第三章 『落ち着いて目が怖いですよ?』
夜風に当たり冷静になったのか、悪夢のような時間を思い出す。
世界の真実を突き付けられ、世界を守る秘密結社の候補生となり、その中でもトップクラスの能力を持っている事が判明した。
今日一日で美護の世界観が、ガラリと変わった。いままでは平坦な一本道。数多くの人間が踏み固めしありふれた道を歩んでいく予定だったのだが、ここに来て別のルート。しかも、何が出るか解らない獣道を進む事になってしまった。だが、その先には輝かしい”祖師谷と恋人同士”が待っているのだ。
「ミモちゃんおかえりなさ~い」
家族に適当に挨拶をして自室に篭ってベットへダイブ、熊のぬいぐるみを抱きしめベットをころがる。
「オツォ……どうしよう大変な事になっちゃったよぉ」
幼い頃、太郎におねだりをして買ってもらった巨大な熊のぬいぐるみ。オツォと名づけ可愛がっている。悲しい時や、辛い時があると今みたいに抱きしめ話しかける。
「辞めるに辞められないんだ」
祖師ヶ谷の写っているフォトフレームを手に取る。オツォを後ろから抱きしめ、二人で写真を見つめる。妹子に見せてもらったグラビアページが頭を過ぎり頬が緩んでしまう。
「ヘヘェ、祖師ヶ谷君も勇者なんだって……」
完全に勢いで裂に宣誓してしまった。もう後には引けない、黙ってばっくれる事も出来るが絶対に美護にそんな事は出来ない。自らが嫌う”普通”ではない場所に通う事になり、今日会ったばかりの人の命運を託され、最愛の人は普通の人ではなかった。「あの日チラシなんて拾うんじゃなかった」と、後悔ばかりだ。いや”だった”と過去形だ! 今や辞めたい意思はほとんどない、祖師ヶ谷の存在が彼女を塾に縛り付ける為の鎖になっていた。決して教員達や妹子が仕組んだものではない、美護が彼の事を好いているなんて絶対に知りようがないのだから。
もはや祖師ヶ谷と恋人同士になるのが”運命”そう思っていた。その為なら日常を捨てる覚悟が出来た。それが、最も嫌う普通ならざるものであろうとも、普通にこなしてやろうと。
気がかりなのは塾に通っている体なので、成績を落とすわけにはいかなくなったと言う点だ。自宅で勉強をしなければならなくなったのが大きな誤算だ。最悪、塾を辞めさせられてもいいのだが聖・ラームに落ちる訳はいかない。何の為に塾に行っているんだと、両親に言われてしまう。仕方なく一人で勉強をする事になった。
実際、佐藤美護と言う人間は頭が良い。それを見せないようにしているだけで、全力で取り組めば希木と良い勝負を出来るレベルなのだ。
今後の対策の為に勇者や、敵の事をインターネットで調べようと検索をしてみたが、如何わしいオカルトサイトばかりで全く役にはたたなかった。今度、裂にでも聞いてみようと思いパソコンをそっと閉じる。
朝に目が覚めると、遅刻ギリギリの時間になっていた。
遅刻ギリギリで登校だったが学校での授業を普通にこなし、何の波風も立たせず希木と帰宅している。
「ンーー……アー! なぁんて、幸せなんでしょう!」
伸びをしながらつい言葉が漏れてしまった。昨日の事が夢だったかのように、この幸せをかみ締めた。
「どうしたの美護? 今日はずっとニヤケっぱなしだぞ? 昨日なんかいい事あった?」
異常事態に陥っている事を希木は知らない。大の親友である希木に伝えるのは気が引けた。何より信じてもらえそうにない。
「なんでもないよぉだ」
意地悪な笑みを浮かべる。抱え込んだ異常性を見抜かれないように。
突如、美護のスマホが唸りを上げる。画面には裂の名前、彼女からのメッセージだ。昨日の帰り際に連絡先の交換を強制的にさせられていた。
『こんにちは、終業していますか? していなかったらごめんなさい。昨日は色々大変でしたね。早速本題ですが、よろしければ今日会えないでしょうか? ミモちゃんはまだ勇者の事とか理解していないですよね? だから、少しだけ勉強のお手伝いしたいな! って思います。既に予定が入っているなら結構です。時間があるなら返信してください』
昨日のハイテンションな裂のイメージと離れた、落ち着きのある丁寧な文章で笑ってしまった。しかし、このメールで昨日の塾での出来事は現実だった事を突きつける。
若干テンションを下げたが、正直向こうから言ってきてもらって助かった。自分から言い出すのは佐藤美護という人間ではありえないからだ。適当に了解の返信をする。
「ちょっといい?」
立ち止まり神妙に親友を呼び止める。
「な、何によ。急に」
