第二章 『え? うん。お願いね』
「どうしてこうなったのか?」「一体どこから間違っていたのか?」頭をフル回転させて考えを巡らせる。しかし、答えなど出て来るはずもなく。すぐさまこの場を飛び出して塾長を怒鳴り散らし、月謝を回収して今すぐ帰宅日常に帰還したかった。
こんな逸脱に逸脱を重ね、美護の考えうる異常事態を全部集めても今の状況に敵う事はなさそうだ。なのに何故逃げ出せていないのかと言うと、それは彼女の普通に対する異常なまでの執着心。この場で出て行く事は教室の輪を乱すという事、それは”普通”ではない。誰一人名前を知らないとは言え、美護にとってそれは禁忌と同じなのだ。それに触れるのなら自分を押し殺し席に着席しているしかない。自分の意見を曲げる事は箸を使うレベルにナチュラルだ。
「ここまで着いてきていますか? 佐藤さん?」
「えっと、ごめんなさい。もう一度いいですか?」
「よろしい!」
講師の話を聞きながらノートに目を落とす。混乱はしていたが、今までの説明が割としっかりと書きとめられている事に我ながら感心する。目の前の女性の名は孔明ヶ辻螺旋、当然この塾の講師である。
麻林塾・三門校は学習塾と銘打っているが、実際の所は学校で教わる物の勉強するところではない。
「いいですか? 何でそこかしこに学習塾があると思いますか?」
ノート最初のページを見る。
「”敵から市民を守る為”……だから?」
「そう。その通りです! じゃあ次は最近あった敵の事件、分かる人いますか?」
美護以外一斉に手が挙がる。
「じゃあ……あなた、牛男君」
眼光鋭い短髪の少年、牛男が席を立つ。
「はい! まずは『ノストラダムスの大予言。一九九九年七の月、空から恐怖の大王が来るだろう。アンゴロモアの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配する為に』あとは『アステカ文明のカレンダー。二〇一二年十二月二二日人類は滅亡する。第一の時代は土、第二の時代は風、第三の時代は火、第四の時代は水によって滅び、そして現在我々が住んでいる第五の時代は火山の大爆発、食糧危機、大地震によって終わる』以上です」
おおっと、教室がどよめきたつ。
「満点はなまるです」
「ノストラダムスの大予言。アステカ文明のカレンダーは社会現象にもなった大予言です。後者は映画なんかにもなりましたね。もちろん、そんな予言ははずれてますけど」
恐怖の大王からは十五年、アステカ文明のカレンダーからはもうすぐ二年経とうとしている。人々は「所詮都市伝説」「オカルトだ」と、絵空事と笑い飛ばす。だが、真実はそうではない。実際、恐怖の大王も現れたし、十二月二二日に滅亡しかけた。しかし、表舞台に出る事なく真実は闇の中に葬られ、人々の思い出の中や、ネットの海に埋もれていく。
「それらの正体が”フィエル”と呼ばれる異形の敵です。一般的な敵は人類を滅亡させる力などありません。前途のような大予言の時に現れる敵は、その数も多く、大予言を完遂させる為に人類を滅亡させようとしています。では、ここでクエスチョンです。一体誰が敵から人類を守ったのでしょう?」
また一斉に手が挙がる。
「じゃあ今度は……波澄さん!」
マイペースに立ち上がったのは、背中まで伸びた栗色のポニーテール。人目を引く巨乳の波澄恋沙であった。
「え~と”勇者”です。ちなみにノストラの時は、あたしのお父さんとお兄さんも戦ったんですよ」
牛男の時の数倍は大きいどよめきが起こる。美護も適当に驚いたような顔をするがチンプンカンプンだ。
「やっぱりそうだったんですか。”波澄”って名前見たときからもしや? と、思っていたんですよ。この組には、他にもそう言った家族がいる人がいるみたいですね? うん! 優秀優秀。続いて隣の北ノ庄城君に質問です」
頬杖を突き仏頂面の北ノ庄城が、眉をぴくっと動かし螺旋を見る。
「勇者の定義とはなんですか?」
北ノ庄城はゆっくりと立ち上がる。
「どんな強大な悪にも臆することなく立ち向かう”勇ましき者”の事です」
言い終わるとドカッと、着席してしまった。「うわぁ不良だ。クラスが凍りつくよ」と、内心肝を冷やす美護であったが、特に空気は変わる事はなかった。もはや、この教室にいる人間には当たり前の情報で北ノ庄城にとっては美護一人の為に割いているこの時間が無駄で無駄で仕方ないのだ。
「その通りです。その昔は中学校・高校で勇者の教育をやっていましたが、志望するものの減少と教育委員会との対立により、次第に塾にて行われるようになっていきました」
敵対策など表立ってできるような内容ではなかった為、学校で推し進めるよりも塾のような個人施設の方が事実を隠しやすかった。かつ、麻林塾のように入校テストを導入する事で、質の高い勇者を育成する事を可能にした。
