【火の鳥】
パチパチと何かが弾ける音が聞こえる。
夜空に向かって、まるで舞でも踊るかのように赤い羽虫が飛んでいく。
辺りには多くの人影が集まっていた。その中心では一件の民家が炎に包まれて燃えていた。
誰かがささやく・・・
「放火だってさ」
炎は、その舌で全てを舐め尽くすまで蹂躙を辞めようとはしなかった。
暗い夜道をたった一本の街灯が弱々しく照らしている。
漆黒の闇からほんの一部分だけ切り離したその一画には、一匹の蛾が光を求めて彷徨っているだけであった。
そこへ、その世界の理を破るように一つの人影が現れた。
人影はジッと一棟のマンションを見つめていた。
「そこで何をしてるんですか?」青年と呼ぶにはギリギリの男が声をかける。
声をかけられた少年は、何も答えようとしない。
「最近、この辺で不審火があいついでるんで」やんわりとした口ぶりではあるが、あきらかに少年を疑っているようであった。
「いえ、ちょっと夜風にあたりに・・・散歩していただけです」少年はそう言うと、両手を広げて見せた。
「そうですか、不審者を見かけたら警察か消防に連絡して下さい」そう言い残すと、まだ釈然としない様子ではあるが、青年は家路に向かった。
決して大きくはないが、こじんまりとした一室には暖かな光に満たされていた。
「ただいま」青年は玄関をくぐると、部屋にいる妻に声をかけた。
「帰り際に変な少年に会ってさぁ」服を脱ぎながら訝しげに話す。
「どんな風に変だったの?」妻は料理をテーブルに運びながら興味を示す。
「それがさ、暗い夜道に一人でマンションを見てたんだ」青年は興奮気味にキッチンテーブルに座る。
「好きな子でもいるんでしょ」妻は、なーんだと言う感じで器に料理を盛る。
「最近の放火と関係があるんじゃないかと思ってな」何かを考え込むようにジッと一点を見つめている。
「怖いわね、さぁ冷めないうちに食べてね」妻が重い鍋を持とうとした時、青年は咄嗟に鍋に手をやる。
「危ないから、オレがもつから」青年は鍋をテーブルに移すと、妻のお腹に手をあてた。妻のお腹には新しい命が宿っていた・・・。
「この子の為にも、事務職に転属願いをだしてほしいの」妻は青年に何度も話をしている話を持ち出す。
「この子の為にも、オレは消防の仕事を続けたいんだよ」青年も、何度めかの同じセリフを言う。
「私、あなたにもしももことがあったらと思うと夜も眠れないのよ」妻は泣きそうな表情を浮かべる。
「それは・・」青年が言葉に詰まりながらも、何かを言おうとしたその時・・
ピーピーピー・ピーピーピーと乾いた機械音が鳴り響く。
「出動要請だ・・」青年が慌てたように妻に言う。
「話もちゃんと出来ない、いつも、いつも」妻は涙を浮かべながら別室に入っていった。
「出勤するぞ!」青年が別室の妻に呼びかけたが、妻からはなんの返答もなかった。
青年が現場に到着するころには、管外から応援の消防車まで来ている大きな火災現場となっていた。
「ここは・・」青年が驚くのも無理はない、
そこはさっき少年が見つめていたマンションであった。
(やっぱり!)青年は何故もっと詰問しなかったのか後悔の念に捕らわれていた。
「誰か、私の赤ちゃんを助けて下さい!お願い、まだ中にいるの!」担架に乗せて運ばれながら、まだ若い母親が叫んでいた。
「オレも行きます」青年は部隊長にそう言うと、動きかけていたハシゴ車に飛び乗った。
(いつもなら単独判断なんかしないんだけどな・・・つい妻とダブっちまったな)苦笑しながらぼんやりとそんな事を考えていたが、火災場所に近づくにつれて顔が引き締まってきた。
ハシゴが現場に届くと割れた窓ガラスから部屋に突入を試みる。
部屋全体が煙りに包まれていた。
「視界ゼロ、炎の勢いが強くて突入できそうにありません。放水で突入口を切り開きます」無線で別の隊員が地上と交信している。 その時・・・
(オギャー・・オギャー)今にも消えそうな弱々しい鳴き声が聞こえてきた。その瞬間・・・
「オレ行けます」青年は合図も待たずにホースを片手に窓から炎の中に突入していく。
ゴォーゴォーと燃えさかる炎の中、まったくと言っていい程視界が見えない部屋の中を、勘だけを頼りに進んで行く。
(赤ん坊が寝ているとすれば家人の寝室のはずだ)青年は寝室と思われる奥の部屋に進んでいった。
いくらマスクと防火服をしているとはいえ、尋常ではない熱気と煙に包まれて青年の体力はみるみる削られていった。
(火の周りが早いな・・異様に燃えるスピードの速い壁紙に不吉な考えが頭をよぎった。欠陥住宅!)嫌な考えを振り払うように勢いよく呼び込んだ部屋に赤ん坊がいた!
