(15) 友ちゃん
執事の私が申し上げるのも畏れ多いのでございますが、皆月友子ちゃんは今年、人生で初めてお金というものをお使いになられました。といいますのは、かねがね一度、使ってみたい・・と思っておられたのでございますが、今まで欲しいものはすべて、お付きの婆や、美苗が買ってくれましたから、その機会には恵まれなかったのでございます。その美苗と友ちゃんは同い年で、今年で96才でございます。あっ! 言わせていただきますが、ちゃん・・呼ばわりは、友ちゃんのかってのお願いなのでございます。ですから私は敢えて友子さまとはお呼びせず、友ちゃんと言わせていただいておる訳でございます。
お正月ということもあり、友ちゃんは久しぶりに美苗とお芝居見物にお出かけになられました。といいましても、一般社会の私達とは少し異なりまして、スケジュールのすべては一週間以上も前にすでに決められていたのでございます。決めたのは友ちゃんご自身ではなく、皆月家で企画課長を務める山崎という老人でございました。この辺りを、もう少し詳しく申しますと、山崎は決裁印を押しただけで、企画立案したのはその配下の五人います企画課所属の若いお付きだったのでございます。では、友ちゃんは何をされたのか? ということになりますが、友ちゃんは、お芝居見物に行きたいわね・・と、婆やの美苗に呟かれただけだったのでございます。美苗は、『ほほほ…左様でございますわね。そのように手配させることにいたしましょう』と答えたのですが、それが、かれこれ十日ばかり前のことでございました。
もちろん、お芝居見物だけではございません。企画立案されましたスケジュールには様々な行程が分刻みの表に纏められ、それを実行する責任者として運転手を兼ねた外出課長の川端が命じられたのでございます。誰に命じられたのか? これも詳しく申しますと、友ちゃんのご子息で今年、喜寿を迎えられました長男の文雄さまでございました。行程表には当然、お食事やお買いものetc.の予定も入っておりますから、それはそれは緻密な企画立案でございました。だから、友ちゃんがお金など使える訳がございません。では、どこで? 何に? という疑問に突き当たる訳でございますが、それをこれから詳しく語りとう存じます。
賑やかにお正月を盛り上げるお獅子の音曲が心憎いばかりの演出でお二人の耳に聞こえております。これも、すべて企画課員による分単位の立案でございました。
「お天気もこのように穏やかに晴れ、ようございました…」
「そうね、婆や…」
お芝居を見終えられた友ちゃんは、すでにご予約のお手配がされております会員制の超高級レストランへ婆やの美苗と向かわれたのでございます。そのレストランへは、すでに幾度も足繁くお通いになっておられますから、数分ばかりの道中でございますが、いつものことのようにスムースな時の流れが続いていたのでございます。ところがその日に限り、俄かに友ちゃんは尿意を催されたのでございます。事後に記された外出課長、川端の報告書によりますと、そのとき川端は少し離れた駐車場で待機していたようでございます。これも離れていたという責めが川端にあったのか? を吟味いたしますと、友ちゃんに、『いいわ…』と、お言葉を受けた旨を書き記しておりますから、強ち、過失があったとは言い難い訳でございます。いつも駐車場で待機していたということもございますから、川端を責めるのは、ちと酷というものでございましょう。で、俄かに催された友ちゃんに婆やの美苗も驚き、慌てふためきました。いつもは、左様なことが起こる状況など皆無だからでございます。美苗は、辺りを見渡しました。すると幸い人気のない草むらが数メートル向こうに見えたそうにございます。歩いておられたのは、川の堤防伝いの小道でございましたから、なるほどと私も合点いたしたようなことでございました。
「見て参ります!!」
と、言い放ち、美苗は小走りでその草むらへ下りて参りました。しかし、友ちゃんご自身は、すでに我慢の限界が来ておられたそうにございます。上手い具合に自動販売機が近くにございました。友ちゃんはこの時とばかりに、少しの貨幣をポシェットから出されたたそうにございます。友ちゃんは財布を持っておられません。友ちゃんの財布は婆やの美苗が保管しているからでございます。だから、いつの日か一度、お金を使いたい・・と思っておられました友ちゃんは、密かに硬貨を隠し持っておられたのでございました。それが丁度、このとき! とばかりに絶好の機会で訪れた訳でございます。友ちゃんは硬貨でペットボトルを買われますと、すぐに中身を捨て、その中へ用を足された・・ということでございます。婆やの美苗が、「お嬢さま、大丈夫… …?」と堤防を昇り、戻って来た折りには、事はすべて終わっていたと、そのような報告がございました。
完




