8.墓制からみる陶金併用時代の社会構造
考古学を志す学生ならば、「墓は先人たちの残してくれた宝箱であり手紙である」という格言を一度は聞いたことがあるだろう。
この言葉は考古学が副葬品目当ての宝探しであるという意味では決してない。
埋葬とは人類が唯一意図的に何かを地面に埋設し、掘り返すことを想定しない行為である。そして埋葬に織り込まれている性質のために、墓を作るという行為は宗教的な行為であり社会的な行為であり、死者を懐かしみ弔うという人間的行為である。つまり、墓を調査することでその時代を生きた人々の宗教的、社会的、人間的な思考の残滓を読み解くことが出来るのである。それだけではない。副葬品により往時の生活状況をある程度類推することも可能であるし、埋葬されている人物の遺骸は実に雄弁に往時の生活を語り出す。まさに、「墓は宝箱であり手紙」なのである。
今回は、陶金併用時代の墓制の在り方から提出された新説を紹介したい。
以前の講で陶金併用時代の墓制について軽く触れた(4参照)。この時代の墓制が再葬墓形式であったことは説明した通りである。
最近、ゴート市郊外に大規模な群集墓遺跡が発見された。これまで発見されていたこの時代の墓は地面に露出していた部分が風化作用などの理由により消滅していたが、この遺跡においては堆積作用が比較的すぐ起こったものと思われ、上部の風化を免れている。その点で大発見であった。詳しくは発掘報告に譲る(2017.ゴート学府「ゴート西群集墓遺跡発掘報告2017」)が、この発掘により興味深い事実が判明した。
この発掘により墓の上部には鏡のように磨かれた大きな石(高さ40×3センチ程度)が置かれ墓標を為していることが判明したのだが、この墓標の大きさに個体差がほとんど存在しないことが判明したのである。
これまでも、この結果を示唆するような報告はあった。地下に安置される壺棺はほとんど個性が存在せず、大量生産された土器であることが示唆された。また壺棺の中に副葬品が収められていることは稀で、副葬品が存在したとしても男女ともに身の回りの小物が一品か二品程度(1974.ダイハン市「ダイハン市郊外群集墓発掘報告1974」など)である。
墓の大きさや副葬品の有無など、墓制の在り方はその時代の社会構造を如実に映すものである。しかしながら、墓制からこの時代の階級構造を読み解くことが出来ない。つまり、墓制の観点から往時が階級社会を形成していたとする説に疑問の光が投げかけられたのである。
女尊男卑であると仮定される陶金併用時代の墓制に男女格差が存在しない、階級社会が形成されていたはずにも拘らず墓制に確たる差は存在しない。この事実について、考古学会が想定してきた往時の社会構造モデルの見直しが求められていると言える。
しかし、考古学会はこの疑義について反論を試みている。
群集墓遺跡の発掘報告に関しては、「発掘されたのは労働者階級の墓であり、支配者階級の墓は別の地点にある」という説である。また、この説を援護する形で大規模墳丘墓に埋葬されている一族墓の例が引用されることが多い。(注1)
また、男女間格差が存在しないという指摘に関しては、「遺骨粉砕性差説」による反論がある。
この時代の埋葬法は、何らかの方法で白骨化させた遺骸を小さく砕き、高さ40×1センチ程度の高さの壺棺の中に収める形式である。遺骨の収め方にも画一的な取り決めが存在するようで、足部分から骨を収めていき最後に頭がい骨を収める形式はどの壺棺遺骸にも共通している。
しかし、男性と女性とで遺骸の粉砕に差があるというのがこの「遺骨粉砕性差説」である。概して男性の方がより細かく遺骨を粉砕され、概して女性の方がより大まかに遺骨を粉砕される傾向にあるらしい(2019.リュウダ「労働者階級墓制における性差別」)(注2)。
また、子細に墓制を検討すると壺棺への納骨形式にも多少の違いが存在するとされる。特に頭骨の配置にはいくつかの形式がある。顔面の骨を集めて生前の顔を作り第二頸椎を置いてその上に頭がい骨をかぶせる形式や、第二頸椎を神に見立てて布教活動をしている図を表現して頭がい骨をかぶせる形式などが知られている。この形式の差が階級の差に現れているのではないかという指摘(2019.ガンザキ「壺棺納骨様式の多様性」)も存在する。
現在のところ、墓制から見た階級社会への疑義は無視されているのが現状である。
(注1)
「別地点に他階級の墓地がある」という説は考慮すべき可能性ではある。事実、人類史上において支配者階級と労働者階級が同じ墓域に埋葬された例はないからである。しかし、現状として数万人は存在したとされる支配者階級の墓域が発見されていない以上、この反論は根拠の薄いものであると言わざるを得ない。今後の発掘成果を見守りたい。
(注2)
概して男性の方が女性よりも遺骨の量が多い(人類の生物学的特徴として、オスのほうが個体の体格が大きいからである)。しかし用意されている壺棺は男女ともに同じ大きさである。このことから、男女間で遺骨の粉砕に差があるというのは社会的な理由ではなく、単に元々量の多い遺骨を納めるため、遺骨の嵩を小さくしようという意図によるものという見方も出来る。壺棺に納骨された男性頭がい骨の中には、無理矢理蓋を閉めようとしたためか破損している例も存在する。現代人の我々からすると理解しがたい心象風景であるが、陶金併用時代人は我々のそれとは異質な宗教を奉ずる人々である。遺骸に対する価値観が異なるのも自然なことと言えよう。