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3.陶金併用時代の信仰形態

 第一次鉄器時代から陶金併用時代への時代遷移に関して、民族構成の変化はないと考えられている。様々な論拠が提出されているが、その有力な根拠の一つに、第一次鉄器時代から陶金併用時代の遷移の際に、第一次鉄器時代から信仰されていた信仰がそのまま引き続いて信仰されていたという事実がある。第一次鉄器時代から続く二種に分類できる偶像崇拝が、この時代の宗教の形だったといえる。

 しかし一方で、この時代には特殊な信仰が誕生しつつあった時代でもあった。以下に、考古学上確認できる、この時代の人々の新宗教を挙げる。

   ①「蜘蛛の巣教」

 陶金併用時代の都市計画には特定の思想が存在する。中心点を定め放射線状、同心円状に道路を敷設するというものである。この詳しい状況に関しては、都市考古学の権威・サンウチの諸研究がある(1972.サンウチ「蜘蛛の巣の都市計画」)。サンウチはこれを合理的都市計画の一環と見なしていたようだが、この都市計画の中には余剰が存在するという説がある。

 都市遺構で出土し検出される「金属製紐様遺物」や「無機質構造体柱」、「無機質構造体柱穴」、いわゆる『蜘蛛の巣教関連遺物』である。「金属製紐様遺物」というのは金属製の紐であり、時には金属紐の周りに植物由来の有機体により被覆されていることがある。「無機質構造体柱」というのは、40×20センチもの高さのある、無機質構造体による柱のことであり、「無機質構造体柱穴」は、無機質構造体柱のための柱穴である。もちろん出土時には往時のままで残ってはいないが、様々な出土状況から復元をすると40×20センチもの柱がいくつも立ち並びその上部に金属紐が渡されているという状況が浮かび上がってくる。その状況を上空から眺めた際に、紐が渡された様がさながら蜘蛛の巣のように見えるだろうことが想像されている。

 しかし、これら遺物の使用目的が分かっていない為、「なんらかの宗教的なモニュメント、結界の一種なのではないか」という説が提出され、現在では学会において支配的な学説になっている。考古学上、これら遺物により想定される宗教を「蜘蛛の巣教」と名付けて研究を進めている。

 また、この説を補強する事実も明らかになりつつある。往時に地下であったはずの空間に、「金属製紐様遺物」が敷設されている場合があることが明らかになったのである。何の意味もないものをわざわざ地面に埋めるというその行為は、やはり宗教的動機でしか行なわれないものであろうというのが現代の考古学者の結論である。

   ②女神信仰

 古今東西を問わず人類は女神を信仰してきた。なぜなら女性は命を生み育てる存在であり、人類の繁栄を約束する存在であると同時に豊穣の象徴とされたからである。図像上に描かれたものもあれば、立体像(注1)として作られたものもある。考古学見地からすれば特筆すべきことでもない女神信仰であるが、陶金併用時代の女神信仰は特筆すべき性質を有している。

 往時の人々が信仰する女神たちは極めて多様であるが、一様な特徴がある。大胆にデフォルメされた顔や体の造形を有し、人類像としては明らかにバランスを欠いている姿として描写されている点である。大きく分けると、胸部や臀部の女性らしいふくらみや腰のくびれを強調されている像と、幼児体型・子供らしさが強調されている像の二系統が存在し、それぞれ全く別の信仰体系を持っていたと考えられる。しかしその二者も、目の強調や、人類学的にありえない頭髪色などの点では一致するため、元は同じ宗教から派生した別派なのではないかとされている。また、女神たちの属性も多岐に渡っている。中には物々しい(人間の扱えるような大きさではない場合も多い)武器を片手に構えている像も存在することから、軍神的な信仰を集めた女神も存在するようである。少数派ではあるが裸体像での女神像も存在し、原始の形での女神信仰の形を見る事も出来る。

 また、中には中腰に屈み両腕を前に伸ばすという奇怪な姿勢を取った青髪で赤い瞳の女神像も出土している。この女神像に関しては、『現代人の我々から見ても顔や体勢の造形があまりに邪悪』という感情的な理由から邪神であるという説が提出され一時期支持されていたが、『現代人から見て邪悪な造形であっても、往時の人々が邪悪と感じていたかどうかは分からない』という『美的意識の相対論』観点からの見直しも図られつつある。

   ③護符信仰

 陶金併用時代の人々は、常に護符を持ち歩いていたとされる。

 その証拠に、遺構からは護符を入れるための容器がよく出土する。日用品であるにもかかわらずなめし革で作られることの多いその容器は、非常に派手で豪奢な装飾がなされている場合も多い。

 護符は大きさが半40センチ×四半40センチほどの長方形で、表には鶴や山などの意匠が描かれ、裏の右半分には人物の肖像が描かれている。

 どういった目的で用いるものかは分からないが、最近出土した新史料によると、この護符を何枚も重ねて人の頬を叩くとその相手を意のままに出来るという魔術が存在したらしい。他にも穴のあいた金属製護符を集めることにより何らかの呪力を得るという魔術も存在したようである。


 以上のように、第一次鉄器時代には存在しなかった信仰が陶金併用時代には多数存在しているが、この新宗教の勃興に関して、『女神や蜘蛛の巣を信仰する他文化民族グループの流入があった』とする説が提出されたことがある(1948.コー「女神信仰の伝来と人的移動」など)。しかし、新文化の誕生が特定の民族の流入の証拠につながるわけではない。この『女神信仰・蜘蛛の巣教信仰民族征服説』は、考古学界にあっては批判され尽くし、ほぼ否定されている学説となっている。しかし、この説を利用した文芸が人気を博し、今や一般においても知らぬ者のない説になっているのは大いなる皮肉と言えよう。


(注1)

 女神像だけに限ったことではないが、往時に、現代の考古学者が「特殊物質」と称呼する物質が存在することを指摘しておく。材質としては金属ほど固くはないし、木材のように脆くもない。それに経年劣化しにくい性質を持っている。2000年を経てもなおほとんどその形を変えないなど物質として非常に安定した特殊物質は、女神像に限らず当時の食器や生活雑具などにも広く使用されている。

 しかし、現代の我々は特殊物質の製法や原材料など、その技術のほとんどを復元できていない現状がある。その原材料について、陶金併用時代に枯渇したのではないかという見方もある(1992.センヨウ「資源の枯渇と特殊物質」)が、未だ仮説の域を出ていないというのが実情である。

 陶製ナイフなどよりよほどこちらの特殊物質のほうが汎用性が高く広く文明に拡散しているとして、陶金併用時代を「特殊物質時代」と呼ぶ研究者もいるほどである(1989.タダイ「特殊物質は利器であるか」)。

 しかしながら、その原材料や製法が分からない、大量過ぎるほどに残存しており体系的な研究が困難などの問題があり、現在、特殊物質製遺物の研究はほとんどなされていない。かろうじて、女神像の研究がなされているだけというのが実情である。


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