いつもと違う雰囲気の美護に少し戸惑いを見せる。
「希木は……これからも希木でいてね」
「はぁ? なんだそりゃ?」
時間は十六時、裂との勉強会の行われるマクゴナガルの前にいた。一旦昨日貰った宝石のついたネックレスを取りに帰宅し、勉強を教えてもらう口実で家を出てきた。
気持ちは割りと晴れやかなのだが、足取りが重い……心と体が同じ方向を向いていないのをひしひし感じた。
「ミモちゃん! おっはよぉ!」
裂が勢いよく現れた。「メールを打っているのは別人じゃないか?」と、思うほどに今日も、のっけからハイテンションだ。適当に挨拶を済ませ店内へ。
「さて、早速だけどネックレスは持ってきた?」
鞄からネックレスを取り出す。無色透明の美しい物だ。昨晩この事も調べようとしたのだが、名前すら知らないので解明する事できていない。
裂も取り出す。彼女のそれは白く光っていた。
「わぁ、綺麗」
この宝石の名は『潜在晶』と、呼ばれている。初めて手にした時も感じた、吸い込まれそうな感覚がある。不思議と目が離せない。裂の宝石が白い輝きを放っていた。
「裂のは白いから”光属”だね」
「光?」
「勇者に関わらず人は”地水火風光闇”の属性を持っているんだよ」
地は耐性・水は魔力・火は攻撃・風は素早・光は体力・闇は魔量と、言った具合に振り分けられている。
「この光りは持ち主の”潜在的”に、最も強い属性の色になるんだ。裂を例にすると……」
裂が勇者手帳を見せる。彼女のスマホはPear社にも関わらず、アンドロイドだ!
『体力:100、魔量:60、攻撃:76、耐性:50、魔力:50、素早:55』
「こんな感じ。体力のスペックが一番強いから、ハニエルの光りが白。なんて言うかこの光りは、”その者が伸ばし易い属性”って、ニュアンスに近いかな?」
「なるほど……って事は、私のは無色だから何もないって事になるんじゃない?」
「それは違うよ。無色って言うのは、”スペックがまるっきし同じ”って事なの」
おもむろにポテトを六本取り出す。
「いい? この六本のポテトを裂のスペックとするでしょ」
その六本のポテトを順番に並べていく。
「この一番長いのは体力になる。で、この短い二本が、耐性と魔力。数値的には50だったよね? けど微妙に違うの、ちょうどこのポテトみたいにね」
その短いポテトは”大体”同じくらいの長さだが、微妙に長さが違う。
「実数値を出すと50.5734……とかそんな感じになると思う。0.000000001でも高い数値の属性が、その人の潜在晶の光りになるんだ。それだけ細かいの。それが全部同じって言う事がどれだけ異常な事か……まるっきし同じ長さの数値なんて、ないでしょ?」
「い、異常……」
小数点以下の微妙な違いで属性が変わるそれを、寸分の狂いなく一致させているのは流石平均点、佐藤美護と言った所であろう。
「だって、だって。無色だったのって、フィエル対策委員会の創始者がそうだったって話だよ。本当に無色だったとしたら、かなりすごい事だって! 裂の友達がそんな人なんて鼻高々だよ!」
「へ、ヘーソッカー」
昨日から特別扱いされる事が多いがやはり慣れない。体が痒いアレルギー反応だ。
「他に教えてもらいたい事あったらこの裂先生に何でも言いなさい!」
眼鏡をクイッとなおす。
千雅に『主人公みたい』と、言われた事を思い出した。自分は凡百の一人で、絶対に枠からはみ出していないと思っていたのだが、それは自分の思い過ごしだったようだ。いや実際、学校や家庭での生活では普通の中学三年生のそれなのだが、塾では真逆で特別は特別、普通の中学三年生ではいられなかった。
特別な力を持った漫画やアニメの主人公にでもなったかのようだった。しかし、そんな事を美護はこれっぽっちも望んでない、気を失いそうな話ではあったが、なんとか正気を保ち話を続ける。
「えっとそうだな。”じょぶ”とか”くらす”って言うのはなんなの?」
聞きたい事は昨晩ノートにまとめているまめな美護。
「ミモちゃんが爆笑を誘っていたやつね」
嫌な事を思い出しブルーになる。
「ジョブは職業って意味ね。クラスはそのジョブの役職って、感じね。マクゴで例えるとクルーがジョブ。アルバイトとか、店長ってのがクラスになるかな」
「あぁ、解り易い」
「勇者のジョブは三つ。ウォーリア、シューター、マジシャンに分けられるの。それぞれ役割が決まっていてね。前衛でバリバリ戦ったり仲間を敵から守ったりするのがウォーリア。後衛で強烈な魔法を使ったり傷を癒したりするのがマジシャン。時には前衛、時には後衛として戦うのがシューター。ちなみに裂のジョブはウォーリアでクラスは雷神槌だよ」
