エピローグ 【なまえをよんで。】
コンコンコン。
小さな扉を叩く音がして、エディアルドは眠りの淵から引き戻される。
コンコンコン、コンコンコン。
続く音に、「以前にも似たような事があったな」と思い出し、エディアルドがむくりと身体を起こす。今日もカーテンを閉め忘れた窓からは大分欠けた三日月の明かりが射し込んでいる。
コンコンコン、コンコンコン、コンコンコン。
きっちり三回ずつ。
憶えの有り過ぎる既視感にエディアルドは首を傾げる。
アレだとしても、あの子供はまだ自力では碌に歩けない筈ではなかったか?そもそも、子供の世話をする為に侍女が付きっきりの筈で、何か用があるなら侍女と共に来るだろうし、そうなると取り次ぎは侍女が行うだろう。だとしたらこんな風に扉を叩く音だけがするのはおかしい。
眉を寄せ寝台の脇に立て掛けていた剣を掴み、エディアルドは足音を殺して扉へと近付く。
コンコンコン、コンコンコン、コンコンコン――。
ずっと叩かれ続ける音を聴きながら剣を抜き、警戒しながらも扉の外に居るのが誰なのか、何となくエディアルドは想像出来てしまう。おそらくは間違っていないだろう。
その姿が予想外だったとしても。
タイミングを計り一気に扉を開け、エディアルドは視界の端に映った影を押さえ付け剣を突き付ける――途端、けたたましい叫び声が脳裏に響いた。
『うっきゃああああああ!?』
「……」
『あぐあぐ!?エドってばひどい~~!!』
「…………くま」
脳内に響く声に顔を顰め、エディアルドは呆れたように肩を落とす。
押さえ付けられてじたばたともがいているのはもう既に見慣れた物体。ぬいぐるみのくまであった。
自前の身体があるのに何故ぬいぐるみの中に居る!?と、怒鳴りつけたい衝動を押し殺し、エディアルドは痛む頭を押さえ、動くぬいぐるみを拾い上げ室内へと戻る。
ぽふん、とソファに放り投げられくまはよっこらしょと身体を起こし、憤懣遣る方無いと言った様子で短い腕を振り回した。
『ひどいひどい!エドってば全然気がついてくんないし!また怖いことされたし!』
「……今回は刺してないぞ?」
『そういう問題じゃな~~い!』
「そうか?」
『そうですっ!……あれ?』
そう、そう、と繰り返していたら何だかよく判らなくなったくまであった。
「まあ、そんな事より。どうしてまたぬいぐるみになっている?」
『そんなこと……そんなことなんだ……怖かったのに~』
「くま……?」
ちゃんと答えない為にエディアルドの声が若干低くなる。笑っているように見えて笑っていない顔というのは怖いとくまは知った。
『う?……ええっとぉ……だって、目がさめたら知らないとこで、知らない人がいてー。……エドに会いたいって言ったら「駄目です」って~……』
「……身体はどうした?」
『動きにくいから、おいてきちゃった』
「……置いてって、お前は……」
呆れたとばかりに額を抑えるエディアルドに、くまは慌てて言い訳をする。
『だって、あの女のひと、アタシが眠るまで見張ってるんだよ?知らない人にずっと見られてたら、アタシ眠れないよー。やだよー』
くまだって訳が判らなくてびっくりしたのだ。それでもエドに会えるのなら我慢できたのに、夜中だから眠りましょうと却下されたのだ。
今まで自由気儘に過ごしてきたくまにとって、いきなり行動の制限をされることはとても窮屈で嫌な事だった。
『ちょっと出にくかったけど、出たいってがんばったら前みたいに出れちゃったし。そのままエドのとこに来ようと思ったら、なんかやっぱり前みたく入れなくて~……』
「以前のようにシャロンの部屋でぬいぐるみを拝借して来た、と」
『そうそう!』
呆れているエディアルドに、くまは「わかってくれた!」と呑気に喜ぶ。そしてそんなくまにエディアルドからの雷が落ちる。