元より”フィエル対策委員会”と”教育委員会”では子供達の教育方針での対立をしていたので、遅かれ早かれこのような形になっていたのだろう。
かくして先人達は人目から隠れるようにして”秘密結社”のような存在になっていった。勿論、すべての塾が勇者育成の現場ではない。純粋な学習塾もあれば、通常の勉強も教えるハイブリッドな塾もある。
「先生。もうそんな奴の為に時間割くのは効率悪いですよ。いい加減、今日の本題入ってくださぁい」
やはり頬杖を突いたままの北ノ庄城が嫌みったらしく提案する。彼自身美護に対して恨みがあるわけではなく、この無駄な時間が嫌いなのだ。それは美護の普通に対する感情と同じである。
好きでこんな所にいるわけではない美護は「なんでこんなに責められねばならないのか?」と、今にも泣き出さんばかりだ。周りの視線も痛い。「絶対に北ノ庄城とは仲良くできないな」と、思う美護なのであった。
「まぁまぁ、そんな事言わないでください。佐藤さん、理解できましたか?」
はあと、あいまいに答えこの場を収める。
「では、今日の本題です。皆さん携帯電話は持っていますか?」
ガラケーやスマホを取り出す一同。美護の愛機は世界のPear社のlPhone6だ!
「では、配ったプリントの一ページ目に書いてある手順に沿って、携帯電話を操作してください」
◆インストール手順
① ストアを開く。
② 検索バーに『勇者手帳』と入力する。
③ 検索結果内の『勇者手帳Lite版』をインストールする。
④ 必須項目を入力する。
軽快にフリック入力をしていくと、通常版とLite版がヒットした。Lite版は無料、通常版は有料となっていた。
指示通り進めていく。ちなみにガラケーの場合は専用HPにアクセスする形。ブックマーク必須だ。大方の人間の作業が③まで済んだ様だ。
「できましたか?」
名前を入力した段階で指は止まる。
名前 佐藤美護
体力 |
魔量
攻撃
耐性
魔力
素早
「皆さん、スペック入力画面で止まりますよね? 入力できなくても、問題ありません。何故なら今日、これからそれを測定するんですから!」
建物の地下へ移動した。そこには体育館が広がっている。正確には演習場。地下は講師陣のスペースと、このような演習する為の施設が併設されている。バスケットコート二面ほどの広さだ。ここで行われるのが、先ほどのアプリに入力する為のスペックを測定する為のテスト、一般で言う所のスポーツテストのようなものである。動きやすい服装を指定してきたのもこれの為だ。
「それでは、二人一組を作ってください」
螺旋が手を叩く。同じ学校の者同士や、近場にいた同士で組ができていく。美護も近場にいた者に声をかけたのだが、悉く拒否られてしまう。勿論、美護への嫌がらせとか、そう言った類のものではない。
先の教室での一件で理解したのか、全くもって|勇者側の人間とは考えにくい美護と組む者はいなかった。
オロオロしていると、珍しく声を掛けられた。振り返るとそこにいたのはテストの日、教室の場所がわからず半分迷子化していた少女であった。相変わらずブロンズヘアが眩しく、生粋のお嬢様なのだと言う事がわかる。
「あなた、まだお一人? ワタクシが組んであげましてよ?」
腕を組んだまま美護に話しかけてきた。その姿は以前のような迷子風ではなかった。むしろ、逆で自信にあふれているようだった。
「あなたは……テストの日に迷子になってた……」
「! なっ、誰が迷子ですって!」
「わっ! ごめんなさい」
ペコペコと、頭を下げる美護。
「あれは迷子じゃありませんわ! えっとその、視察ですわ!」
それは明らかに嘘であるとわかった。あんなに困った顔をした人間が、視察なんてできるわけがなかった。しかし、これ以上気分を害するわけにはいかないのであえて突っ込まない。
「そうだったの。すごいね。はははっ」
「わかればいいのよ。で、組みますの? 組みませんの?」
勿論、即決だった。周りからは拒否られている美護にとってこの上ないチャンス! 快諾した。見知らぬ人が多い中、一瞬ではあるが絡んだ事のある人がいて少しホッとして、心が落ち着いた。しかし、気がかりな事がある。私なんかと組んだら子もクラスメイトに避けられるんじゃないのかと、聞かずにはいられなかった。
「あの……私なんかと組んでしまって、大丈夫なんですか?」
「あなた、周りの人から避けられ続けていたでしょ? ワタクシああゆうの嫌いですの! だから、主人公としては手を差し伸べなくてはいけません」
「立場が逆だったらそうはしないな」と、思うのであった。確かに誰かをはぶるのはよくない事、見て見ぬ振りは楽だ。そこに突っかかっていくのは、よほどのお人よしに違いない。『主人公』と、言っていたのはよくわからない。