お世辞にも運動神経がいいとは思えない裂が、ウォーリアという過酷そうなジョブだったという事がとても意外だった。
そして、トールという名前は美護も聞いた事があった。六駆がはまっているソーシャルゲームに、同名のキャラがいた。そのキャラはトンカチを持った雷の神様だった。目の前の運動音痴・ボケボケ木佐紀崎裂からは、想像も出来なかった。ゲームのキャラではあったがトールはもっと筋骨隆々で、六駆曰く『トールはヤベーツエー』らしい。
「ジョブとクラスは、申請を出して通ればどんなものでもいいの。裂みたいな勇者の家系だとパパが判断して申請を出すんだ。ミモちゃんは塾で先生達がやるんじゃないかな?」
「私はどんなのになるのかな?」
「ウ~ン、そればっかりは解らないな。これもまた潜在的なものに影響されるからなぁ。ミモちゃんみたいな超々平均化されているものだと……万能タイプじゃないかな?」
普通を愛する美護にとって万能と言われるのは最高の褒め言葉であった。
「そっか、万能な感じね! 早く自分が何なのか知りたいな!」
「なんか急にテンション上がったね! うん裂も早く知りたい。なんかわかんないけどがんばろぉ!」
「オーッ!」
「おいオメー等! うるせぇぞ!!」
離れた所にいたサラリーマンに、怒鳴られてしまった。椅子から立ってまでやっているのだ迷惑だろう。
六月三日十五時四五分、少し早めに塾に到着した。家に帰る時間はなかったので、制服のまま。
席について準備をしていると裂が入ってきた。
「ミモちゃん! イヤッホー!」
彼女も制服だ。憧れの聖・ラームのブレザーを、身に纏っている。彼女はネクタイ姿、この学校はリボンかネクタイか選べるのだ。眼鏡と相まって優秀な生徒に見える。実際、優秀ではあるのだが、それは勉強の話で何かしら行動するとボロが出てしまう。
「おはよう」
他の生徒達も揃い適当に挨拶を済ませていると、螺旋が教室に入ってくる。
「ハイ、こんにちは。欠席者はいないようですね。今日の授業は『ジョブとクラスを理解しよう』です。まず自分がどのジョブで、なんて言うクラスなのかを確認しましょう。では、地下演習場に移動です」
美護は重い体を奮い立たせ席を立つ。この授業一つ一つが『未来の恋人、祖師ヶ谷大蔵に繋がっている』と、気合を入れなおす。もう、この異常な世界に墜ちていこうと決心はつけてきた。
「意思兵装が使えない人はこの線の右側に並んでください」
美護は線の右側に移動した。初日のようにクラスメイトはざわつく。テスト結果一位の人間が、こんな基本的な事が出来ないなんてと思う半面、またサプライズなのかな? と、困惑せざるを得ない。加えてその横には、千雅が立っている。クラス三位も使えない側の一人だった。
クラスメイトは知らない。千雅も、美護と同じ部外者と言う事を。敵の事を独学で勉強はしてきたが、五月までは一般の家庭で育ってきたのだ。
「では、二人は別メニューですね。他の皆さんには別の先生が着くのでそっちの指示に従ってください」
演習場の真ん中にパーテーションが置かれ、使えるものと使えないもの分けられた。
「まさか、あなたがこっちにいるなんて驚きですわ」
「それはこっちの台詞です! 千雅ちゃんもこっちなんて」
「だってワタクシ、部外者ですもの仕方ないじゃない」
「エッ!」
美護のように偶然ではなく、実力をもって優秀な成績を収めている千雅が部外者と言う事に驚いた。「自分の事を話すとそれ以上に驚かれるんだろうな」と、思いそれは余計な自体を生みかねないので発言を控える。そして、この401号室のトップ三人のうち二人が元々は部外者と言う事になるのだ。
「ハイハイ。おしゃべりはそこまでですよ。では、二人にはまず意思兵装を具現化できるようになってもらいます。これが出来ないと敵と戦う以前の話ですからね。まぁ、そんな難しい事ではありません……」
敵とは未知の生物だ。現存する兵器では核兵器ですら歯が立たない、そこで必要になるのが”意思兵装”と、呼ばれる物だ。
「初日に配布された潜在晶は、所有者の潜在属性を示すだけではなく、これを通して意思兵装を具現化させる為の物でもあります。意思兵装として具現化されたものであれば”どんな”ものでも敵にダメージを与える事が出来ます。例えば、核兵器で歯が立たない敵でも、意思兵装として具現化した”スプーン”であっても制圧する事が可能になるんです。意思兵装とは、誰もが生まれた時から潜在的に所持している意思を、手元に具現化させた物の事。それには潜在晶が必要不可欠で、あなた達以外は家族などから潜在晶を借りて具現化の経験があるという事です。やり方はいたってシンプル、潜在晶に思いを込める事によって具現化する事ができます」
