所になり、勇者や敵に関する問題が中心だ。
途中、裂が山道から足を踏み外し転げ落ちたり、千雅の先導で進んだら何故かキャンプ場に戻ってしまうハプニングがあったが、何とか一つ目のチェックポイントに到着した。
男性教師が一人、美護達の到着を待っていた。
「お疲れ。まずは一問目、敵とは何ですか?」
「確か敵って、勇者達が戦ってる奴だよね」
「そうですわ。なぜ現れ、人々を襲うのかは解っていない……」
「じゃあ、ここの答えは何になるのかな?」
美護と千雅は思考を巡らせる。千雅はまじめに答えを出すために、美護も脳内を探ってみるのだが、答えが見つかるわけは無い。
「やっぱり、人類の敵って事でいいのかな?」
「ウーン。それでいいんじゃないかしら」
「では、答えはそれでいいですか?」
千雅が「ハイ」と、確定しようとした時、裂が割って入ってきた。
「ちょっと待って、フィエル=人類の敵って言うのは間違いないよ。けど、実際は人類だけではなくって、この星に生きとし生ける物の敵って感じになるかな? 奴らは”地球滅亡”とか、そうゆう予言がある時、頻繁に現れるのは知ってるよね? その予言を実現させる為に……ちなみにフィエルって言うのは『信者』って意味なんだ”予言の信者”って事らしい。そんな敵の活動時間は圧倒的に夜が多くてさ、闇から現れるって言われてるの」
喉の調子を整え、少し年老いた女性の感じで話を続ける。
「『闇から来て、どこへ行くかは誰もわからない』これは、ベストセラー『七月の月』で語られている。だから、答えなんて解らない。差し詰め”未知の生物”が、正解ってとこかな? それに解っていたら、勇者達から攻め込んでいるもんね。裂達が後手後手に回ることなんてないよ」
メガネが太陽光をキラリと反射させる。ものまねを交えて饒舌に解答を出した。山道を踏み外していた人物とは別人のよう。
解答が的確だったので、男性教師も驚きを隠せない。普通の生徒なら『人類の敵』と、答えを出すところだ。けどこれは100点ではない。七月の月の例文を出し、ベストの解答を見せた。
100点の回答の話をして、悔しがる生徒の顔を見るのが彼の楽しみだったのに、今回は叶わなかったようだ。この問題をここまで綺麗に答えたのはこの班だけだった。
ちなみに、”フィエルが信者と言う意味”は、次の問題だった。既に二問目も突破が確定した。
「は、はい正解だ。しかも100点! 次もがんばれよ」
「すごいですわね。火起こしの時とはまるで別人じゃない……」
「そんな事ないよ。二問目へ行こう」
あっと言う間に二問目をクリアし、三問目に突入した。ここには長身の男性教師待っていた。
「おっ着たか、話は聞いてるぜ。なかなかに優秀らしいな。だが、ここは難しいぞ。三問目、ムー大陸の戦いで現れた敵の数は? また、当時戦闘に参加した勇者の数は?」
「敵が約25万体で、勇者は1000人弱です」
男性教師の眉が動く、また裂が即答だった。しかも、正解。が思考を巡らせようとするよりも早い。
一問目、二問目の教師から連絡を受け、少し難易度を上げてみたつもりだったのだが、余り意味を成さなかった。
「そんなに差があるの! それで、大丈夫なんだ……」
美護が素朴な疑問を投げかける。単純に25倍もの戦力差があったのだ。こうして生活できているのが不思議であった。男性教師は質問に答えるチャンスが来た! 彼が解説をしようと口を開くと……
「大丈夫だよ! 25万体いてもその殆どが雑魚級なんだ。|強者級《
フォルテ》は100体もいなかったんじゃないかな?」
裂に奪われてしまった。
「うぅ」
美護はあからさまに解らないと言う表情。面目を保つ為、男性教師が再び解説をしようとするも、裂に先を越されてしまう。
「敵には階級があるの、数ばかり多いのが雑魚級。その上が常並級。一番上が滅多にお目にかかる事がない強者級って、感じにね」
敵の階級については、基礎知識で千雅も当然知っていた。そして、そのことを美護が知らないのが謎だった。