「あと、テストの日に教室を教えてくれた恩もありますから」
「あと、なんですか?」
よく聞き取れず、何故かそっぽを向いている。
「何でもありませんわ!」
ブロンズヘアの少女の顔は赤くなっていた。何に対しての赤面なのかよくわからなかったが、怒っているのかも知れないので、これ以上の追求はしなかった。
「そう、自己紹介がまだでしたわね? ワタクシの名前は柳咲千雅。ドロッシア学院中等部に通っていますわ。以後お見知りおきを……」
ドロッシア学院は阿管で最も由緒ある学校で入園から大学卒業までのエスカレーター式である。俗に言う”ボンボン”が通う学校。ただお金持ちがステイタスの為に通う学校ではなく、学習環境も屈指で数多くの著名人を輩出している。
その昔、勇者の教育をいち早く取り込んでいた機関のひとつでもある。今は廃れてしまってはいるが。
そんな学校に柳咲家の兄姉弟は全員が通っている。三人の兄姉と一人の弟がいる。成績優秀・スポーツ万能・容姿端麗を地でいく存在で、この学校において”柳咲”とは尊敬や畏怖の対象でこの五人が揃っている現在が、ドロッシア学院でも奇跡とも言える最高の時代と呼ばれている。
長男の一は学校を束ねる学院生徒会の長。次男の十次は風紀員長。長女の百百合はミスドロッシア三連覇中。三男の万は小学生にして学院生徒会の会計を務めている。
華々しい兄姉弟を持ち、さぞ千雅もすばらしい肩書きがあるのかと思われがちだが、彼女は他の生徒と殆ど変わりがない。せいぜい、毎年行われる学年ランキングのトップ三に名前が上がる程度。それだけでもすごいのだが、あまりにも周りがすごすぎて見劣りしてしまっている。
彼女にとって学校での地位など取るに足らない事で、授業以外の時間は勇者関連に費やしていた。
前途の通り柳咲家は天才・秀才・カリスマの集まりであるが、敵関係においては一般家庭となんら変わりのない部外者である。この辺りは美護と同じだ。しかし、幼いころに千雅は敵事件に巻き込まれている。その事件がきっかけで勇者の事や敵の事を知り、人一倍ある正義感からこの道に進もうと独学で勉強を続け、今に至る。なので、学院内での地位や評価など彼女にしてみればどうでも良いものであった。しかし、両親はそんな事など知る由もなく、兄姉弟達と優劣をつけていき、四番目の子でありながら扱いは最下位となっていた。けれどそんな事もどうでもよく、敵から世界を守る事の方が彼女にとっては最も優先される出来事であった。自分の身よりも……
美護も適度に自己紹介を済ませると、螺旋の笛が鳴る。
「は~い。では、ペアを組めたみたいですね? じゃあ、順番に並んで下さい。テストを始めますよ!」
勇者塾などと言う異様な施設なので、「珍妙な事をさせられるのでは?」と、美護は心底不安であったが始まったのは普通のスポーツテストであった。反復横跳びやシャトルランなど、学校で行われるそれとなんら変わりがなく少しホッとした。勿論、美護は全力を出す事はなく”ほどほど”の力でこなしていく。
ペアを組んだ千雅は優秀な生徒だと言う事がわかった。手を抜く事はなく、真剣そのもので、勿論成績も良い様で全力を出していない平均狙いの美護の成績を見て「もっとがんばれるといいですわね」と、励ましも入れてくれるほど。このときは流石の美護も胸を痛めた。
突然体育館に大きな音が響く。目をやるとそこには、ヘッドスライディングの形でずっこけている少女がいた。まるでベタな漫画みたいに。
「また、ですわね……」
ムクリと起き上がり、屈託のない笑顔で「大丈夫」を周りにアピールする。彼女が体育館に音を響かせるのは、これで五度目。素敵な笑顔なのだが鼻血を垂らしていた。
「キサッキー! 平気!」
駆け寄ったのは、教室での隣に座っていた褐色の少女、悪鬼丸妹子。彼女が相方だ。
「うん! 大丈夫だよ! それより眼鏡はどこ?」
倒れた反動で眼鏡がすっ飛んでいってしまったようだ。妹子が慌てて取りに行き手渡す。ホラっと、ガッツポーズをする彼女だったが、左右の穴から鼻血を出す結果になってしまった。ちなみに彼女の眼鏡は上フレーム。
「大丈夫じゃない! 先生! ティッシュ、ティッシュ!!」
笑顔とお下げがチャームポイントの彼女の名は、木佐紀崎裂。美護の目指している聖・ラーム学園の付属中学校に通っている秀才だ。スポーツ系が盛んではない学校なので運動が苦手な生徒が多いのだが、彼女はそのなかでも群を抜いていた。
たった数十分で五度もぶっ倒れているのだ。運動中に倒れるならまだ理解もできよう、しかし今回は、裂達の番も終わり外に捌けようと移動中に起こったのだ。