言われるまま千雅は潜在晶を両手で握り締め思いを込める。彼女の光りは黄色で耐性だ。今まで、書物の中でしか見た事のなかった意思兵装を手にできる。幼い頃、短い期間であったが同じ時間を過ごした男の顔を思い出す。普段、おちゃらけているがいざとなると世界一頼りになる千雅のスーパーマン。彼の意思兵装を思い出す……じんわり汗をかいてきた。
美護も見様見真似で思いを込めてみる。意識が宝石に吸い込まれていく。とても気持ちがいい、この感覚は経験した事があった。自室でオツォを抱きしめて寝るときと似たような安らかな感覚だ。
幼稚園に上がった頃、おもちゃ屋で見つけた熊のぬいぐるみが欲しくて太郎に泣きながらねだった、お気に入りの熊のぬいぐるみ。買ってもらったのが嬉し過ぎてその日から一緒に寝ている。嬉しかった事や、悲しかった事を話しかけながら……
そんな事を思い出していると、意識が宝石からズルッと、抜け出すような感覚。その不快な感覚で目を覚ます。あまりの不快さに吐きそうにまでなったが、ギリギリ押さえ込んだ。
一方、千雅は押さえ切れなかったようだ。演習場にお昼に食べたと思われる物が変わり果てた姿でぶちまけられた。
あらかた吐き終えた千雅は、ふらふら状態だった。棒のようなもので体を支えなければ立っていられない程に。彼女の身の丈より長いそれは、先っぽに豪華な白鳥の意匠が施された刃が着いている。これが彼女の意思兵装”槍斧ハルバード”憧れの男と同じ意思兵装だった。しかし、今の姿が完璧な状態ではない。
彼ら彼女らはまだ中学生、これから長い人生の中で”思い”と言うものは変わっていく、心の成長と共に成長・変化していくのが意思兵装と言う物なのだ。
ハルバードと一緒におでこには何に使うのか、羽のついたヘッドマウントを付け、真っ白なマントを制服の上から羽織っていた。
「主兵装と副兵装も有り、ジョブはウォーリアですね……クラスは槍倒士かしら?」
螺旋はどこから取り出したか解らない、競泳用ゴーグルを装着していた。これが彼女の意思兵装。相手の思考を呼んだり、能力を解析でき数秒先の未来予知ができる。先日のテストの時に測定をしていたのは彼女だ。ジョブはマジシャン、クラスは先見明。
意志兵装は主兵装と副兵装に分けられる。主兵装は言葉の通り個人の意思を表す代表的な武具。副兵装は必ずしも具現化されるわけではない。螺旋のように主兵装だけの勇者もいる。主兵装を補助する意味合いが強く、衣服が替わる事もある。千雅の場合は、ハルバードが主兵装でヘッドマウントとマントが副兵装になる。
主兵装、副兵装とは別に具現化中は使用者の身体能力が向上させて戦闘をサポートしてくれる機能もあり、稀に特殊な能力を発現させる場合もある。
「ハァハァ……あ、あなたのは少し変わってませんこと?」
驚いた顔で螺旋も美護を見つめていた。手には武器のようなものを持っていなかった。目線を前にやると、全長80センチ程の熊のぬいぐるみがあった。後姿で解るそれはオツォ「何でこんなところに?」と、疑問が湧く。持ってきた覚えなどない、何よりあの大きいぬいぐるみをこんな所に持って来るはずがない。ここは腐っても塾なのだ。そして、自身の左側にはモニターのようなものが浮かんでいて、美護とオツォが映し出されている。振り返ってみたり辺りを見回してみてもカメラらしきものは見当たらなかった。
「う、う~ん……このようなものは見た事ないですね。このぬいぐるみ? も含め、佐藤さんの意思兵装なのかしら……」
螺旋も困惑しているようであった。
気付くと足元にオツォが立っていて、こちらを向き何かを訴えている。
「動いてる? あなた本当にオツォなの?」
モニターには慌てる美護が映し出されている。首を縦に振るオツォ、どうやら話を理解できるらしい。
螺旋は腕を組み眉間にしわを寄せ、美護を見つめていた。
「なんで動いているの? 先生、これってどうゆう事ですか?」
答えは返ってこない、それだけ真剣だと言う事だろう。しばらくすると螺旋はその場にへたり込んでしまった。煙を上げたゴーグルは一瞬のうちに消えて全身から汗が滴っていた。駆け寄りたいのだが未だに吐き気を引きずっている二人は、留まる事しか出来なかった。