直ぐに赤ん坊を抱き上げると救助用のマスクを付けさせる。
(よかった、まだ生きてる)赤ん坊と脱出しようとした瞬間・・・・
ドゴォォォォーーーとゆう轟音とともに、上のフロアが崩れ落ちてきた。咄嗟に赤ん坊を身体の下にかばう。
薄れゆく意識を必死に押さえつけながら、現状を分析する。どうやら建材が下半身を押さえつけているようで、身動きがとれない。自力ではどうすることも出来そうになかった。
(ここまできて・・)青年が悔しそうに周りを見つめていると・・
「お前は!」青年は驚いたように叫んだ。 そこには、青年が夜道で声をかけた少年がたっていた。
「迎えにきました」少年はこの状況でも落ち着き払った声で話した。
「お前が火を付けたのか!」青年は怒号を発する。
「違いますよ」少年はあくまで冷静だった。まるで、心を閉ざしているかのように。
「今はどっちでもいい!頼む、この子を外に連れ出してくれ」青年は赤ん坊を少年に差し出す。
「お預かりします」少年は赤ん坊を優しく抱いた・・・。
青年は薄れゆく意識の中で、ぼんやりと二人を見つめていた。二人が消えたのを見届けると(ごめんな・・)妻とまだ見ぬ子供に謝りながら、青年は完全に意識を失った。
次に青年が目を覚ましたとき、そこは病室のベッドの上だった。
「あなた!」声にならない声を上げながら妻が抱きついてきた。
青年は自分が置かれている立場がわからずに、戸惑っていた。
「ヒドイ火災で、あなたもヒドイ怪我で・・」妻が戸惑っている青年に説明をしていた時、突然青年は全てを思い出した。
「赤ん坊は!」咄嗟に辺りを見回すが、そこには妻の姿しかなかった。
「残念だけど・・」妻は少し迷った様子を見せたが、本当の事を話し出す。
「あなたは倒れた建材の下敷きになったおかげで炎から守られたの。赤ん坊はあなたが抱きしめていたんだけど・・・体力が持たなかったって先生が言ってたわ。」妻がゆっくりと説明をしていく。
「そんなバカな!たしかに少年に渡したはずだ」青年は起きあがろうとして、怪我の痛みでうずくまる。
「まだ無理をしないで!きっとまだ混乱しているのよ。」妻がやさしく青年をベッドに寝かしつける。
「私・・あなたが生きていてよかった」妻は泣きじゃくる。
青年は担架に乗って運ばれながら泣き叫んでいた赤ん坊の母親を思い出していた。
「オレが生き残ちゃったな」ポツリと言った一言に妻が顔色を変える。
「あなたはこれから父親になるのよ!あなただけの命じゃないのよ!」妻は青年を抱きしめる。
「イタタタ、ごめん、そんなつもりじゃなくて」青年は痛いけれども、その痛みを愛しいと感じていた。
「亡くなった赤ん坊の分まで、生まれてくる赤ちゃんを愛してあげて」妻がやっと安心したようにささやく。
「愛してる」妻の背中に手をやりながら、青年は少年のことを考えていた。(あれは誰だったんだろう・・・)
ウーーーウーーーどこかでまた、火災があったのか?サイレンは夜の街に吸い込まれるよに遠ざかって行った。
END