周りの人間は「またか」と、頭を抱えた。ここは勇者を育成する場所だ。そんな所に、しかもクラスメイトに敵の事も勇者の事も解っていない人間と、圧倒的にドンクサイ人間がいるのだ。これから先が思いやられる一同であった。
周りの人間が若干テンションを下げている中、妹子は甲斐甲斐しく手当てをするのだった。
両方の鼻の穴に栓をしていても笑顔を絶やさない裂であるが、勿論その後もボロボロで結局全競技中、全てで最低の記録を叩き出した。当然のことながら美護は目立たぬように真ん中辺りの記録である。
すべてのテストが終わり教室にてテストの結果が配られる。ちなみにこれから発表される結果は、勇者としてのスペックとスポーツテストでの成績の合計だ。スペックの査定する為に行ったのだが、そこは一応教育の現場で彼等彼女等の健康状態も把握しておく必要がある。
「皆さんお疲れ様でした。先生もこの仕事を始めて長いですが、ここまで優秀な生徒の多い組は初めてです。ちょっと身が引き締まりますね。では、成績の良かった人から呼んでいきますので取りに来てください」
真ん中の順位が染みついている美護は余裕だった。順位発表などで真っ先に呼ばれる事などない美護は、ドキドキもハラハラもする事ないフラットである。もしもこれが”勇者”に関するような奇妙奇天烈な競技だった場合、裂を押さえて最下位になる自信が美護にはあった。一般的なスポーツテストだったので美護も普通に真ん中の記録を取る事が出来た。『この順位発表でも半分くらいに名前を呼ばれる』そう考えていた。
今回のテストも美護の見立てでは千雅が上位に入り。鼻血を出していた裂が最後に呼ばれるのだろうと、ぼんやり考えていた。
千雅を含め成績の良かった者は余裕の表情で、「対に自分が一番だろう」と、自信に満ちている。それ以外の者は手を組み、十字を切り祈りを捧げる。その中でも一際入念に祈っているのは木佐紀崎裂、その人であった。彼女の周りにいた者は『いや、お前はないだろ!』と、ツッコミを心の中でかます。そんな周りの的確なツッコミなど知る由もなく、奇跡を信じる裂なのであった。
「では、第一位の発表です!」
教室内に緊張が走る。
『第一位は……佐藤美護さん』
静かな教室内に螺旋の声が響く、誰かのシャーペンが床に落ちる、その音は演習場での裂の転倒音よりも大きく感じられるほどに。そして、しばらくすると一同はざわつき始める。
敵の事、勇者の事を知らないと言っていて完全に部外者と決め付けていた一般人が、まず始めに名前を呼ばれたのだ。この事態に納得できないものは多い。
スポーツテストは至って普通のものだった。今回は勇者のスペックを把握する為のテストで、通常の体力測定とは違う。ここが勇者の塾だという事をすっかり忘れいた美護、思惑通り普通に終わるわけがなかった。
「佐藤さん、取りに来てください」
返事がない、ただの屍の瞳で教壇を見つめたまま、息をするのも忘れて固まっていた。『これは夢だ。私が一番なんかじゃない。あ、そうか同姓同名の子がいるんだ。きっとそうなんだ』などと、現実逃避をしていると隣に座っていた千雅に肩を叩かれる。
「何していますの? 呼ばれてますわよ」
ゆっくりと、我に返る。螺旋が満面の笑みで手招きをしていて彼女と目が合う、完全に美護の事を呼んでいるであった。
千雅に無理やり立たされ観念したのか、教壇へ向かう。足取りが重い事、重い事……今までこんな思いで成績表を貰いに行った事があっただろうか? ……思い当たらなかった。
この注目される感覚が美護は大嫌いだ。奇異の目は当然なのだが、好機の目ですら彼女にとっては向けられたくない、避けるべき対象なのだ。
折角引っ込めたはずの杭がまた飛び出している。しかも、今回はテスト前の比ではない。ここまで出てしまう事は今までになく、ある程度の飛び出した杭なら誰にも気付かせず、出る前以上に綺麗に収める事の出来る超一流の”大工”である美護も今回ばかりは焦っていた。
「ハイ佐藤さん、まさかこんなに優秀だとは思いませんでしたよ。知らない振りをしていたのはここで皆を驚かせるためかしら?」
「イエ、タマタマデスヨ……」
返答に感情は乗っていない。ほとんど紫色の顔をして、成績表を受け取る。難波歩きよろしくで、ぎこちなく席まで戻っていった。
「先生!」
突然、牛男が勢いよく立ち上がる。
「何で美護が一番なんですか? おれの見立てでは彼女はそこまで記録は良くなかったと思うんですが!」
教室中の誰もが抱いていた気持ちを代弁してくれた。
「……牛男君、今回のテストは何を測定する為のテストか理解していますか?」
「はい、スペックを測定する為です」
「そうですね。では、それをさっきやったスポーツテストの記録だけで測定が出来ると、思いますか?」
「…………いいえ。思いません」
牛男は気付いたようだ。ざわついていた教室も沈静化。再三言うがここは”勇者塾”。