「そうそう、じゃない!バカ者!軽々しく自らの身体を抜け出すなど、どんな影響があるかもわからんというのに!お前は産まれたばかりで死にたいのか!?」
エディアルドが本気で怒っているのが伝わり、はびくりと震える。
『ご、ごめんなさい~~』
ほとんど泣いているような声でぷるぷると震えるくまを抱え上げ、エディアルドはそのまま隣の部屋へと向かう。
突然の訪問に目を丸くした子守担当の侍女に碌な説明もせず、子供が眠っている寝台へと近付き、エディアルドはその様子を確かめた。
子供はおとなしく眠っているように見える。
呼吸は問題ない。額に手を当てると少し体温が下がっているように思えた。首筋で脈動を感じる。子供にしてはゆっくりと触れるのは気のせいではあるまい。顔色は明かりが乏しくはっきりとは見えないが、やけに白く見えるのが気になる。
「あ、あの、殿下?」
訳が解らないだろう侍女が恐る恐るエディアルドに声をかけるが、エディアルドの険しい表情に後を続けられない。自分が何か粗相をしたのだろうかと怯えているのだが、もちろん侍女に責めるべき点はない。
「突然で驚いただろうが、心配せずともよい。聞きたい事もあろうが暫し待て」
「は、はい」
侍女の困惑をそのままに、エディアルドは抱えたぬいぐるみを睨みつける。
「さて。戻れ、くま」
『……やだ』
「くま」
ぷいっとそっぽを向かれエディアルドの声が低くなる。それでもくまは本来の身体に戻ることを拒んだ。
『やだったら、やだ!』
じたばたと手足を動かし叫ぶくまは駄々をこねる子供そのものだ。しかし、だからと言ってこのまま戻さない訳にもいかない。身体を離れた事によってどんな不具合が生じるか判らず、しかもその兆候は既にあるのだ。
「産まれたばかりで動き難いのであろうとも、こちらがお前の身体であろう!今でさえ体温が下がり脈拍も少なくなっているのだぞ!?このまま戻れなくなってもよいのか!?」
心配するあまり怒鳴るように叱り付けたエディアルドに、くまは一瞬びくっと震えた。
『だって!そっちの身体になったらエドに会いたくなっても会えないんだもん!駄目ってばっかり言われて!眠くないのに眠れって言われてっ!ずっと、ずっとエドといっしょにいられるって思ってたのに、ちっともいっしょじゃない!こんなんだったら前の方がよかったもん!!』
癇癪を起したような少女の声が、ぬいぐるみのくまから迸る。
この時、エディアルドもくまも気にしていなかったが、マティアスから貰った魔道具は確りとぬいぐるみの首に飾られていて――つまり、くまの声は傍に居た侍女にも筒抜けだった。
聴こえてはいたが、侍女には事情が判らない。判ることはと言えば、この部屋で眠る子供がどういう訳かエディアルド会いたさに自分の身体を置いて抜け出し、ぬいぐるみの中に入り込んでいるという突拍子もない事実だけだ。
もしかしてこの事態を引き起こしたのは自分なのだろうか、と侍女は顔を引き攣らせたが、侍女の対応は何も間違ってはいない。何故なら、普通の子供は勝手に自分の身体を抜け出したりしないからだ。
「……とにかく!手遅れにならない内に身体に戻れ。――とりあえず、お前が眠るまでは相手をしてやるから」
『…………わかった』
くまの言い分に何か思うところがあったのか、エディアルドは宥めるように声を和らげた。どのみち騒ぎ過ぎて眠気などどこかに吹き飛んでしまっていた。我儘な子供に付き合うくらいは構わないだろう。
仕方がないと思われた事がエディアルドの表情から伝わって、それでも一緒に居てくれる事が解って、くまはしぶしぶ自分の身体に戻ることを了承した。その時になかなか戻れなくてエディアルドを慌てさせたりしたのだが、最後には気合いでなんとかなった。
人騒がせな子供である。
