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高校時代  作者: susabi
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第2話

「郷に入れば郷に従え」あんまり好きな言葉ではないが、運動部に所属した。いままでこれといった運動もせずに幼少期をすごし、体育に関しては平凡な人間であったから、自分から積極的にスポーツをしたいなどとは思わない青白い少年であった。中学時代に少しだけかじったことがあったのと(すぐにやめたというです)、背が高かったので、しつこく勧誘され、バスケットボール部に入部した。


当時はまだ「マイケルジョーダン」や「スラムダンク」などは流行ってなかったので、人気のない穴場の運動部であった。それでも何年か前に大阪代表で全国大会に出場し、そのときのOBたちが練習を指導していた。当時は運動神経のいい野球経験者なども高校からバスケに転向したらしいが、野球部が強くなってきて人材が流れ、バスケ部は人集めさえ苦労していた。秋の文化祭で映画を撮るという夢はまだ抱いていたが、これにバスケットが加わっても何とかなるだろうと思っていた。この高校は夜間部も併設していたので放課後の練習時間は一時間半と意外と少なく、自分の時間は確保できると思っていた。


ところが部活に入ってみて驚いた。早朝練習、昼連、放課後と一日3回もコートに立たされた。しかも一年生はその前後に雑巾がけやボールの準備をしなくてはならない。どこの部も同じだ。音楽系のコーラスやブラバンも同じだけ練習するので、女子も例外なく弁当は授業中に食べた。おしゃべりで授業を妨害されるよりも食べながらのほうがみんな黒板を見るので、先生も特に文句は言わなかった。放課後は早々に帰宅して風呂に入って眠らなければ身が持たなかった。水曜ロードショウの水野晴夫にも日曜映画劇場の淀川長治にも会う元気は残っていなかった。


さらに毎日のように鬼監督のスパルタ体育授業が待っている。この頃になると準備運動のうさぎ跳びに片足とびやカンガルーも加わった。ハンドボール部全国制覇の野望を抱くこの鬼監督に部活と授業の区別など関係なかった。限られたか時間内で成果を上げるため、目の前にひとりでも部員がいたら全員一緒に鍛えるのである。


水泳の季節になってやっと準備運動から開放されたと思ったら、いきなり1500泳げという。みんな150mのことだろうと思って25mプールを3往復して、ヨロヨロと上がってきたら、あと27往復も残っていた。「先生もう限界です。体が持ちません。これ部活じゃないんですよ」と耐えかねた生徒がいったら「勝手に限界を決めるな、倒れた時が限界や!」と本気で怒鳴りつけていた。


子供のころに漫画で梶原一騎の「巨人の星」や「あしたのジョー」を読んで、その描写力の巧みな「川崎のぼる」や「ちばてつや」に興味をもっても、星飛雄馬や矢吹丈に憧れるような人種ではなかった。スポ根は別の世界の物語であったのが、自分がその真っ只中に置かれてしまったのだ。


日曜日は毎週練習試合。同じ一年生でも上手い者はベンチに入って交代要員で試合にも出ていた。私は試合ではコートにすら入れなかった。体育館の2階から声援を送る係りであった。何をやっているんだろうか、と悩む暇もなく、来る日も来る日も練習の日々である。過度の疲労は思考力さえ奪ってしまう。練習を仮病で休むと次の日は体が動かなくて余計に辛かった。毎日運動し続けることが一番楽な方法であったのだ。


憧れだった高校生活最初の文化祭のクラスでの出し物は「人形劇」。2,3日前に用意した、市販の指人形で、「狼と3匹の子豚」を一回やった。そして、あまりにも自分達の幼稚さにあきれて一回で上演をやめてしまった。そして私には、映画を企画する気力は無かった。ましてや、人を指揮して何かをまとめようなどという自信は微塵も無くなっていた。プロでもアマでも映画の監督をするというのは、揺るぎ無い自信と信頼がなければ成しえないものである。


中学時代に映画を撮れたのはクラスメイトの信頼を得るだけのタイミングがあった。その年私は岡山の中学から丸一ヶ月アメリカにホームステイにいった。今ではよくある話であるが、当時はアメリカに渡るためにはホノルルかアンカレッジを経由しないと飛べない時代であった。そんなときに一人でアメリカの広大な自然の中で過ごした経験は、学校でも評判となり、自分自身を大きく成長させていた。


その経験も自信も、この大阪では平凡な出来事に過ぎなかった。ピアノを弾いてる女の子は、幼いときからヨーロッパに学びに行っていたし、野球少年たちは中学時代にアメリカでの親善試合に出場していた。


この高校の文化祭は演劇部が仕切っていた。彼女らの舞台が全てだった。白い面をかぶった個性的な創作劇で、これを目当てに学外からも観客が集まってくる。顔を隠した彼女達は大胆であった。これが同じ高校生とは思えないような大人びた体を、その演技のなかで見せつけた。はじめて女性の体が美しいと感じ、男子禁制の理由を理解した。


続く


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