大きな予言の前でもない限り常並級以上は”まず”現れない。勇者の殆どが戦うのは雑魚級だ。雑魚とは言え、意思兵装がなければ人間との戦闘差は歴然ではあるのだが。
あまりにも出番が無い男性教師はいじけてしまい、邪険に送り出される三人であった。
四問目は『勇者とは?』と言う問題で、流石に美護でもわかる問題であった為、自信満々に答え先を急いだ。
五問目には太った女性教師が待っていてくれた。
「ここは五問目よ。さて問題、現・英勇者は何代目? 一人一名の名前と、そのクラスを答えて頂戴」
「ここはワタクシが、今の英勇者は”二一代目”ですわ」
答えたのは千雅だった。ここまでイイトコのない彼女は、ここぞとばかりに答えるのだった。
「ウン! 正解、それじゃあ名前は解る?」
「えっと、太田薮塚みどり。クラスは救世主だったわね?」
「おっ、みどりさん取られたかぁ……”治せない病は恋の病だけ!』って触れ込みなんだよね。んじゃあ裂は……”防具を着けるより裸の方が硬い”闘戦神、安達太良さん!」
当然のように正解。
「次はミモちゃんね!」
順番が周って来てしまった。頭の中を検索するが、なかなか出てこない。用語の意味を思い出すので一苦労。
「先生、問題もう一回いいですか?」
「いいわ。現・英勇者は何代目? 一人一名の名前と、そのクラスを答えて」
英勇者!
全ての勇者の中で最強の六人に与えられる、正義と最強の称号。それが、誰だったのかよく思い出す……
「あっ! 祖師ヶ谷大蔵君だ!」
妹子が持っていた、週刊ヤングユウシャに祖師ヶ谷が載っていた。そこには『巻頭特集! 英勇者・祖師ヶ谷大蔵の素顔に迫る!』と、書かれていた事を思い出す。
「大蔵君のクラスは何かな?」
「聖王剣……ですよね?」
「正解! なかなかやりますね」
「そ、そうでしょ?」
先日の連絡先交換で祖師ヶ谷の事はこっそり妹子からイロイロ聞き出していた。彼に関するリサーチは怠ってはいけない。
「裂ちゃん……祖師ヶ谷君の追加情報は無いかな?」
リサーチは怠ってはいけない!
「ん? えっと、彼は”勇者史上最速で英勇者”になったんだよ。すごいよねぇ、裂達と同い年。両親の血を色濃く受け継いでいるってことかな?」
裂自身も同じように、優秀な勇者の血を受け継いでいるにも関わらず、クラス最下位で祖師ヶ谷は英勇者……言っておいて少し複雑な気持ちになる。
そんな事を思っているとは露知らず、祖師ヶ谷を生んでくれた両親には感謝! 感謝! 足を向けて眠れない美護だった。
「でも中身はまだ中学生なんですってよ。この前も学校でゲームやってたのバレたらしいですわ」
既出の情報だった。少し千雅の情報にがっかりし、先を急ぐ。
山道を裂が先頭に立って次のポイントまで進む。美護と千雅は少し後方。
「ねえねえ、千雅ちゃん」
「? どうしました?」
「裂ちゃんさっきからすごいよね」
「そうですわね。ワタクシみたいな部外者出身じゃ、知識量で勝てそうにありませんわ」
もし、入学テストやスペック測定が今回のような問題だけであったらおそらく、裂がクラストップに立っているだろう。401号室において勇者の事に関しては、裂の右に出る者はいない。
「私だって同じだよ。全ッ然! 解らない事ばっか」
美護の事は絶対に勇者の家系だと思っていた。スペックはクラスで一番、意思兵装はかなり特殊な物だった。そんな人間が、勇者の血を引いていないはずは無い! そう決め付けていた。しかし、初日と二日目の彼女の言動をよく思い出す。
テスト返却時のリアクション。普通なら大喜びしてもいいものだが、彼女は顔面蒼白、0点でも取ったかのような表情だった。意思兵装の具現化についても慣れている感は無く、まるっきし始めまして状態に見えた。
始めは部外者出身のを馬鹿にしているのかと思ったのだが、その一生懸命に取り組んでいる姿から騙そうとか、引っ掛けようとしている感じはしなかった。
「まさか……美護も部外者なの?」
首は縦に振られた。
「でもでも、色々独学で学んできたんですわよね? ワタクシがそうでしたもの。勇者の家系でないなら、それ相応に勉強はしているはずですわ」
