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(33) ナッツ石竹の強敵

 彼は強い。その名をナッツ石竹という。彼はWBC世界ライト級チャンピオンである。彼の繰り出すカミソリパンチの切れ味は抜群で、切れるというよりは斬れると表現した方がいいほどすごかった。秒殺とはまさにこれで、彼の繰り出す素早いパンチを受けた者は必ずダウンし、二度と起き上がれなかった。

 この日も、ゴングがド派手に鳴らされていた。試合が始まって、まだ2ラウンドの前半なのだが、挑戦者は彼のパンチを受け、ぶざまにもリング上で大の字になって気絶していた。そんな彼が、まさか破れる日が来ようとは、誰が想像しただろう。相手は強豪とはとても呼べない格下の選手だった。

「えっ? ははは…、勝てるんじゃない?」

 試合前のナッツ石竹のコメントだ。彼自身に少し気分的なおごりがあったのも事実である。試合後、彼は自らの非を認めるコメントも出している。

「完敗です! やつには完敗です! まさか足の先がムズかゆくなるとは思ってませんでした…」

「… ?」

 その前日、ナッツ石竹は自宅の庭のテラスでくつろいでいた。明日は試合だ…という意識はあった。減量は上手くいき、体調は万全だった。テラスの椅子に彼がゆったり座っていると、どこから飛んで来たのか、一匹のアブが彼の足元に止まった。残暑がまだ続いていたから、彼は半ズボンの単パン姿だった。当然、足は裸足だった。アブが美味うまそうな足がある…と思ったかどうかは分からないが、チクッ! と彼の足を刺した。痛っ! と、彼は瞬間、カミソリパンチを繰り出したが、敵もさる者、ブ~~ンと素早く飛び去った。彼に嫌な予感が走った。彼はともかく、足を手当てしよう…と薬剤の軟膏なんこうを塗り、れも引いたことで、安心してしまった。そして、負け試合当日になったのである。

「そんな強い相手とも思えませんでしたが?」

 試合後、報道陣の質問が飛んだ。誰もが彼が負ける訳がないと思っていたのだから尚更なおさらだった。

「いやあ~、やつは素早い! 僕のパンチを避けて飛んでいきましたからねぇ~、ははは…」

「はあ?」

 報道陣はナッツ石竹の言葉が、どうしても理解できなかった。彼が同じ相手とのリターンマッチでふたたびチャンピオンに返り咲いたことは申すまでもない。


                 完

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