「勿論、シャトルランなどの記録も考慮に入りますが。何往復しようがあなた達のスペックなんてわかりません。そのような競技を打ち込んでいる時のオーラなどを読み取り、順位を出しています。それを何ですか? 自分が一番じゃなかったから? 何もわからない風だった彼女が一番だったから? と言って、異議を唱えるのですか? 先生はそれがすごく悲しいです。いいじゃないですか、佐藤さんのこの粋なサプライズ演出! 先生はとっても好きですよ」
螺旋は年齢とは不釣合いな無邪気な笑顔を見せる。
ツカツカと、牛男は美護の席の前にやってきた。『ぶたれるのかな?』そんな事を考えていた。しかし、美護にとって目の前にいる牛男など眼中にはない。彼女にとってはこの状況をどうやって鎮め、平穏な日常に帰るか、その事の方が重要であった。
「佐藤さん! ごめんなさい!」
突然土下座をする牛男、見事なフォームで土下座をする。
「君のサプライズ、見抜けませんでした! 変な言いがかりをつけてしまってごめんなさい!」
美護は全くサプライズなどしていない。それは螺旋が勝手に言っているだけなのだ。しかし、それを真に受け土下座までする。それが牛男穿と言う男なのだ。”真っ直ぐ生きる男”昔から彼はそう呼ばれていた。
「エ、アー……大丈夫デスヨ」
土下座までしていもらっているのだが、やっぱり美護の眼中に入っていないのだった。
「はいはい牛男君、席についてください。それでは二位の発表をします。…………路加聖君」
ガッツポーズをして勢いよく立ち上がったのは、ツンツンヘアーな少年であった。路加は駆け足で教壇へ向かっていく。その姿を見た北ノ庄城は拳を机に叩きつけ悔しさを露にする。
成績表を受け取り席に戻る最中彼は、上から目線で北ノ庄城の横を通っていく。完全に挑発された北ノ庄城はあまりの悔しさに、涙目で睨み返す事しかできなかった。
この二人は幼馴染でよきライバル。昔から色々な所で張り合ってきた二人で、今のところ北ノ庄城が勝ち越してはいるが、今回の敗北はかなりダメージは大きいようだ。そんな二人は推薦にて入校をしている。
「続けて三位です。………………柳咲千雅さん」
千雅が立ち上がり成績表を受け取る。その背中には、北ノ庄城の視線が突き刺さるのだった。
賑やかに進んでいく成績発表だが美護は未だに絶望の底を彷徨っていた。いつまで経ってもこの状態が理解できず、これまで塾で起きた事が走馬灯の如くプレイバック、発狂寸前であった。
突然シャーペンで肩を突かれる。壊れかけのロボットのようにぎこちなく顔を向けると、千雅がニヤニヤしていた。
「あなたすごいじゃない! 隠してたなんてずるいですわ。ワタクシを差し置いて主人公みたいな事をして」
彼女もまた勘違いをしている一人。
「テストの結果が”普通”だったから正直、大した事ないなぁと、思ってましたの」
『普通』その単語が美護の鼓膜を揺らす。その振動は体中を巡り、美護を安息をもたらした。
この異常事態において、もうその言葉にすがるしか平静を保つ術を見出せなかった。「普通、普通」と心の中で何度もつぶやく、それが最愛の人の名前のように。
「ウン、そうよね。普通だよね!」
その後の発表でこれと言ったサプライズはなく、裂の名前が呼ばれて終了となった。ここで授業終了の鐘が鳴る。「ようやく開放される」美護は安堵した。
「これで初日の授業は終わりになります。次回は少し実践的な内容になりますので、気を引き締めて下さい」
「先生。次の授業はいつになるんですか?」
「おっと、その話をしていませんでしたね。先ほどインストールした勇者手帳で割り表が閲覧できます。勿論、当日の朝に通知が出るので便利です。ちなみに次回は三日の十六時です。それでは皆さん気をつけて帰ってください!」
時刻は十九時を回っていた。興奮も覚めやらぬまま初日の授業が終了。美護は誰にも気付かれぬように、そろりと鞄を取り抜き足で教室を出ようとしたのだが。
「あっそうでした。佐藤さんと木佐紀崎さんはこれから先生と一緒に教員室に来てください」
この塾から抜け出す事は出来なかった。蟻地獄にはまった蟻の気持ちが痛いほど理解できた。しかし、これは絶好のチャンス! 直接話して誤解を解き、この塾とはオサラバできるかもしれない。この塾での出来事が悪い夢にする事が出来るかもしれないのだから。
「は、はい」
希望が見え少し元気が沸いてきた。しかし、周りの視線が痛い。特に北ノ庄城からのものは圧倒的であった。
「はい!」
そんな美護と対照的に、裂は元気いっぱいに答え螺旋の後に続いていく。先ほど順位がドベだった事が無かったかのようだ。
三人がいなくなった教室では誰一人帰ることなく、テストの自慢や情報交換をしているのであった。