首は横に振られた。
「たまたまこの塾のチラシ見つけて、高校進学の為に学習塾だと思って、テスト受けたんだよ……」
返す言葉が無かった。千雅は血の滲むような努力を積んできた。部外者が勇者になると言う事は、それほど大変な事なのだ。
スペックを向上させる為のトレーニングを日課にして、もう何年に経つだろうか……きっと、美護のような人間を主人公と呼ぶのだろう。初日に冗談で言ったが、心からそう思った。認めざるを得ない。
努力を凌駕する才能を見せ付ける。それが、主人公と言う奴なのだ。
「悔しいですわ……」
「ん?」
「何でもありませんわ」
思わず声に出してしまった。しかし、千雅自身も、才能が無いと言うわけではない。勇者の家系の連中を差し置いて、クラス三位なのだから。彼女の掲げる主人公の枠にはちゃんとはまっている。
憧れの男がそうだったように、千雅も主人公と言うものに強いこだわりを持っている。あの男に一歩でも近づく為にと真似るうちに口癖になっていた。
「改めてよろしくですわ。同じ部外者出身ですもの、お互い切磋琢磨してがんばりましょ」
握手を交わす二人。
美護は『同じような状況の友人が出来た』と、千雅は『良きライバルが出来た』と、思いながら。
そんな話をしていると次のポイントに到着。
「ここが最後のチェックポイントですよ」
そこには螺旋が待ち構えていた。
「最後にスタートした筈のE班が一番乗りですね」
確かに一番最後に片付け終わりスタートした。一問目に着いたのも最後。しかし、最終問題にたどり着いたのは一番であった。他の班は途中の問題で詰まっている。特別美護達のルートのレベルが低かったわけではない、むしろ少し上がったくらいだ。これも裂のおかげであろう。
「では、最終問題。各スペックの役割を答えてください!」
「こんなの簡単ですわ!」
裂よりも早く回答権を得る事が出来た。
「攻撃は炎、物理的攻撃の値。耐性は地、ダメージを軽減する値。魔力は水、魔法的攻撃の値。素早は風、身の軽さの値。体力は光、体力の値。魔量は闇、精神力の値ですわ」
「ミモちゃんの為に補足すると……物理攻撃って言うのは、意思兵装による攻撃の事。耐性は物理と魔法攻撃からのダメージ軽減。魔力が高いと消費魔量を抑えられる。素早さってのは、単純なスピードもそうなんだけど、意思兵装を具現化するスピードでもあるんだ。体力が0になったから死ぬって事はないよ、安心して。魔量は具現化していられる時間の事だね」
の答えでも間違いではないのだが、螺旋の求めていた答えは裂のものであった。流石に知識に関しては認めるしかなかった。こんな人材を手放すのは惜しいのだが、上の決定なので従うしかない。
「所でなんで属性って言うのがあるの? 私、別に魔法とか使えないし」
「それは」「それはね」
千雅と裂の台詞がかぶる。どうぞどうぞと、言う感じで裂は千雅に譲る。
「昔は今のように攻撃とか、魔力なんて言っていませんでした。変わりに六大属性である”地水火風光闇”が使われていたんですの、それの名残ですわ」
「あとね……」
また千雅の発言に補足を入れる裂。少しムッとさせるが知識をひけらかそうとしているわけではなく、単純に彼女の善意である。
「魔法を使う勇者も少ないからね。硬派な魔術士なんて見たこと無いもん。裂のパパの時代はまだいたらしいけど」
かつて魔術士は広範囲・高出力で敵を殲滅する事が出来る花形のクラスであったが、魔法発動までの時間などのリスクを考えると、使う者が少なくなっていった。そして、潜在晶の発見により、意思兵装が誰でも具現化できるようになってからは、魔法を使う人口は加速的に減っていったのだ。
「ってかさ、魔法って聞くとなんか”昭和”って感じするよね」
「確かにそんな気がしますわ」
キャッキャッと笑い合っている二人を見て、同年代の女の子が普通に魔法だの何だのと口にしている状況が、美護にとっては”現実”という感じが無かった。
そんな会話をしていると後続の班が到着しだす。二番手は路加率いるD班だ。