「何とか解りました……まず、佐藤さんのジョブはマジシャンですね。クラスは召喚士に近いものでしょうか……そこは少し能力を見ないと決められませんね。と、言う事でこれから二人にはスパーリングをしてもらいます」
「え! 何を言ってますの? いきなり戦うって事ですか? そんな事の前に、医務室へ行きたいですわ」
始めに異議を唱えたのは千雅だった。授業には積極的な彼女が乗り気じゃないのは体調のおかげだ。こんな人前で吐いてしまって、正直穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだ。
「そうですよ。私は戦う以前にこの状況が飲み込めません」
螺旋はあきれたと言わんばかりにため息をつく。
「その飲み込めていない状況を飲み込む為に、先生があぁだこうだと説いたところで、何の意味もありません。百聞は一見に如かず、二人は他の子とは経験の差があるのですから文句を言わない! 飲み込まなくていいのは、その吐き気だけですよ」
美護は少しドキッとした。初めて具現化を行った者は必ず嘔吐する。なので、千雅が吐いてしまったのは別に恥ずかしい事ではなく、勇者としての第一歩のようなものなのだ。しかし、千雅にとっては屈辱であった。
「それにあなた達は候補生とは言え、既に勇者なのです。いつ・どこで・どんな状況の時に敵との戦闘になるかわかりません。そんな吐き気程度で、文句を言っている場合ではないんですよ? 例え、これからお風呂に入ろうと服を脱いでいる時でも、失恋で枕を濡らしていようとも敵が現れたら戦わなければいけないのです」
いつになく真剣な眼差しの螺旋、それは彼女が歴戦の勇者である事を物語っているようだった。
その気迫に後押しされ、千雅は両頬を叩き気合を入れる。
「さ、美護さん始めますわ」
「……あのちょっと」
「もう観念しなさいな。それに、その熊さんはやる気満々ですわよ」
オツォはフットワーク軽くジャブ・ジャブ・ストレートと、戦う準備は万端のようだ。
「……オツォ」
溜め息をつき千雅の方を向く。
螺旋は再び意思兵装のゴーグルをかけていた。
「まだ感覚とかわからないと思うので、好きにやってください」
千雅は記憶を巡り彼がどんな構え方を、戦い方していたか思い返す。白鳥の意匠がギラリと光り、ハルバードを握る力が強くなる。
美護はとりあえず状況を把握する為、自分を観察する。
まずはオツォ、家にあるはずの熊のぬいぐるみ。戦いたくて仕方なさそうな感じで動いている。美護を見る瞳が『早くしろ』と、言いたげ。瞳と言ってもボタンなのだが。
続いてモニター。美護を映し出しているのではなくオツォがメインで映されているようだ。モニターに映るオツォも小気味よく動いている。モニターには『Battle Start』と、言うボタンが点滅していた。”Battle”と、ぶっそうな文字が書いてあるので非常に押したくはなかったが恐る恐る触れてみる。
『Battle Start!』
「ワッ! なに?」
男性声の電子音とともに新たに四枚のモニターが現れ、自身の右側に三枚の大きなカードのような物が並んで浮いていた。畳大のそれは、ふわふわと宙に浮いていて美護の右側から離れないように着いてくる。
そこには『ファイヤーボール』『グラスランド』『シェル』と、書いてあるのだが何の事だかわからない。
火の玉が描かれた『ファイヤーボール』草原が描かれた『グラスランド』二枚貝の絵が描かれた『シェル』と。言う三枚。説明などは書いてない。絵とタイトル、その横に『20』と。書いてあるだけ。
触れてみる。重くも軽くもなく触っている感覚がなかった。
「……シェル?」
『オーケー! シェル』
また、男性声の電子音でカード名が読み上げられ、『シェル』のカードが消える。自身に変化はない、変化があったのはオツォの方だ。オツォの前に二枚貝の殻が現れ、消えていった。
「何ですの?」
「さぁ?」
オツォが移っているモニターにも変化が。画面の右下の部分に数字が現れる。20と表示されたそれは19,18と数字が減っていった。
「せ、先生。なんか数字が減っていってます!」
返答はない。先ほどのように集中しているのだろう、もとりあえず様子を伺っている。まさか、0になった途端に爆発するんじゃなかろうかと、はビビリまくりだ。ドキドキしていると、パーテーションの向こうから誰かが壁にぶつかったような音が聞こえてきた。「絶対に裂ちゃんなんだろうなぁ」と、思うと少し緊張が解けた。
3……2……1……0!
