7話 【くまの事情】
「…くま。お前を探せと言うが、目の前にいるものをどうしろというのかな、お前は」
『や!今のアタシの身体は確かにぬいぐるみなんだけど!それ以前にちゃんと別の身体があったはずなんですよぅ~。だってこのぬいぐるみに入ってなければ、透けてるなりに立派なヒトの身体なんですよっ』
「…透けてる時点で立派とは言い難い気がするんだが。まあ、それは置いておくとして。幽霊というモノがどういったモノかは知らんが、生前の自分の身体の在り処くらい判りそうなものだが?」
『それがですね、アタシ気が付いたらその辺をふよふよしてたもので、元の身体がどこかなんてさっぱりなんですよぅ。さっき言った通り名前も年も死んだということさえ解ってなくて、ぼんやりしてたら何年も過ぎちゃってて』
彼女が自分を認識した時、何も解らなかったから何に焦ることもなかった。
憎い相手も恨む相手も縋る相手も会いたいと思う相手さえ居なかった。だから誰からも其処に居ると認識されないまま、ただぼんやりと此処に住む人たちの生活を眺めていた。
女の人や男の人、年寄りや赤ん坊が居て、小さな動物や大きな動物、鳥や魚、たくさんの生き物が生きている姿を眺めてきた。
そのうちに明るい陽射しの中では見えないのに月明かりの中では鏡に映るぼんやりとした自分を見られることに気がついた。
鏡の中から見つめ返す自分はまだ幼さの残る少女と呼ばれる年頃で、華奢と言えば聞こえはいいが、つまりはかなり痩せた貧弱な身体つきをしていた。白っぽい髪に白い身体。細い手足。その姿を見ても自分が誰なのかさっぱり分からず、またふらふらと移動できる範囲に心を惹かれるような人物も見当たらなかった。
それでも構わなかった。
気の向くままに辺りを漂い、人々の話し声を聴き、季節の移り変わりを目にしてきた。このままずっと変わらないと思っていた。
けれど唐突に変化が訪れた。
『なんかね、ただでさえ透けてたのにね、さらに薄くなってきちゃって』
青年は項垂れたくまの黒い瞳から涙が零れ落ちるような錯覚にとらわれる。そんなことがある筈ないと解っていても、とても哀れを誘うような声色だった。
『このまま消えちゃうかもって。消えちゃったらアタシが此処に居たことに誰も知らないってことに気付いちゃって。…誰かにアタシが此処に居たんだって、判って欲しいと思ったの』
「それで『アタシを探して』…か」
『うん。…きっと何処かに在る筈の身体を探して欲しいの』
無茶を言う、と青年は思う。
何処の誰とも知れない、記憶喪失の幽霊の生前の身体を探すとか、手掛かりの何もない状態でどうやって探せと言うのか。せめて何処の誰で何処で死んだのかだけでも判っていれば、或いは何とかなったのかもしれないが。
疲労の増してきた身体をソファに深く沈めながら、寒いな、と青年は思う。たいして長い間廊下に出ていた訳ではないのに、脆弱な青年の身体はもう悲鳴を上げている。おそらくもうすぐ熱が上がってくるだろう。
「くま」
『…止める気ないんですね、その呼び方…』
「他に呼び様がないからな。気に入らないなら名乗れ。…ちょっとそのぬいぐるみから離れてみろ」
『はい?』
「透けているという、そのままのお前を見せてみろ。そのままでは誰かが魔道具を操っているという可能性を否定できないしな。幽霊だと言うならそれを証明して見せろ」
『はあ。まあ、いいですけど。でもぬいぐるみから離れると見えなくなっちゃうかもしれないです。透けてるアタシが見えた人って居ないから』
「見えないようならくまに戻ればいいだろう」
ぽん、とくまが納得しましたと言うように手を打つ。
『それもそうですね!では、抜けますね~』
言うと同時にぬいぐるみのくまが支えを失ったようにこてん、とソファに転がった。そのぬいぐるみの上に薄らと半透明の人影が浮かび上がる。
ほっそりとした、まだ14・5歳程の髪の長い少女のようだった。ゆらゆらと水底に揺れる藻のような髪は白っぽく波打っている。瞳の色はよく判らない。大まかに見て顔だちは整っていると言っていいかもしれない。
だがしかし。
「何故、裸…?」