慌てて千雅が螺旋に耳打ちをして正解を貰い、三人はキャンプ場へ戻るのだった。
その道中また千雅の先導で道に迷い、北ノ庄城の班とすれ違う。既にゴールしたと告げると、恨めしそうな視線を向けてきた。その視線は明らかに美護に向けられていて「呪われたんじゃないだろうか」と、不安になった。一番でゴールできたのは裂のおかげなのだがそのことを彼は知らない。そして、山道を一人駆けて行く。
そこからさらに道に迷い、キャンプ場に戻ったのはなんと最後だった。
それからは自由行動で、テントに戻り仮眠を取る者や、危ないと言われているのに森に入っていく者、教師の手伝いをする者、様々だった。 美護は一人ベンチに腰掛けていた。そこからは阿菅の街が、一望できる。陽も落ち始め阿菅の夜景が広がっていく。
かつて美護は、家族四人でこのキャンプ場に来た事があった。まだ小学生だったあの頃、つい最近のような気がした。あの頃は良かった。近所からは奇異の目をむけられてはいたが、幸せの日々だった。だが今は、家族きっての勇者になってしまった。
そんな過去に思いを馳せていると、茂みが不自然に揺れた。風のせいではなさそうだ。一瞬身構えるとそこから現れたのは、一匹の黒い子犬。犬派(特に子犬)な美護なのだが犬種は解らなかった。
「キャッ! ……おぉ、わんこ……」
きっと噂の野犬なのだろう、そぉと近寄り、撫でる……撫でる。撫でる。撫でる! 美護の愛撫が気持ちいいのか、嬉しそうに鳴き膝の上で寝てしまった。「野犬が出て危ない」と、言っていたので凶暴なものを想像していたが、これならいくら現れても構わないとさえ思えた。
子犬を抱き夜景を眺める、このモフモフ感がたまらない。『後は祖師ヶ谷がいれば完璧だ』なんて考えていると背後から裂の声。
「ミモちゃん! そろそろキャンプファイヤー始まるよお」
裂の声が聞こえると、子犬はハッと立ち上がり茂みの中へ消えてしまった。
「どうしたの? 今、何かいたような気がするけど?」
「子犬がいたんだ」
「犬ってまさか噂の野犬?」
「多分ね……」
慌てて美護を触診し始める裂。
「大丈夫? 引っかかれたりしてない?」
「大げさだな」と、思いながら大丈夫をアピールし、キャンプファイヤーへ向かうのだった。ちなみに、裂は猫派(特にスフィンクス)だ。
キャンプファイヤーも終盤に差し掛かり、片付けなどの準備をしていると螺旋が全員に招集をかける。
「皆さんッ! キャンプと言えばカレー、キャンプファイヤー。後ひとつは何でしょう?」
彼女はいつにも増してテンションが高い。その姿を見て他の教師は始まったという表情。一同はバーベキューや、スイカ割など出すがどれも正解ではなかった。
「ノンノンノン! まだまだですね。正解は肝試しです!」
夜を舞台に、神社や学校内を回りナニか出そう! と、言う緊迫状態を楽しむ。それが肝試し!
今回のミッションは山の中腹にあるお堂まで行き、そこにあらかじめ設置した人形を持って帰ってくると言うもの。今回も昼間のように班毎に行い、順番はウォークラリーでゴールした順だ。
「うぅ、私こうゆうの苦手……」
「大丈夫だよ。幽霊なんていやしないんだから!」
「……裂、ここがどうゆう所か知っていまして?」
「うん知ってるよ。でも、裂は幽霊なんて見れないからそんなのいないのと一緒じゃない」
「そうだけど、雰囲気とか怖くない?」
「一人だとちょっと怖そうだけど、三人なら平気、平気!」
意外に肝の据わっている裂のなのであった。
「棲梶山が霊山って事は知っていますよね? ……だから、気をつけてくださいね……」
ニッコリスマイルで三人を煽り、懐中電灯を一本だけ渡しE班はスタートを切った。
一歩一歩進んで行く。螺旋やクラスメイトの声がどんどん遠くなっていき、不安感が増していく。辺りは真っ暗でその道標は一筋の光のみ。風の音、葉のこすれる音、木々のしなる音が支配していた。昼間と同じ山道とは思えない。極め付けに三人と並行してナニかが移動していた。
