泥の道
まるで蓄音器だ。
ギュスターヴはクランク棒を握りながらふと思った。
運転台では紙巻きたばこを咥えた運転特技下士官がふんぞり返っており、前照灯の照り返しで輪に掛けて険しい表情を造っていた。クランクを回すのは雑兵でも出来るが、エンジン始動にはそれなりの技術が必要らしい。ギュスターヴは、果たしてこの樽腹の伍長の何処に特別な技術が隠されているのかと疑問に思えて仕方なかった。
「ジュール、手元がお留守だぞ。鉄拳食らうのはお前だけじゃねえんだ」
ギュスターヴをジュールと呼ぶのはマテューで、コートドール出身の大柄な男だ。
マテューを一瞥して、ギュスターヴはクランク棒に手を掛けた。二人で一息に押し込むと、エンジンが咳き込む。やがて樽腹の伍長がアクセルを吹かしたのか、安定して回り始めた。
ギュスターヴはクランク棒を運転台に収め、マテューに続いて荷台に上がった。
幌の開口部から後ろを眺めると、月明かりでいびつに浮かび上がった泥道があり、その先、低い丘の斜面には前哨灯の列があった。元は先行する輸送段列と走っていたのが、エンストして後続に追い付かれていた。
貨物自動車が動き始めた処で、マテューが木箱でマッチを擦った。僅かな灯りに積み上げられた木箱が映し出され、その全てに軍の烙印があった。マテューは特に感動もなく、──えらく運び込むな。とだけ呟き、紙巻き煙草に火を点けた。ギュスターヴは不安だった。
「こっちから仕掛けるのかな」
マテューは煙草の灰をはたき落とし、酷く面倒そうに答える。
「仕掛けるだろうよ。祖国は侵略されてる。それが守るばっかじゃ体面が保てねえ」
「体面の為に死にたかないよ」
ギュスターヴは正直に思ったままを言って、塹壕に立て掛けられた木の梯子を思い浮かべた。登る時には五十人でも、帰る時には半分にまで減っている。
「おめえの体面じゃねえよ、軍の体面だ。これが駄目になると、偉い将軍の首が飛ぶ」
そんなの幾らでも飛ばせばいい、とギュスターヴは思う。何しろ、攻撃を仕掛けたが最後、不利になっても中々退かせてくれず、ようやく退却出来ても生き残りが多ければ卑怯者扱いなのだ。
「いっそ、まずい戦争をやった将軍はギロチンだって脅せばいいのに」
ギュスターヴが指で首を切って見せたので、マテューは眉を寄せ言った。
「馬鹿言え。そいじゃあ、将軍が誰も居なくなるぞ」
二人を乗せた貨物自動車は、前線に近付くに連れて速度を落とし始めた。砲弾が落ちる度に孔を埋めるものの、数が多く間に合わないのだ。特に前線近くは砲兵に標定されているらしく、断続的に砲撃を受けていた。凹凸を乗り越える度、二人は滑り出しそうな木箱に押し潰されまいと身構えた。
前線からは定期的に照明弾が打ち上げられている。その灯りが薄く届く辺りまで貨物自動車が来た頃には、二人共眠くてうとうとしていた。幌の間からは照明弾の灯りに照らされた茂みや木々が見え、寿命間近の白熱電球、──それも巨大なやつ── が明滅しているみたいだと、ギュスターヴは思った。
泥の道-おわり