螺旋の後に続き、美護と裂は横に並んで歩く。
「ねぇねぇ、呼び出されたけど何の話だと思う?」
何故か裂はご機嫌だ。美護の気など知る由もなく。
「……なんでだろう?」
「裂が思うに実は裂の成績が一番で、その事は隠さなきゃいけないんだと思うんだ。その事で相談があるんだよ」
「…………」
かける言葉がなく、なんて”アホの子”なんだろうと思った。失礼な話ではあるのだが。
火を見るより明らかに成績が悪かったのだが、成績がいいと思い込んでいる……と、言うよりも成績がいいと確信しているのだ。木佐紀崎裂は神様も認めるポジティバー『どんな不幸からも喜びを見つける事ができる』が、彼女の信念である。
そこから裂のポジティブ自慢トーークが始まった。彼女の家系も例に漏れず勇者の家系らしく、恋沙の家族と同じように先の予言の時には狩り出されていたそうだ。なにやら写真の切抜きを見せられる。そこには裂とその家族が写し出されていて、大きな戦闘ではなかったが裂自身が始めて参戦した時の写真だそうだ。彼女は401号室において、数少ない実戦経験者の一人である。役に立ったかどうかは別の話である。
そんな、美護にとって実際どうでもいい話を律儀に聞いているうち教員室に到着。途中二回程つまずいた裂であった。
二人はソファーに並んで座らされた。螺旋が対面に座る。教室での和やかな雰囲気とは違い、かなり真剣な雰囲気を纏っていた。
「二人とも何で呼ばれたか分かりますか?」
そんな真剣な雰囲気など微塵も気にせず『はいっ』と、裂は元気いっぱい! 美護は自分から話さなければならない事はあるのだが、何かを言われる事はないと思っている。なので、呼び出された理由もよく分からない。あるとすれば、部外者である自分がこんなところにいて、成績がトップと言うところが怪しまれているかもと言う点だ。
「わからないです」
曖昧に答える。
「まぁ、いいでしょう……」
裂はと言うと、目を輝かせ螺旋を見つめていた。
「まず、木佐紀崎さん」
「ハァイッ!」
テンションマックスなのか鼻息荒く立ち上がってまで返事をする。目の輝きも一層強まる。
「座ってください。なぜか元気ですがそんなに良い話ではないですよ。あなたの成績の事なのですが”木佐紀崎”と、言う名前なので結構期待は掛けていたんですよ? なのに何なんですか? あの体たらくは?」
「え? それはどう言う事ですか? 裂の成績が実は一番なんですよね??」
螺旋はあからさまに頭を抱えた。
「あの成績は寸分の狂いのない正確なものなんです」
「? 言ってる事がわかりません?」
先ほどまで輝いていた目は点になり、頭からはクエスチョンマークが飛び出しまくっていた。
「はぁあ、聞いていた以上ですね……はっきり言いますよ。あなたは先生が見てきた勇者候補生の中で最低です!」
裂は固まった。石化した彼女は砕けるようにソファーに座り込んだ。
「なんでモノばかり詳しくて、そんななんですか? あなたのお父さんから何も教わっていないのですか? ……まぁ、何かを教えるような人ではないですが。それでも受け継いでいるものとかあるでしょ?」
「先せ! ッ~~~~~!!」
互いの間にあるテーブルを乗り越え螺旋にしがみつこうとするが、テーブルの角に脛をぶつけてしまう。うずくまり脛を押さえ、涙目になりながら螺旋を見つめる。
「せ、先生……裂は、もう……”いらない子”なんですか? こ、この塾に……いちゃ……駄目なんですか?」
この世の終わりでも来たように言葉を搾り出す。似たような光景を美護は見た事があった。花子の楽しみにしていたプリンを太郎が食べてしまった時の花子のリアクションのようだと思い、裂に対して少しだけ親近感が沸いた。
「本来なら、退学させるとこです」
その言葉を聞き、古いコメディーのような感じで大げさに 尻餅をつき体を震わせた。勇者の塾にいれないと言う事は勇者候補生にとって死活問題なのだ。
「は、……ははっ」
もう泡でも吹き出さんばかりで、美護は裂の手をとり背中をさすり落ち着かせる。
「先生、そんなキツイ事言わなくってもいいんじゃないですか?」
美護と裂は今日あったばかりの他人だ。美護は教師からの酷い仕打ちを受けている裂を庇う為”正義感”で言ったわけではない。「こんな状況なら普通はこう言うだろう」と、言う経験の基、螺旋に意見する。
「この子にはこのくらい言わないと薬にならないんです。まぁ、木佐紀崎さんの件は一旦置いておきましょう」
灰になった裂をソファに座らせる。
「さて、佐藤さん次はあなたです。少し、あなたの身辺を調査させてもらいました。あなたは|フィエル関係者ではないですね?」
これは美護にとっていい流れであった。自分から切り出そうと思っていた事を螺旋の方から言ってきたのだ。心の中でガッツポーズ!