始めに気がついたのは千雅だった。ライトを音のする方へかざすと、ナニかはそれを避けるように逃げていく。そしてまたしばらくすると、並走が再開される。
謎の存在に狙われ、恐怖で進むことの出来ない三人。流石の裂もこれは堪えたようで「手を繋ごう」と、真っ先に言い出した。自然の音に混じって茂みの中を移動していくナニかの音が聞こえる。一行と同じように進んでは止まり、進んでは止まりこちらの状況を窺っているかのよう。
幽霊だと確信した千雅が、意思兵装を具現化し攻撃しようとするが、美護と裂に止められ実行には移らなかった。あまりの恐怖の為、ゆっくりしている場合ではなくなり、早歩きで山道を進んでいった。ナニかも同じようにスピードを上げた。
少し開けた広場に到着、ここには街灯とベンチがあり休憩する事が出来る。少し飛ばし過ぎだった三人は、ベンチで身体と心を落ち着かせていく事にした。
明かりがあるだけで大分心が休まる。三人が無言で一息ついていると、後続班の叫び声が聞こえてきた。それが三人をさらに不安にさせた。一番手でここまで来たのだが、驚かされるような仕掛けは無かった。
こんな事とっとと終わらせて次の日に望みたい千雅は、我先にお堂を目指し山道に入ろうとした。その時、茂みの中の物音が大きくなったのを感じ足が止まる。金縛りにあったかのように体が動かない。音から推測するに千雅と裂からは少し離れた場所、美護の後ろ辺りだろう。振り返る事が出来ない、鼓動が音漏れでもしているかのような感覚に陥る。一瞬の静寂、そして、聞こえてきたのは美護の叫び声だった。
「美護!」「ミモちゃん!」
千雅と裂は早めに席を立った。心を落ち着かせ席を立つ、千雅と裂がお堂に向かう山道に差し掛かった時、今まで以上に茂みが揺れた。無風状態にも関わらず、それは背後の茂みだった。
硬直し汗が吹き出る。美護は今にも泣き出さんばかりだ。瞬きすら出来ず固まっていた。その音はどんどん美護に近づいてきている。完全に石像化し、どうにか心臓だけを動かしていた。千雅と裂も、こちらを振り返る事も無く同じように固まっていた。声を出す事が出来ず、二人を頼りにする事が出来なかった。残った最後に勇気を振り絞り、美護はギリギリと首を動かし背後を確認する。こうゆう時は普通、確認しなくてはならないのだ。激しく茂みが揺れる音がした。自分のおかしな性質が悔やまれる。振り返るなんじゃなかったと、本気で後悔し涙が溢れる。幽霊か? 妖怪か? ゾンビか? 色々想像してみるが、全てバットエンドしか思い描けなかった。
ついに背後を確認、そこには街頭に照らされた茂みだけで何もいなかった。一瞬ホッとすると、茂みからナニか飛び出してきた!
「ッーー! ……キャーーッ!」
現れたのは、キャンプファイヤーの前に見かけた”黒い子犬”。今の叫び声は恐怖の叫びではなく、歓喜の叫び声であった。緊張感からの落差でリアクションが恐怖の方に引っ張られてしまったようだ。
やっぱり犬種は解らず、その黒さからまるで”影”が動いているかのように思えた。千雅達に名前を呼ばれる。
このかわいい子犬を二人にも見せようと抱きかかえる。
「二人とも、安心して子犬だよ」
笑顔で振り返ると、ギョッとした顔をして二人は立ち止まっていた。刹那、裂が叫ぶのだった。
「ミモちゃんっ! それすぐに離して!」
その裂の発言は謎だった。こんなにかわいいのに、何で離さなければならないのか。子犬の顔を覗き込む。あくびでもしたのか、子犬の口が開く。そこには歯が並んでいた。勿論犬だから当たり前なのだが、口内にびっしりと牙のような歯が何重にもなっていて生えていた。加えて赤黒く光る五つの目全てが美護を見つめていた。
そのおぞましい姿を目の当たりにし、一瞬で全身が粟立つ。
「それは”敵”だよ!」
人々は昔から敵と戦ってきた。現存する生き物に似ていたり、空想上の生き物だったりと形状は様々だ。非常に好戦的で、現れては人類滅亡を賭けて戦ってきた。敵に共通するのは黒い体躯、口や目等が多い異形の姿をしている等が上げられる。
