9.「蜘蛛の巣」教労働者供出説
これまでの講において、「蜘蛛の巣教」と仮定される集団が存在することは繰り返し説明してきた。おさらいすると、「蜘蛛の巣教」は、等間隔に柱穴を掘り白色無機質構造体で造られた柱をいくつも立てその柱に金属紐を渡したとされる人々で、恐らくはなんらかの宗教的目的でもってこういった事業を行なっていたとされる。
ただ、ここで留意しておかねばならないのは、「蜘蛛の巣教」は陶金併用時代人たちが認識し共有していた概念ではなく、我々現代の考古学者が仮定している存在に過ぎないということである。考古学上、こういった存在を仮定した方が遺物の出土状況を説明できるだけのことなのである。事実、「蜘蛛の巣教」の実在を直接立証するような史料は発見されていないが、周知の通り陶金併用時代は文献史料が著しく少ない時代である。ある意味、その実態が分からないのも仕方がないことだとも言える。
最近、「蜘蛛の巣教」に関して、新たな説が提出され、活発に議論されている。
元々宗教的な集団だとされていた「蜘蛛の巣教」は実は技術者集団であり、その技術供与や人的支援を行なうことで陶金併用時代社会に影響力を保持していたのではないかという説である。
2014年、ゴート市地下発掘において、ほぼ完形で残った建造物が発見された。一材料建築方式で築かれた全四階の建物である。これまでダイハン市で発見されていた三階建ての一材料建築方式建造物よりも大規模であり、そもそも完形で残る一材料建築方式建造物として三例目であったこともあり、考古学会においてこの発掘は注目と驚嘆を以って迎えられた。
詳しい発掘状況は発掘報告書に譲るが(2015.ゴート学府「四階建一材料建築方式建造物発掘報告書」)、この建造物は他の建物にない特徴を有していた。
第一に、この建物の一階は仕切りがない一部屋になっており(正確には、高床式建物のように二階の床下に大きな空間があるという方が正しい)、その中で五台もの機械遺物が出土した(注1)。二階から四階には机や椅子の残骸が多数発見された。文献史料の発見が期待されたが風化のためか発見は出来なかったが、奇跡的に人骨が発見された。この人骨が往時のものなのか、それとも後世の混入なのかは未だに定説を得ていない。今後の研究を期待するものである。
しかし何より注目されたのが、金属製紐様遺物が建物に引き込まれていた点であった。
これまで金属製紐様遺物が建造物中に引き込まれていた例は見つかっていなかった。そういう意味で、この建造物は金属製紐様遺物に関して新たな可能性を示唆したのである。この発掘が契機になり、しばらく棚上げされていた感のあった「蜘蛛の巣教」関連の研究が活発化したのである。
この流れを受け、スギサンらダイハン学府の研究者たちが提唱したのが、『「蜘蛛の巣教」技術供与集団説』である。
この学説についてはスギサンを始めとする研究者たちがお互いの論を補完する形で次々に論文を提出している状況なので、未だにその全容が分からない。だが、主唱者であるスギサンや数人の学者の意見を総合すると以下のようになる。
「蜘蛛の巣教」はやはり宗教的側面を有した集団である。しかし、宗教的側面の他に技術者としての側面も有していたと考えるべきではないか。宗教的には建造物に「蜘蛛の巣」を引き込ませることで宗教集団を形成し、そうやって築き上げた人的資源を投入して建造物の建築や都市空間の整備を行なっていたのではないか。
つまり、「蜘蛛の巣教」こそが文明の建造に深く関わっていたのではないかという主張である。また、スギサンは湾岸部に居住していた人々の多くが「蜘蛛の巣教」の教徒であり、湾岸部に多く発見される「硬質地層」の強い地域は「蜘蛛の巣教」による宗教都市なのではないかと示唆している。
しかし、この説は問題提起としては価値があろうが、批判に耐えうる仮説には至っていない。
この説が魅力的なのは、「湾岸部に蜘蛛の巣教教徒が住んでいる」という点にある。これはつまり、従来言われ続けてきたこの時代の都市環境論である「湾岸部・労働者階級 ― 丘陵部・支配者階級」という図式に当てはまるからである。
しかし、この仮説をそのまま鵜呑みにするのは難しい。
スギサンらの仮説は本人たちが「あくまでこれは可能性である」と但し書きしていることからも明らかなように(2018.スギサン「蜘蛛の巣教と労働者供出」)、あくまで仮説の域を出ていないのである。「蜘蛛の巣教」と我々が擬している存在がどういう実態をもっていたのか、それは今後の発掘成果に寄りかかっているとも言える。
だが、陶金併用時代の文明規模を支えるためには、夥しい人的資源(注2)の投入が必須である。やはり強権的な存在(宗教的な規律を持った集団?)が存在し都市を建造していたと考えるのはそこまで突飛なことではないのかもしれない。
(注1)
ここで出土した機械遺物は、「ピストン装置内蔵型機械遺物」と呼ばれている。歯車が多数内蔵されていることから何らかの仕事をする機械であることが想像されているが、そのメカニズムが判明していない。現代の我々が発見していないテクノロジーなのではないかという説も根強い。
(注2)
そういった人々のことを「キギョウ戦士」と称呼する一次史料も存在する。