カウントダウン終了と同時に二枚に減っていたカードが三枚に増えた。新たなカードは『パンチアップ』と言うもので拳が描かれ数字は『20』。
「う、うぅん……カードが増えるまでの時間って事か」
オツォの映ったモニターの左下にあるモニターに目が行く。
Battle Start!
ハンドが補充された!
『ファイヤーボール』
『グラスランド』
『シェル』
Mimori.S : ワッ! なに?
Mimori.S: ……シェル?
『シェル』を発動させた!
ハンド補充まで20カウント
Senka.R: 何ですの?
Mimori.S: さぁ?
Mimori.S:せ、先生。なんか数字が減っていってます!
……3
……2
……1
……0!
ハンドが補充された!
『パンチアップ』
Mimori.S: う、うぅん……カードが増えるまでの時間って事か
そこには『Battle Start』のボタンを押してからの会話が記録されていた。
「はぁい、まだ戦闘中ですよ。止まらない止まらない」
螺旋は理解しつつあった。彼女は意志兵装により美護と千雅の兵装を解析している。
モニターにはそれぞれ役割がある。オツォが映っているのはメインモニター。左下にあるものは美護周辺の会話と行動のログが表示。左上には美護のメンバーの体力と魔量が簡易的ではあるが表示される。現在は表示なし。右下はハンドにあるカードとその説明が表示される。右上は美護の周辺のマップが表示される。
ぬいぐるみのオツォは主兵装ではない。美護の主兵装は開始時に現れたカード、モニターは副兵装になる。そしてオツォはと言うと、副産物的に使う事のできる”能力”になる。
元々は一般的な環境で育っていた美護の単体での戦闘能力は殆ど0! 通常ならそれを助ける為の身体能力が付加されるのだが、彼女には全くそれがされていない。替わりに、オツォを召喚する事ができると言うわけだ。
オツォが主兵装であるなら、予想通り召喚士に落ち着くのだが実際は違った。美護自身を外敵から守る為に呼び出して戦わせる。オツォの戦闘を優位に進める為に、主兵装のカードが役に立つ。
このカードには複数の種類がある。オツォを強化する事の出来る『ブレイブカード』援護攻撃のできる『マジックカード』周辺の地形を変化させる『ステージカード』の三種類。これら様々なカードを駆使して戦っていく。
「では、こちらもいきますわよ」
ようやく千雅も動き始める。ヘッドマウントがずれて目を覆う。
その身軽さに驚いたのは本人だった。千雅が駆ける。たった一歩踏み出しただけでそれを実感できた。速い! 徒競走世界記録なんて一蹴出来そうだ。しかも、生まれた時からこの身体能力が備わっていたかのように、身体に馴染む。「アスリートブッチギリの身体を完璧に使いこなせる!」そう思った。その勢いのまま美護を自らの攻撃範囲に捕らえ、ハルバードを振り下ろす。
目にも留まらぬ速さで接近を許してしまい、美護にハルバードが迫る。その場に縮こまり頭を抱えるしか出来なかった。
夢である祖師ヶ谷との”ハッピーハイスクールライフ”を、叶える事なく十四年と言う短い人生が終わろうとしていた。振り返ってみれば平凡な一生だった。これにてこの物語は終了……と、いう訳にはいかない。
頭を抱えた動作と同時に三枚のカードが美護を千雅からの攻撃を遮った。
「なかなかやりますわね」
一飛びで間合いを開け、すかさず駆け出す千雅。それを止めようとオツォも動く、大きさ的に千雅より小さいオツォの方が速い! 千雅の攻撃を受け止める。白刃取りだ! そのままハルバードを持ち上げ、千雅を投げ飛ばしてしまった。
「ちょっとオツォ! やり過ぎ!」
壁に身体を打ちつけた千雅だがスッと立ち上がり、埃を払ってケロッとしている。どうやら怪我はないようだ。千雅の潜在属性は地、すなわち耐性のスペックが一番になる。クラス内にて二位の実力者。ちなみに妹子が一位である。
