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(85) フライパン

 寿ことぶきは台所で収納したフライパンを出そうとした。そのとき、異変は起きた。

 寿の家には、ある程度新しい鉄製フライパンと古いステンレス製のフライパンがあった。新しい方はIHクッキングヒーターを電化店で買ったとき、粗品としてもらったものだ。そして古い方は、かなり昔のステンレス製のフライパンで、こちらは寿の幼い頃からある年季ものである。だが残念ながら、取っ手の硬化プラスチック部分が割れ、接続ネジが取れていた。寿がなんとか接着剤で接着し、もたせておいた物だ。それが、たびかさなる戸棚とだなからの出し入れのため、少しずつ接続部がゆるんだのだろう。今日、スポッ! と抜ける異変が起きたのだった。寿は、こりゃ、もう駄目だ…と一端は捨てようと思った。だが次の瞬間、いや、待てよ…と思い返した。小学生の頃の遠い懐かしい記憶が一瞬、寿の脳裡のうりよみがえったのである。それは、家庭科の実習でフライパンを学校へ持って行ったときのかすかな記憶だった。寿は、これは捨てられんぞ…と考えを変えた。ともかく、もう一つの鉄製フライパンを出し、急ぎの調理を終え、その場は終息を見た。

『ふぅ~、危ないとこだった…』

『ヒヤヒヤしましたよ。もう少しでしたね、先輩』

『ああ…』

『でも、よかったです』

『いや、この身、明日はどうなるか分からん。あとは頼んだぞ!』

『ぅぅぅ…先輩!』

 2ヶのフライパンは接触点でチチチ…と微妙に震え合いながらむせんだ。そんな寸劇が戸棚の中でわされていようとはつゆほども思っていない寿は、呑気のんきにサッカーのW杯を観ていた。

「ハットトリックか…これはすごいぞ!」

 そう独りごちたとき、寿はふと、何かやり残しがあったな…と、思った。だが、どうしてもその内容を思い出せず、試合を観続けた。

 時は流れ、寿が夕飯の準備をしよう…と戸棚を開けた。そのとき、寿はし忘れたことを思い出した。今度は忘れまい…と夕飯準備が終わると同時に、寿は修理を開始した。

『さらばじゃ! あとは…』

『先輩!!』

 こんなフライパン同士の会話が寿に聞こえる訳がなかった。寿は、まずボンド等で、緩んだ部分を固定化し接着しようとした。だが、その第一段階が終わるとともに、すぐフライパンの取っ手はグラついた。これは駄目だ…と、寿は第二段階として針金で固定しようとした。しかし、この策もグラつきは止められず徒労とろうした。寿は、サッカー選手のように両腕を組んでテレビポ-ズを作り、しばし巡った。そして、決断すると、木の切れ端を取っ手型にサンダー[自動研磨機]で成形し始めた。第三段階である。ある程度、削れたところで金槌かなづちでフライパンに差し込んでたたいた。あとは接続ネジを2ヶネジ込んで固定するだけだった。だがネジくぎが長すぎた。寿はサンダーで削って短くした。そして、インパクト・ドライバー[自動回転式・衝撃ドライパー]で締め付けた。ついに上手うまく固定し終えた。あとは、持ちやすいように軽くかどを成形して丸くし、作業を終えようとした。だが、取っ手の部分が黒だったものが木肌がモロに出ているのが気に入らなかった。寿は黒マジックで付けた新しい取っ手を塗った。そして、まあ、これでいいだろう…と戸棚へ修理を終えたフライパンをもどした。

『ぁぁ…よかった! お帰りなさい、先輩!!』

『なんとか、帰れたよ…』

『手術は成功したんですね?』

『ああ、そのようだ…』

 フライパン同士は歓喜かんきのあまり、かすかにチチチ…と、うち震え、再会を祝した。寿にはそんな会話が聞こえるべくもなく、彼はW杯を冷えたピールを口へと運びながら、観始めた。あたりには夕闇が迫ろうとしていた。


                  完


※ 本作には後日談がございます。漏れ聞くところによりますと、後日、取っ手の黒マジックの上に、二スが数度、塗られたそうにございます。^^

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