「……はいそうです」
「やっぱりそうでしたか……おかしいと思ったんです。あんなに物事を知らないのにスペックが一番なんて……ここに入る為にテスト受けましたよね?」
「はい」
「その時すでにスペックの測定されているんですよ。いるんですよ極稀に、部外者でもスペックの高い生徒が……それでテスト結果関係なく合格しちゃうって子。普通の塾みたいな感じで広告打つの止めた方が良さそうですね」
裂の時のように頭を抱えたが、明らかに困っているような雰囲気ではない。直感で『これは私にとって良くない事が起こる』と、感じ取った美護は切り出した。
「そうなんです。私、部外者なんです。だから……この塾辞めたいです! ”絶対”私なんかがいたら周りの人に迷惑がかかります。って言うかかけます! だから、辞めさせて下さい!」
強い意志を混めて拒絶を示す。全く自分の意思を示さない美護であるがこう言った土壇場では自分の意見を口にする。何よりここで示さねば、普通の生活に戻る事が出来ないからだ。クラスメイトの調和も美護にとっては大事なのだが、それと自分の平穏を秤にかけた場合、比重は自分の方があまりにも重かった。特に今回のような超弩級の異常事態ではなおさらだ。
「そうですよね。普通は辞めたいですよね」
大きくうなだれる螺旋。二度目のガッツポーズ、これでこの悪夢から抜け出す事が出来る!
「仕方ないですね。残念ですが、佐藤さんには辞めてもらうと言う事にしましょう…………生徒の意思を尊重しなければ教育の現場とは言えませんよね。この事は塾長には伝えておきます。まぁついでなので、これからの授業の流れを聞いていってください」
どうせ今日で最後なんだから聞く意味は無いのだが、ここで勝手に出て行くわけにもいかず、彼女の話を聞く体制に入る。裂の背中をさすり意識を保たせつつ。
「大事な話なので、木佐紀崎さんの事なのでちゃんと聞いてくださいね? 今度クラス委員を決めます。そこで木佐紀崎さん、あなたがクラス委員になる事が出来れば退学はなしです」
灰だった裂が息を吹き返した。
「それは本当ですか!」
再びしがみつこうと身を乗り出すが、再び脛をぶつける。さっきよりも激しく。その勢いでテーブルが動き螺旋の両膝を打つ。
「ッ! お、落ち着きなさい」
「ぐ、は……い」
自分には関係のない話だった。二度と訪れる事のない塾での話しだ、ボーっとして、聞いていた。
「その事で佐藤さんに少しだけ相談があるんです。木佐紀崎さんの事をサポートしてあげて貰いたいんです」
この塾はしつこいと、心の底から思った。もう辞めるんだと、言ったばかりで承諾もしてくれたはずなのに……
「この子がクラス委員になるまででいいんです。そしたらもう辞めてもらっても構いません。月謝だって返します」
螺旋の途中だったが、急に裂が美護を押し倒したような体勢になる。勢いのあまり顎に思い切り頭突きをかましながら。
「あ、ごめんなさい。お願いミモちゃん! 裂のお願い聞いて! 絶ッ対、恩返しするから手伝って欲しい!」
言っている意味が解らなかった。美護がもう辞める事は知っているはずなのに、図々しくも「願いを聞いてくれ」と、言ってきた。
「だから、私はっ」
「どうしても、裂は勇者にならないと駄目なの、そうしないと……裂」
今までの抜けた発言の多い裂からは考えられない剣幕であった。きっと家庭事情なのであろう、だがそんな事は美護は知らない。今日会ったばかりの赤の他人で”ミモちゃん”と、気安く呼んで抱きついてきているが助ける義理はなかった。
「う、うんわかった。手伝うよ………………ハッ!?」
快諾!
