(97) 祁魂[けたたま]しい
早朝からバタバタと慌ただしく小学二年になる息子の友也が叫びながら家を飛び出していった。
「おい! 今日は日曜だろ?」
少し前に起き、朝刊をソファーに座って読んでいた川塚は腹立たしく妻の沙奈に言った。沙奈は炊事場に立っている。
「クラブの練習よ…」
「ああ、サッカーか。W杯が始まってから、偉い熱の入れようだな…」
「僕が出て、仇を取るんだって」
「仇ねぇ~。ははは…勝ったチームは危ういんだ。仇取るより技を磨け! って言いたいな、俺は。結果、勝てんだからさぁ~」
ニタリと笑って川塚は返した。そのときふと、川塚の脳裡に、ある疑問が湧いた。友也のやつ、叫びながらけたたましく飛び出していったが、けたたまい・・って、漢字でどう書くんだろ? という素朴な疑問である。国語の教鞭を執る中学校教諭の川塚だが、生憎、その漢字を知らなかった。そんな自分が少し情けなく思え、川塚は朝食もそこそこに書斎へ向かった。沙奈は、いつもと違う川塚の様子を訝げに見送った。
検索すると、けたたましい・・という文言に、決まった漢字が無いことが判明した。さらに調べていくと、古今の作家が漢字を当てはめて小説中で使用していることが分かってきた。徳富蘆花、生田葵山、長塚節、石坂洋次郎といった有名作家の面々は消魂しいと表記し、尾崎紅葉、小栗風葉、森田草平は気立しいとし、尾崎士郎、田村俊子は気魂しい、大菩薩峠を著した中里介山に至っては、喧しいと著しているのだった。ならば! と川塚は思った。自分独自の表記を考えてもいいだろう…と。
川塚は、いろいろと調べ、吟味した。そして数時間が経ち、ついに結論が出た。ある漢字に思い至ったのである。それは、━ 祁 ━ という漢字だった。とても、大いに、さかん…の意を含んでいるらしかった。字体のフォルムもどこか格好よく、川塚は、よし! これに決めた…と満足げに、━ 祁魂しい ━ と、紙に書いた。そして、しみじみ、いい感じだ…と、誰もいない書斎でニンマリした。
「あなたっ!! お昼よ!!」
沙奈の祁魂しい声が書斎へ響き渡った。
完