「全然平気ですわ」
「よかった」
安心したつかの間、千雅とオツォは再び戦闘を開始した。
その姿を見届け、何かないかとカードを見る。
「千雅ちゃん止めてくれないかなぁ。えっと、えっと…………グラスランド?」
『チェンジ! グラスランド』
選択したのはグラスランド。ファイヤーボールを選ぼうと思ったのだが、これは絶対千雅を怪我させかねないと直感で判断し、字面的に攻撃性の少なそうな絵柄と、名前のこれを選んだ。
床が演習場が振動しているようだ。しばらくすると振動は止み辺りは演習場から草原に変わっていた。床は青々とした草が生え、小鳥なども飛んでいる草原。パーテーションは取り払われ、401号室の面子と教師二名が地下演習場から草原に移動していた。
別メニューのクラスメイトは、突然の事で驚きを隠せない。今まで演習場で講義を受けていたのだ。訳がわからなくて当然と、言えよう。
千雅とオツォはと言うと気にせず激闘を続けていた。
「これは……佐藤さんがやったんです……よね?」
美護はログを見る。そこには『ステージが草原に変わった!』と記されていた。
「私みたいです……です」
前例がない。魔獣やオブジェクトなどを召喚したり、取り出すような意思兵装は見た事があったが、今回はその比ではなくカードに描かれた貝を出現させ、空間そのものを変化させてみせた。
螺旋は驚愕した。自分や千雅を巻き込んだ幻覚の類かと思ったのだが、パーテーションを挟んだ向こう側にいた他のクラスメイト達含め、総勢二十二名+一体までも巻き込んでいる。
これは地下演習場自体を変質させたと言っていい。そこまでの幻覚を作り出したようには見えない。次に移動系の能力かと考えてはみたが、壁や天井はそのままなのでこれも見当違い。
「……まるで、支配者ね」
螺旋から笑みがこぼれる。優秀な生徒を持った嬉しさもあるのだが、そうではなく。単純に勇者としてこの子を連れて戦場を駆けてみたいと、心から思った。長らく講師として働き、新人教育に精を出してきた。彼女にとって残された人生の生き甲斐としていたのだが、美護のおかげで再び戦場に赴くのも悪くないと、思うのだった。そして、かつて仲間と共に戦った事を懐かしみ笑ってしまった。つい最近のような昔の思い出。
「二人ともそこまででいいですよ。データは大体取れました。意思武装を解除するのも潜在晶に力を込めて行います。慣れてくれば、そんな事をしなくても出し入れできるようになりますよ」
千雅は戦いを止めるとオツォも何か感じ取ったのか、手を止める。お互い見つめ合い、最後の激突が起こるのかと思いきや、二人は固く握手を交わすのだった。人間とぬいぐるみという奇妙な友情が二人の間で芽生えた。
お互い初めての戦闘で互角の戦いをしたのだ、会話は出来なくとも拳で語り合った二人にとって人間だの、ぬいぐるみだのは些細な事であった。
自らの黄色く発光する潜在晶に具現化解除を命じる。ハルバード、ヘッドマウント、マントは消えいつものドロッシア学園の制服になっていた。
「あなたはまだやっていますの?」
オツォを抱きかかえた千雅が、様子を見に来た。いくら命じても美護の意思兵装は消えなかった。するとオツォがメインモニターを差す。そこには『Battle End』と、表示されたボタン。押してみるとカード、モニターが消え、オツォもその姿を消した。
消える寸前寂しそうな顔をする千雅に『しばしのお別れだ。千雅との戦闘は最高だったぜ。またやろうな』と、言っているような顔つきだった。ボタンと糸で作られた顔なのだが千雅にはそう言っている様に見えた。草原だった風景も、いつもの演習場に戻った。
「二人ともご苦労様でした。流石、スペック一位と三位、思っていた以上でしたよ。特に佐藤さんは前例に無いものです! クラスも先生が決めました」