陽が落ちた夜に現れ、陽が昇るまでが活動時間。地球滅亡などの大予言のある時に活発に現れ、その圧倒的な力で破壊の限り、虐殺の限りを尽くしていく。
そんな生き物が今、美護の腕の中にいるのだ。この世のモノではない姿を目の当たりにした美護は、そのまま気絶をしてしまった。今まで何の変哲も無く生きてきた普通の少女に絶えられるはずがない見た目をしていた。
敵を抱きかかえたまま後ろに倒れていく。千雅と裂が美護の元へ駆ける。千雅は途中で意思兵装を具現化し、ハルバードで敵を追い払う。あわよくばこのタイミングで倒そうと思ってはいたのだが、そうそう、うまくはいかない。敵は茂みの中に隠れてしまった。すると茂みの中の音が増え始めるのだった。
「今の敵はなんですの?」
「ミモちゃん、大丈夫!」
裂は美護を抱えベンチに座らせる。声を掛けるが意識を取り戻す気配がなかった。とんでもない事になったと、冷や汗をかきながら美護の名前を呼ぶ。これだけ名前を呼んでも起きてこないので、死んだとさえ思えてきた。
こうしている間に茂みの中の音は一つまた一つと増えていき、その数は五つほどになり三人は取り囲まれてしまったようだ。
「一旦美護はそのままにして、今は敵に集中して下さいまし」
千雅はまだ敵の数を全て把握できてはいない。神経を研ぎ澄まし、警戒を怠らない。
裂はと言うと、美護の身体を揺さぶり名前を呼び続けていた。
「裂ッ!」
ようやく呼ばれている事に気付き、千雅を見上げる。
「美護が心配なのはワタクシだって同じですわ。でも、今は敵をどうにかする方が先決でしょ?」
「先生を呼んでこようよ」
「駄目ね。周りを囲まれているようですわ」
「そんなぁ……あっ! スマホがある!」
スマホを取り出すが圏外だ。
「何がエリア拡大中よ!」
「もう、覚悟決めなさい」
子犬の敵が茂みから姿を現す。もう可愛らしい子犬の体を成してなく、異形の化け物であった。
「無理だよ……こんなのぉ」
ついに裂は泣き出してしまった。
「うぐゅ……どうしてセンちゃんはそんなに冷静なの?」
「……」
正直千雅も泣きたくて仕方が無かった。しかし、自分は主人公であると言うプライドで、涙を押さえ込む。ハルバードを握る力が増す。
「裂は怖いよ……」
彼女はクラスでも数の少ない実戦経験者……なのだが、このような局面に遭遇したのは初めてだった。その時は殆ど手伝いで、弱った敵に止めを刺す係りだった。
保護者もいない教師もいない、まだ勇者の卵である自分達だけで敵と戦う事は不可能だと思える。
「ワタクシだって怖いですわ」
幼い頃は何も分からず、恐怖心なんて今ほどは無かった。敵の事を独学で勉強するうちにその異様さ、凶暴性に戦慄した。そんな敵が今目の前にいるのだ、恐怖心が無いわけがない。幾度と無くシミュレーションを重ねたが、想像と現実では雲泥の差であった。
「え……」
また一匹敵が現れ、千雅に飛び掛ってくる。近くには未だ気絶中の美護がいるので、出来るだけ離れ敵を誘導する。ハルバードで爪を弾く。隙の出来た敵の腹を蹴りつけ遠くへ引き剥がす。
「でもワタクシは! ここでやられるわけにはいかないの! やらなければならない事があるのよ……あなただって同じでしょ?」
「……」
もう一匹も千雅を狙う。気付くのが遅れ、横っ腹に一撃もらってしまう。
「あぐっ、…………野菜洗ってる時、美護と話しているの聞きましたわ」
大きく咳き込む。
「その……勘当させられそうなんですって?」
脇腹を押さえながら立ち上がる。派手に吹っ飛ばされたが、さほどダメージは無い。
「! ……うん」
二匹の敵は攻撃を緩めないハルバードで牙を受け止めると、火花が散る。相当鋭い牙だ。噛まれ様ものならひとたまりも無い。強化された肉体であっても二体の怪物の力は相当のもの。
「な、なら、そんな風に……泣いてる場合ではない事くらいわからないの?」
家族の事を思い出す。任務があり家に殆どいない父、自分とは似ても似つかない位厳格すぎる母。先代の頭首もそれはそれは優秀な勇者だった。なのに自分は歴代一の落ちこぼれで、本当にそんな立派な血を引いているのか、疑われた事もあった。そんな時は「大器晩成型なの」と、言い返すのが通例になっていた。
