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秋の話  作者: ¡no pasarán
6/21

毒の風

 明け方、階段の下には何時も暗闇があった。

 夜は空から押し出されて階段下に潜み、そこだけ人でない怪物の時間だった。

 でも何時からか、怖くなくなった。足元に毛むくじゃらの野獣が付いていてくれたから。

 シトロンは特別だ。夜の終わりを教えてくれる。いささか早く、急かすように。


 ギュスターヴは頬に毛むくじゃらの野獣を感じて、瞼を閉じたままにしていた。

 もしかすると、これまでの事は全て悪夢で、目を覚ませば見慣れた自分の部屋があるのではと考えた。

 ただそうすると、まるで思想家に詰め寄る哲学者のように鮮明な記憶が走り、全てが地続きなのだと断言してくる。それに、鼻は正直だ。

 ──シトロン。

 そう呟き、ギュスターヴは瞼を開いた。浅黒い染みが点々と並ぶ木の板が、ここは穴倉で、それもろくでもない場所だと示す。窓はなく、草木もない。反対に鼠は恐ろしく太り、ほんの少し前まで人間だった肉の塊に頭を突っ込んだりしている。シトロンが居れば、皆殺しにしてくれるだろうか?

 ギュスターヴは頬を撫で、あの毛の感覚はなんだったのかと考えた。頭が泥沼のように粘り付いて上手く回らなかったものの、肌寒さを感じてすぐ風だとわかった。朝の冷たい風が空から降っているのだ。それが張り巡らされた壕を吹き、ここまで届いている。

 ──やはりシトロンだ。

 ギュスターヴは心で呟き、外套を羽織って階段を上った。入口からは陽光が差し込んでいて、咥えた煙草の先端だけが白く輝いた。

「ボン。ジュール」

 ジュールと呼ぶのは一人しか居ない。胸壁にもたれ掛かった男に、ギュスターヴは睨みつけるような視線を送った。相手はわざとらしく手を広げ、首を傾げる。ギュスターヴは気にせず射撃台に腰を下ろし、マッチを擦った。

「なんだ、悪い夢でも見たか」

「ああ、泥水のお陰だよ」

 そう返すとマテューは笑った。

「やっぱ安物は駄目か」


 ギュスターヴは根元に迫る火種を見つめながら、果たして夢を見たかどうか考えていた。記憶は目覚めた時のものからでしかなく、曖昧だ。それに下らないことを考えても仕方ないから、今度買い出し番になったら何を買おうかなど余計に下らないことばかり考えるようになった。そして甘いものは無条件に良いものなので、とにかくなんでもいいから菓子を最優先にすべきだという結論に達しつつあった。

 陽がやや高く昇り、辺りも温まってきた頃、壕を少し行った処にある監視哨が騒がしくなった。向かいの敵方に係留気球が上がったのだ。更に、立て続けに三発の信号弾も上がったということで、方々の穴倉から眠気眼の兵が叩き起こされて来た。

「向こうから来るのか」

 ギュスターヴはそう言いつつも、少なくとも自分から肉挽き機(機関銃)に突進するよりはましだと思った。こちらは何もない処を並んで突進するのに対し、あちらは壕に籠って待ち構えるだけでいいからだ。しかし、マテューはそう楽観的ではないらしく、声を低くして言った。

「何が出るかわかんねえぞ」


 信号弾が上がって半時間と少し、予想された砲撃や敵兵の姿はなかったが、敵の方角から煙幕のような白煙が漂い始めていた。風向きからしてこちらへ流されてくるそれは、霧のように広がって迫り、段々と、確実に色味を帯びつつあった。誰かが叫ぶ。

 ──ガスだ。



   毒の風─おわり



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