(52) 虫歯哀歌
やっと歯医者から解放された喜びで小学校三年の和弘はウキウキしていた。というのも、この夏のスケジュールは自分なりに考えて、ビッシリ詰まっていたからだ。それらのスケジュールを熟すには、一日の余裕もなかった。そんなことで、和弘はウキウキと家へ帰宅した。
「ただいま!」
「あら? 早かったわね…。もう、いいの?」
ママの亜耶が怪訝な面持ちで訊ねた。
「終わり終わり! もう、完全に終わり!」
「完全に?」
「そう、完全に。もう一生、行くことはないんだから!」
和弘は自信ありげに強く言った。この時点で和弘は鼻歌混じりで階段を昇り、自室の勉強部屋へと急いだ。気分は快適で、その心理で出る鼻歌といえば好きなサルフィというグループが唄う流行歌である。悲しい演歌などでは決してなかった。まあ、演歌は祖父母や父が聞いている程度で、和弘に縁はなく、好みでもなかったのだが…。
和弘は北叟笑みながら、夏休みの絵日記を開いた。なんといっても夏休みはまだ優に3分の2以上は残っているのだから、笑みも漏れる訳だ。
━ きょうは、さいごのはいしゃさんへいった。もう、こなくていいよ! と、せんせいにいわれた。かんぜんにおわった。うれしかった ━
書き終わった和弘は急に治った歯を見たくなった。和弘は柱に掛かった鏡の前で口を大きく開いて歯を見た。確かに治療されて治っていた。和弘はホッとした気分で口を閉じた。こうして、事は終わったかに見えた。
二週間が順調に流れ、和弘のスケジュールも、この分でいけばすべて片づく目安がついていた。そうした、ある日の朝である。和弘はいつものように洗面台の前で歯を磨いていた。口を漱ぎ終わり、なにげなく口を開いたそのときである。この前、治療を終えた歯の反対側の奥に少し黒くなった部分を見つけた。和弘は何かついてるんだろう…と軽く思い、歯ブラシでその部分を擦ったが取れなかった。完全な虫歯だった。和弘のテンションは急降下した。
「あら? どうしたの?」
「歯医者さん…」
「完全に終わりじゃなかったの?」
ママの亜耶は少しニンマリとした顔で言った。
「…」
和弘は返せなかった。ちょうどそのとき、祖父が流す演歌のカラオケが離れから哀れに聞こえてきた。
完