未だ目を覚まさない美護に「ごめんね」と声をかけ、ゆっくりと立ち上がる。
首から提げた潜在晶に光りを宿る。
「そうだよね……泣いてる場合じゃないよね」
潜在晶へ力が流れ込み、その白き輝きは増していく。
「それにこの状況……先生達が裂の事を試す為に用意したシチュエーションなのよ!」
輝きが弾け意思兵装が具現化した。
彼女のクラスは雷神槌、神の名を冠したクラスだ。
おさげは解かれ、その換わりに地面にまで伸びたハチマキを巻いていた。左腕は茜色をしたガントレットで覆われていた。右腕には何も装備されておらず、見た目はアンバランスだ。
左手に握られたハンマーは電気を帯びていて、青白い閃光がめまぐるしく形状を変えながら放たれていた。
柄は短くヘッドが手の上に乗っているように見える。
掛けているメガネをはずし、ケースへとしまう。具現化時の身体能力の向上は視力にまでも及ぶ、メガネを掛けていないと日常生活に支障をきたすレベルで目が悪い裂も、この時は裸眼でも問題ないのだ。
ハルバードを振り回し、遠心力を利用した横薙ぎが敵を消滅させる。それを見たもう一匹の敵は、一旦千雅から間合いを取る。
短く吠えると茂みの中からもう一匹の敵が飛び出してきた。すぐに飛び掛らず様子を窺っているようだ。
「それが裂の兵装ですのね?」
「うんそうだよ。さ、ちゃっちゃか倒して先生に評価貰おう!」
ようやくいつもの調子に戻ったようだ。
「そうね。あんなハウンドフィエルは片付けちゃいましょう」
「センちゃん、あれはハウンドフィエルじゃなくって”ウルフフィエル”よ」
その名を聞いた途端、全身の毛が逆立つ。
千雅が唯一遭遇した事のあった敵で、憧れの男がいなくなった原因を作った敵でもあった。これも何かの縁、あの時は何も出来なかったが、今度は戦う事が出来る。
口の端が上がる。
「そう……燃えてきましたわ」
現在、広場には二体のウルフフィエルが姿を現していて、二体は未だに身を隠している。
「雑魚級だけど油断しちゃ駄目だよ」
油断も何も先ほどから全力で戦っている千雅であった。
意思兵装による攻撃しか敵に効かない。敵からの攻撃は強烈で、生身で受けようものなら絶命は免れない。そこでもやっぱり意思兵装が必要不可欠なのだ。身体能力を向上させているおかげで絶命までは至らない。
ウルフフィエル達が二人目掛けて疾走する。肥大した爪が迫る、ほんの数秒の出来事なのだが体感時間はかなり長く感じる。
千雅はマントを使い防御、どう考えても破れてしまいそうなのだが、そこは意思兵装のマント心配は不用だったようだ。マントを翻し間合いを取る。
裂に迫る敵の牙。回避を試みる。が、足がもつれてしまいそのままずっこける体勢に、それが功を奏したのか直撃は免れた。
危なっかしい行動に千雅は肝を冷やした。
すぐに立ち上がりウルフフィエルを背後から狙う。背中目掛けハンマーを叩き込むのだが、遅い。容易にかわされてしまう。
空を切ったハンマーはそのまま地面へ! 刹那、ハンマー目掛け落雷が起こる。轟音が鳴り響く、木々で眠っていた鳥が一斉に飛び立つ。
地面にはハンマーを打ちつけた跡と、その周囲の地面は焦げ付いていた。
直撃は免れたウルフフィエルであったが感電し、動きを止めていた。ついでに使用者の裂も感電してしまっている。
トールとは、ニョルニルと呼ばれる槌を操り、アース神族の中で最も巨人族に恐れられた雷神の名前だ。その名を冠したクラスで裂の両親もただのハンマーならこんな仰々しいクラスは付けなかっただろう。
常に主兵装たるハンマーは常に帯電していて、攻撃時に”必ず”落雷が発生する。その姿に雷神トールの姿を重ね、雷神槌と名付けた。とは言え、使用者まで感電している辺りは裂らしい。ハチマキが長いのはアースの役割を担っているのだがあまり機能している様子は無かった。
「そっちの敵は任せましたわよ!」