口が勝手に動いていた。条件反射的にこの場は、この展開は、承諾するのが”普通”と判断して口を動す。「しまった」と思ったときには遅く、裂に思い切り抱きしめられ「ありがとう」と、涙を流されていた。
「あ、いや今のは! えっと……」
「今のはなし」と、ハッキリ言えばいいのだが、こんなに泣いている裂を目の前に、裏切る事など美護には出来ない。
「ふふふ、よかったわ。期待してるわよ」
螺旋は二人をそっと、抱き寄せる。その姿は聖母のそれのようだった。やっぱり、美護の気持ちなど知る由もなく。
鞄を取りに教室に戻る途中、裂はポジティブは全開であった。先ほどまでの大号泣が嘘のよう、それと反比例するように美護の気持ちはブルーだった。
未だに教室には何人かの生徒が残っていた。
「あっ! サトミモ達が帰ってきた」
真っ先に反応したのは妹子で、爽やかな笑顔を見せる。歯並びが綺麗!
「……私?」
「あなた以外、誰がサトミモなのよ。佐藤美護、略してサトミモでしょ?」
妹子は特殊な感性の持ち主で、変なニックネームをつける癖がある。普段とは違う呼ばれ方をされたので気恥ずかしかった。
妹子や周りにいた生徒に質問攻めにあったが、得意の当たり障りのない回答で回避。
彼女達は週刊誌を読んでいた。それに目を奪われる。そこには自分と同い年くらいの少年が表紙を飾っていた。
三年三組、出席番号七番。身長一六七センチ。体重五八キロ。好きな教科は数学。嫌いな教科は体育。学校までは自転車で三〇分かけて通学している。家族とは三人暮らしで、彼は食事を担当。得意料理は石狩鍋で、最近は沖縄料理に挑戦している。
趣味はテレビゲーム、友人達とハンティングゲームをよくしていて、以前学校でやっている事がばれ大変な事になっていた。容姿は学年屈指のイケメン! 目が悪く眼鏡必須、成績もよく、希木とは毎回順位争いをしている。しかし、運動が超苦手! そのギャップがまたたまらない! スポーツテストの際、ボールの投げ方が”女の子投げ”だった事が発覚して失望する女子もいたが、その姿が美護にとってはチャーミングに見えた。タイプの女性は活発な子、今は彼女はいない。
そう『祖師ヶ谷大蔵』その人であった。
雑誌を持っていた妹子からそれを奪う。その雑誌は見た事のないものであった。
「この雑誌は?」
「え、知らない事ないでしょ? 週刊ヤングユウシャじゃない」
名前を聞いても知っているものではなかった。
『巻頭特集! 英勇者・祖師ヶ谷大蔵の素顔に迫る!』
「今週の特集、良かったよね。祖師ヶ谷のグラビア超カッコ良かったもん!」
「かっこいい事は知ってるよ」と思いながら、ページをめくる。そこには、上半身裸の祖師ヶ谷がロングソードを構えていたりする。美護にとっては刺激の強い内容であった。
「この人、祖師ヶ谷大蔵君だよね? 何でこんな雑誌のグラビアに載ってるの?」
「なんでって、祖師ヶ谷は史上最速最年少で英勇者になった人じゃない」
英勇者とは、現役勇者の中で最も優れた六人にのみ与えられる、正義と最強の称号なのだが、最近は『能力よりもルックスやスタイルで決められているのでは?』と、噂されている。が、それを差し引いても最強の名に恥じない六人である。
衝撃が走った。自分の憧れ好いている祖師ヶ谷が普通の少年ではなく、こんな不可思議集団のしかも、英勇者などという謎の称号を与えられている事に戦慄した。ただ、それ以上に祖師ヶ谷の普段見せない姿を見る事が出来て嬉しかった……圧倒的に。
きっとこの事は学校には言っていないのだろう、そんな秘密を一方的に共有した事が、下品な話”興奮”した。
即座に美護の脳は高速回転する。祖師ヶ谷の彼女になると言う事は、勇者の彼女になると言う事だ。彼のこう言った部分も理解しないといけない。それを受け入れられるのは自分だけ! しかし、今の自分では勇者の事など皆目理解できない。なので、この塾で学び祖師ヶ谷にふさわしい佐藤美護になるしかない!
「裂ちゃん!」
「ワッ、なに? ミモちゃん?」
裂の両肩をがっしり掴み、いつになく真剣な……いや、ギラギラした眼差しで彼女を見つめる。流石の迫力に裂ですら目を避けてしまう。
「絶対にクラス委員にしてあげるわ! 私、裂ちゃんの為にがんばるから!」
「え? うん。お願いね」