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11.なぜ考古学的手法でしか陶金併用時代に迫れないのか

 ここまでの講での説明においてもう了解したことだろうが、考古学という方法論はきわめて曖昧で白とも黒ともつかない部分を多く残してしまう学問である。なぜなら考古学という学問体系が、「人類史」という長い時間軸を相手にして成立した学問だからである。考古学という学問に本来求められているのは一個人の行動や生活、人生の復元ではなく、人類や民族といったより大きなものの変遷だからなのである。

 恐らく学生の皆にあっては疑問が浮かぶであろう。ではなぜ陶金併用時代研究は考古学手法に依存しているのか、と。

 ひょっとすると、学生の皆にあっては周知の事実の繰り返しになるかもしれない。しかし、これから説明する前提は考古学を志す者なら誰しもが頭の隅に置いておかねばならないことであり、陶金併用時代研究をするにおいて基本的かつ重要な視座となる。


 陶金併用時代は奇妙な時代である。

 人類は第一次石器時代の終わり頃に紙を発明して以来、ずっと知識の保存に紙を使用してきた。我々とてそれは同じことである。紙に文字を写すことにより本来ならば一個人の脳内にしか刻まれない知識が他の人間に伝播し、人類共通の遺産となっていったのである。人類の発展における紙の役割は非常に大きい。

 しかし、陶金併用時代の人々は紙を残さなかった。陶金併用時代の遺跡を発掘しても、紙史料が出土することはほとんどない。叙事詩「ナツカシキアノヒ」や新史料「ジツロク・ダンチヅマミダレザキ」などは例外中の例外である。往時の人々が紙史料を残さなかった理由は分かっていない。紙以外にも知識や情報を残す手段があったのではないかと推測されているが、それが実際にどういったものなのかは分かっておらず、未だ仮説の域を出ていない。

 もっとも、往時の人々が紙を知らなかったわけではない。「ジツロク・ダンチヅマミダレザキ」なども紙による史料である。しかし、この史料の紙そのものを調査したところ、この紙が微弱ながらも酸性を有した紙であったことが判明している。酸性を有した紙は崩壊が早く、50年から100年も経つと分解されてしまう性質があるという(2020.リン「陶金併用時代の紙」)。往時の人々が紙の保存に熱心ではなかったという証左である。(注1)


 また、叙事詩「ナツカシキアノヒ」に見ることのできる大破局、そして考古学上検出することのできる文化の大断裂が、文献史料の不足の原因となろう。

 考古学的には、陶金併用時代の「硬質地層」の一つ上には、「無の時代」とされる地層が存在する。もちろん地域によって地層の土壌組成に違いはあるが、おおむね人類の活動が認められないという点で一致している。そのためこの時代を考古学では「無の時代」と称呼している。

 あれほど栄華を誇ったはずの陶金併用時代が突然終焉を迎え、人類の痕跡をほとんど検出することのできない時代へと変遷したのである。

 もちろん我々は人類であるし、言語学の研究成果からも陶金併用時代に使用されていた言語が我々の使用言語の祖先というべき言語体系であることは既に判明している(1988.トーゲン「現代語と『ナツカシキアノヒ』」)。よって、陶金併用時代によって栄華を極めていた人々が絶滅して我々の祖先が後に住みついたと考えるより、何らかの理由で陶金併用時代人たちの人口が著しく減り、文明を維持できるだけの人数を確保できずに陶金併用時代の生活様式を投擲したと考えたほうが自然であろう。

 そうやって陶金併用時代の生活様式を捨てた際に、往時の人々は同時に文明の知識のほとんどを捨ててしまった。そのため、陶金併用時代を支えていたであろう先進的な学問体系や技術も同時に忘れ去られた。恐らくは、紙以外の手段によって保管されてきた知識体系や文化体系も、陶金併用時代の終焉と共にすべて消滅してしまったのである。


 周知の通り、文献史学は伝世、あるいは出土した文献史料を元に歴史を組み上げる方法論で展開されている。しかし、陶金併用時代のものとして残るまとまった一次史料は長らく「ナツカシキアノヒ」しか存在しなかった。そのため、文献史学的な視点での研究が陶金併用時代研究に根付かなかったという面がある。

 以上の理由から、陶金併用時代研究は考古学によるアプローチが一般的になったのである。(注2)


(注1)

 ではなぜ酸性であり崩壊しやすい「ジツロク・ダンチヅマミダレザキ」が残存したのかという問題が残るが、当時の発掘報告によると、周りの土壌が強い塩基性を示していたという。これは当史料を当時の人々が保管する意図をもって埋設したと考えるよりは、たまたま当史料の周りに堆積した土壌が塩基性であったと考えるのが適当であろう。


(注2)

 考古学が歴史学上において重要視されているのは、学問としての洗練性にある。約300年前に発見された「考古学入門」という偽書を研究することで始まった現代考古学は、他学問と比べて高い厳密性を持っているとされる。

 「考古学入門」自体は成立年代を偽装した偽書であるが、この中で、「考古学とは大破局(=陶金併用時代末期、注筆者)以前に存在した学問体系である」という一節がある。確かに、300年前の学問とは思えないほどの完成度を誇った「考古学入門」の知識体系の裏に、陶金併用時代の知識の残滓があると考えるのもあながち突飛な説ではないのかもしれない。


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