「ビビビッ……お、ケー」
額のヘッドマウントがずり落ち装着完了。そして、今度は千雅の方から攻める。不慣れな太刀筋ながらフィエルを狩る為、ハルバードを振る。身体能力が向上しているので軽々と自分の身長よりも長いそれを振り回す事が出来る。少しずつだがダメージを与えていく。すると敵の体の色が変わっている事に気づいた。始めは通常の漆黒の色をしていたのだが、今は青味がかっていた。
マントで身を守りつつ裂を見やる。未だに痺れが取れていないようだ。そんな彼女は少し緑がかって見える、対して敵は橙色。千雅自身の体は、特に何の変色も見られなかった。
このヘッドマウントは、暗視ゴーグルではない。
対象者の体力を色として表している。無色から始まり青→緑→黄→橙→赤と、言う具合に変化していく。しかし、詳しい体力は分からない。
夜間戦闘が多い敵との戦いにおいて、対象に色が付く事によってかなり有利になる。相手の場所がわかるので、暗視ゴーグルのような使い方が”副産物的”に出来るようになっている。
そこからも怒涛の攻め! 敵に攻撃の隙を与えない。闇に紛れたつもりの敵だが、ヘッドマウントのおかげで的確に攻撃する事が出来る。今や色は赤にまで達していた。
最後の抵抗なのかがむしゃらにで飛び掛ってくる。しかし鋭い一撃。ギリギリ交わす事が出来ず腕から出血を許すのだが、かまわずハルバードを振り抜きウルフフィエルは消滅した。
腕から出血してはいるが概ね良好だ。だが、少し手が震えていた。これが恐怖からなのか、勝利の余韻からなのか良く分からない。
一体の敵しかも、雑魚級を倒すのにこんなに時間がかっていては効率が悪い。雑魚級は弱い代わりに数が多い、大きい戦いになると一人で何十、何百体もの敵を相手取らなければならないのだ。これでは時間がかかりすぎてしまい、ジリ貧で負けだ。
憧れの男はウルフフィエルを一撃で、一振りで倒していた。真の勇者の道はまだまだ遠いのだ。千雅の戦闘スタイルは彼を真似て”ゴリ押しパワー型”だ。
痺れはようやく緩んできた。敵よりも先に解け、止めを刺すべく近寄っていく。ハンマーを振り上げ下ろす。が、間一髪動けるようになった敵の渾身の攻撃でハンマーは弾かれてしまった。一瞬だけ雷が発生し若干ダメージを与える事が出来た。一瞬だったので、裂自体には全くダメージは無い。
元々柄が短く持ち辛いものなので、弾かれた衝撃で千雅の元まですっ飛んでいってしまった。
「ごめん! それ取ってぇ」
やれやれと、溜め息をつきハンマーを持ち上げようとするが「触った瞬間に感電するんでは?」と、脳裏によぎる。
「ワタクシが触っても感電しませんわよね?」
「ウ~ン……たぶん大丈夫よ」
不安が拭われる事はなかったが、意を決して掴む。感電はしないようだった。だがその小ぶりなハンマーはビクともしなかった。両手で持ち上げようとしても、全く動く気配が無かった。
「もう何やってんの? 遊んでないでよね」
そう言うと裂はスッと、ハンマーを持ち上げフィエルに止めの攻撃を見舞うのだった。
『所有者じゃないから持ち上げられなかった』と、言うわけではない。単純に裂のハンマーが重過ぎるのだ。身体が向上していても持ち上げる事は出来ない。全ては彼女の意思兵装の副兵装が成せる事なのだ。
彼女のハチマキはアースの役割と彼女の力を倍以上に発揮させる為の物になる。ガントレットはその力を制御する役割だ。勿論、強化されているのはガントレットだけで、裸の右腕で持とうとしても持ち上がらない。
「す、すごいパワーですわね……」
「そんな事……あるかなぁ!」
残りの二体が姿を現す。先ほどまで戦った三体と比べると、少しだけサイズが大きい。武器を構え戦闘体制に入るが敵は背を向け山道を登っていってしまった。
「逃がしませんわ!」
決着を着ける為千雅は後を追う。美護を置いて行くのは気が引けたが、周りには敵の気配は感じられなかった。少し安心し、懐中電灯は美護のポケットに忍ばせた。一言声掛けて千雅の後を追っていく。
「ごめんねミモちゃん、今度アイス奢るよ」