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4.陶金併用時代の生活

 陶金併用時代研究において、往時の生活誌の復元が第一目標に掲げられていることは言うまでもない。そもそも考古学という学問そのものが、「往時の生活様式の復元を通し、その時代に生きた人々の精神風景をも復元する」ことにあるからである。しかしながら、この時代の生活誌の復元ほど難しいものはない。

 そもそも、陶金併用時代はあまり長い時代ではない。長くて100年程度、もしかすると100年よりも短いかもしれないと問題提起されているほどである(1987.セイトー「陶金併用時代とは何なのか」)。文献が残っていたのなら文献史学的アプローチで十分に検証可能な長さの時代だが、考古学という学問体系においてはあまりに短い。

 考古学において重要視される年代研究論に「型式論」がある。土器や石器は時代を経るに従ってその制作方法や形が変化する。そのため、その変化を追っていって集成することで、遺跡の存在する年代を想定することが出来るのである。しかし、100年程度のタイムスパンではこの「型式論」は効力を発揮できない。何百年もの時間的な幅があることで、初めて「型式論」は役に立つのである。

 それに、この時代の特色にも「型式論」が援用できない難しさがある。この時代の遺物はそれまでのどの時代とも比較できないほどに大量に作成されている。特に陶器に顕著であるが、中には擬古的な作りや復古調のものもあり、「型式論」の運用を難しくしている原因となっている。この時代は大量の物質に囲まれた豊かな時代だったと換言もできよう。


 陶金併用時代において特筆されるのは、その墓制である。

 それ以前、すなわち第一次鉄器時代末期においては土葬が一般的であり発掘例も多くあるが、陶金併用時代に入ると再葬墓が一般的となる。何らかの方法(風葬、あるいは火葬と考えられている)で白骨化させたのちにその骨を砕き、考古学用語で壺棺と称呼される陶器製の陶器の中に収め、墓に収める形式である。

 宗教的事由によるものなのか、当時の政策によるものなのかは不明であるが、どうやら第一次鉄器時代初期に誕生し、陶金併用時代にも信仰されていた宗教が再葬墓様式の墓制を取っていることが確認されており、その宗教の影響によるものと思われる。

 しかし、この墓制が人類学的研究を阻害している面もある。往時の人々は小さな壺棺に骨をすべて納めようとするためか、骨を叩いて砕いている。往時の人々の合理精神のためか、それとも宗教的な事由からかは分からないが、これが原因となって陶金併用時代の人々の人類学的な研究が進んでいないというのが実情である。

 また、2.で説明したが、この時代には一般の墓と比べ数百倍もの規模を誇る大規模な墳丘墓が存在する。現在のところ2例しか確認されておらず、そのうち最大規模のものは一家族が弔われている家族墓の形式を取っている。ここに弔われている人々が陶金併用時代社会においてどういった位置づけの存在なのかは今後の考古学・文献史学が抱える重大な研究テーマと言える。


 また、往時の生活誌において最近話題となっているのが、「女神像出土のバラツキ」問題である。

 住居遺構を発掘した際、3.で説明した「女神像」が出土する場合がある。しかし、その出土状況は特殊なものである。例えるなら、住居遺構ごとに一体出土するというような状況ではなく、住居遺構99戸では出土しないのに1戸から100体もの大量出土がある、という発掘状況にある。これを根拠にして女神信仰は限定的な信仰だったのではないかとする説も根強い(例えば1999.セリタク「女神信仰の幻想」など)が、女神信仰限定的説に対する反論説も数多い。なかでも『女神信仰にはシャーマンと呼ぶべき存在がいて、女神像はシャーマンたちしか所持してはならないものだった』と解釈する『女神信仰シャーマン説』が広範な支持を得ている状況である。

 また、最近の発掘状況によると、最近では『小さな女神像』であればある程度の広がりがあるとする研究成果もある。普通女神像は40×1から40×2センチほどの高さでありなかには等身大のものすらある。しかし、考古学者トーゲンにより提唱された『小さな女神像』は、四半40センチより小さい場合が多い。トーゲンによると、『小さな女神像』にまで範囲を広げると、『女神像』は住居遺構の三割からは出土されるという(2008.トーゲン「小さな女神像と女神信仰」)。(注1)

 以上見てきたように、この時代の生活誌には不明な点が多いのが実情である。しかし、物質的に恵まれた時代なのは確実のようである。


(注1)

 トーゲンはこの論文の中で、「シャーマンが信徒たちに小さな女神像を与えて宗教的な上下関係を作り上げることで、女神信仰の宗教組織を構成したのである」と述べ、小さな女神像がシャーマンを頂点とする権力構造を構成する道具立てであると論じているが、この説にはチューソンらによる大量生産仮説(注2)という反論が提出されている。


(注2)

 大量生産仮説とは、「陶金併用時代は、原版の模倣を行なうことで大量に同じものが出回る時代である」という前提に立ち同時代の成り立ちや進展、衰退までを論じた考古学上の仮説のことである。

 この仮説を取る代表的な考古学者にチューソン(1996.「大量生産仮説への招待」)や、セイジョー(2002.「大量生産仮説から見た女神像の拡散」)がいる。

 しかし、未だに仮説の域を出ていない説であることを留意しておくべきである。


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