螺旋は講師の傍らジョブ管理の職もやっている。申告に来た勇者の書類を纏めたり自身の能力を使いジョブ、クラスの確認などを行っている。彼女にはその者に当てはまるジョブとクラスを裁量で決める資格を持っていて、今回美護と千雅のクラスも彼女が決めるのだ。
「佐藤さんは”支配者”で柳咲さんは”戦少女”です」
カードに描かれた物をこの世に呼び出し、空間を変化させる彼女は螺旋の召喚士の概念を越えていた。なので”支配者”オツォを使役し、戦場を管理下に置き支配するそんな姿を美護に見た。
純白のマントを纏い、槍斧を振りかざし戦う彼女は、神話に出でてくる天使を髣髴させる。その天使はヴァルキュリアと呼ばれている。
「戦少女……」
憧れに一歩近づいた気がした。神話の世界のヴァルキュリアは、オーディンの為に人間の魂を集め、先陣をきって戦場を駆け巡っていたと、言われている。魂を集める事なんてできないが、皆の先に立ち戦うのは非常に自分らしいクラスだと思った。そう言えばあの男のクラスは聞いた事が無かった。
一方美護は、分不相応だと感じていた。美護は支配する側ではなく、される側にいたいと思うような人間だ。それが支配者なんて馬鹿らしい。
「あなた、支配者なんて主人公と言うより。黒幕っぽいですわ」
愛想笑いしか出なかった。何より、自分もそれに納得してしまった。平穏と調和を愛する少女には似合わないクラスになったようだ。
「まぁ、そのうち定着しますよ。それでは向こうに合流しましょう」
クラスメイトに合流する。彼らも意思兵装を具現化していて、皆その手には剣やら槍やらを携えていた。中にはブーメランや水晶のような物、どう言う事か釣竿を持っている者もいた。これらすべて意思兵装で、人類の未来を背負った武器達なのだ。
当然のようにさっき草原に変えたのはどっちかと、質問攻めに合う、千雅は美護を指を差す。物騒な物をもった連中に言い寄られ、目を回した。再び吐き気に見舞われるが、必死に口を押さえた。
「はいはいはい。佐藤さんは初めて具現化したばっかなんですから、そっとしてあげて下さいね」
こうして二日目の授業も終了となる。
「皆さん、自分のジョブとクラスは再確認できましたか? これから一生をかけてその意思武装を成長させ共に歩んでいく事になります。その事を肝に銘じるように」
一同から返事が返ってくる。
「よろしい。そして、次の授業ですが土曜日曜とキャンプ合宿に行きます」
殆どの生徒が喜んだ。このくらいの年頃はこういったイベントが起こるとテンションが上がるものだ。
「遊びに行くわけではありませんよ」
シンと、静まり返る。
「実践を想定した訓練だと言う事を忘れないように。勿論、安全を考慮はしますが怪我人が出る事だってあります。遊び半分で考えている人は、連れて行きません」
遊び半分なんてもっての他「美護は絶対に行きたくない」と、思った。実践だとか、訓練だとかこれまで歩んできた人生の中で一度たりとも聞いた事のない単語だった。既に覚悟してきたとは言え、流石に堪えた。
「そして、この訓練の目的は戦闘に慣れてもらうと言う事と、クラス委員を決める事が目的です」
裂の方を見ると、彼女もこちらを伺っていた。目が合う「絶対にクラス委員にしてあげるわ! 私、裂ちゃんの為にがんばるから!」と宣誓を思い出し、ゾッとしていると小さくガッツポーズを裂はとっていた。選抜の方式のおかげで成就が遠退いた気がしているのに呑気な者のだ。美護自身が戦闘なんて出来るわけなく、自信だって無かった。
「レクリエーションも兼ねているので個人で戦うのではなく、助け合いながら行います」
視線が集まるのを感じ、美護は恥ずかしそうに下を向く。
「ではこれにて今日の授業は終了になります。気をつけて帰宅してください」
初日のようにソロリと演習場から姿を消そうと試みたが叶わなかった。
「皆……落ち着いて、目が怖いですよ? 私は逃げませんから……ハハハ」
連絡先交換大会の幕開けであった。