6.陶金併用時代の電気使用説
1~5では陶金併用時代の概略を簡単に述べた。限られた中では厳密な事実や例外事項などの話題を盛り込むことが出来ないためである。
そのため、6以降は最近陶金併用時代研究において話題となっている学説に触れ、学会の反応や反論、その学説の展開を述べる。それを通じ、この時代の研究の空気を感じ取っていただきたい。
陶金併用時代において、最近とみに話題になっているのが陶金併用時代電気使用説である。元々この種の説は何度も提出されてきた。一番古いもので今から100年前の学者により電気使用の疑義が提出されているほどである(1925.ツトー「紀元前、人は電気を有していたか?」)。とはいえ、電気使用説はその疑義が出る度に批判されて終息に向かうのが恒例である。考古学史上、五回ほどこの手の論争があり、五回とも電気の使用が認められないという結論に至っている。
しかし、100年もの論争により、陶金併用時代人たちが一部とはいえ電気を使用していたことは分かっている。
1998年にツチヤ遺跡で出土した、機械遺物Aと称呼される遺物がある。陶金併用時代においては「機械遺物」と称呼される遺物の一群が存在する。『歯車やバネなどの部品で構成された遺物』一般を指す用語である「機械遺物」であるが、その使用目的が明らかになっていないものがほとんどである。しかし、ツチヤ遺跡において出土した機械遺物Aにおいては、大きな羽根車に近くを流れる水流が引き込まれており、その羽根車が、幾重にも巻かれた銅線と磁石とで構成された中心部に連動する形になっている。これは水流を利用した発電機であると考えられている。しかしながら、この遺物は発電機として使用するには小さい。せいぜい近隣の十戸程度に電力を供給する程度の小規模発電施設であろう(注1)。他の遺跡で発掘された発電施設もこのような小規模なものが時折発見される程度であり、現在想定されているような文明規模を支えるほどの発電設備は見つかっていない。
しかし、最近スイトーにより提出された電気使用説(2015「大規模発電による陶金併用時代の発電」、「送電線は我々の常識の裏に隠されていた」)は現行の学説をほとんど再構成するという意味において極めて画期的なものである。
スイトー説によれば、往時は電気使用社会だった証拠として『機械遺物』の中には通電をすることで作動すると思われる遺物が多数含まれていることが挙げられている。しかし、この指摘は以前からなされていた主張の焼き直しである(注2)。しかし、スイトー説が新しいのは、往時の発電方式に関して、新たな知見を披歴したことである。
スイトー説によれば、往時の社会における発電は『中央集権的』な発電だったのではないか、という。電気を地産地消方式で造るのではなく、大規模な電気工場がどこかに存在し、その大規模工場の発電により電力をすべてまかなっていた。そして、その大規模工場が未だに見つかっていないだけである、という説である。
しかし、反論はすぐに提出された。「スイトーいうところの『中央集権的発電』を仮に事実だとしよう。では、送電設備は何処にある?」
周知の通り、電力を使用するとなると必要なモノが二つある。発電設備と送電設備である。スイトーが当初提出した論文には、送電設備の記載がなかった。反論はそれを指摘した形となっている。
しかし、スイトーは即座に再反論を発表した。そしてその再反論が、考古学会に波乱を巻き起こすことになる。
スイトーは言う。『金属製紐様遺物が送電線なのである』と。
金属製紐様遺物とは「蜘蛛の巣教」存在の証拠とされる遺物であることは既に説明した(3参照)。つまりスイトーは、考古学会がこれまで推定してきた「蜘蛛の巣教」が幻想にすぎず、宗教的モニュメントとされてきた遺物が送電という目的を持った実用品だったのではないか、と述べたのである。
しかし、スイトーによる「電気使用説」には二点ほど問題点がある。
第一にスイトーが予言する「大規模電気工場」にあたるものが未だ発見されていないことである。考古学においては未だ発掘されていないものを仮定することは必ずしもアプローチとして間違いではない。しかし、そうやって予言されたものが発掘されない限りにおいては、説の信憑性には疑問符がついたままと言わざるを得ない。
第二の問題点として、スイトーの想定する大規模工場による中央集中的な発電には、送電時に相当の電力ロスがあるという点がある。送電を行なう際にはいかな材料を用いたところで抵抗作用によりロスが生じてしまう。ある研究によれば、想定される送電ロスは全発電量の四割にも至るだろうともいう(2017.シュイー「大規模発電のロス」)。電力を用いていたのならば相当の使用があったであろう陶金併用時代にあって、四割もの送電ロスを許容出来たのか、大いに疑問のあるところである。
以上の結果から、スイトーの「電気使用説」は今のところ学会では支持を得ておらず、異端の学説の域を脱していない。今後の発掘成果に期待するものである。
(注1)
小規模発電施設は丘陵部での発掘事例が殆どのため、丘陵部に居住する特権階級にしか電気は供給されていなかったのではないかという説もある。
(注2)
たとえば、1965.バイデン「機械遺物の構造と推察」など。