急遽設えた子供の部屋には足りない物がたくさんあったので、元の身体に戻って目醒めた子供を抱いてエディアルドの部屋へ戻る。子守の侍女は恐縮してしまい、子供の部屋で待機という事になった。
子供をソファに座らせ、エディアルドは手ずからお茶を淹れる。
ふんわりとした湯気と共にお茶の香りが部屋の中に広がる。
「エド……、そのおちゃって……」
「判るか?」
「うん。……おつきさまの、おちゃ」
舌足らずな声で呟いた子供の顔が嬉しそうな笑顔を見せた。つられたようにエディアルドも微笑み、お茶の入ったカップを子供の前に置いた。
「今度は気合でなくとも飲めるだろう」
「そだねー」
子供はゆらゆらと揺れる、月の光のような色に見入っている。エディアルドも急かす事はしない。このお茶は香りを楽しむ為のものだからだ。
お茶を見ていた子供がふと、自分の小さな掌を見つめる。
「ねー、エド。アタシ、ここにいるね……」
「そうだな」
「おもったより、ちっちゃいけど」
「大分な」
「いきてるね……」
「ああ」
小さな細い指をにぎにぎと動かし、子供は不思議そうに首を傾げる。
そう言えば、とエディアルドは子供の名前を知らない事に気付いた。
初めて会った時は記憶が無いと思っていた。ぬいぐるみの中に入っている時は『くま』で事足りた。けれど、生身があってそれが人であるならば『名前』は必要となる。
「……名を、決めねばな」
「な?」
「名前だ。お前を呼ぶ為の」
エディアルドの言葉に子供は不思議そうに首を傾げた。
名前。そのモノを表す、他と区別する為の呼称。疑問に答えるかのように、そんな言葉が浮かんだ。
ソフィアには「まだ産まれていなかったから名前が無い」と言われた。
けれど、名前の意味を知って、子供の脳裏に浮かんだ言葉がある。
「――――」
「……何と言った?」
音にした言葉はエディアルドには聴き取れなかったようだった。
「なまえ。きじゃまれた、アタシの、なまえ」
ちょっと噛んだ。
慣れない小さな身体は扱い辛いようだ。
「名が、あるのか?」
子供はちょっと考え、こくりと頷いた。
「――――」
「……やはり聴き取れないな……?」
エディアルドも怪訝な顔で首を傾げる。声は聴こえるのに、意味のある音として捉えられないのだ。これでは呼び名とは言えず、エディアルドはどうしたものかと子供を見る。子供も困ったようなエディアルドを見て「う~ん?」と首を傾げていたが、言葉にしても何となく同じ結果になるような気がしていた。決して舌足らずなせいではない筈だ、と思いたい。
暫く考え、子供は音の中から少しだけ言葉を拾い上げて言ってみた。
「シエル」
「うん?……シエル?」
唐突に子供が呟いた言葉をエディアルドは繰り返す。どうやら今度は言葉として聞こえたようだと子供はほっとして笑みを浮かべる。
「そ。きこえた?」
「シエル、か?」
「うん。なまえの、はしっこ。シエル」
「……シャーロットをシャロンと呼ぶようなものか」
「うん」
「お前はそれでいいのか?」
「うん。シエル。アタシの、なまえ」
ぬいぐるみの中に入っていた時とはまるで違う、たどたどしい声が嬉しそうに響く。
どうして既に名前があるのか、とか。誰が付けたのか、とか。幽霊の時は知らなかったくせに何故今になって判るんだ、とか。訊きたいことは山のようにあったが、きっと子供――シエルには答える事が出来ないだろう。
推測にしか過ぎないが、卵から産まれたと言う事は卵を産んだ親が居るという事で、おそらくはその親が名付けたのだろう。――卵の中身がどうやってそれを知ったのかは謎だが。
とりあえず、考えても判らない事は放っておこう、とエディアルドは思考を放棄する。
「シエル」
「うん?」
呼んで、応える。
当たり前のことがこんなにも大切だと、初めて気付いた。
「仔猫が産まれたら、見に行こうか」
いつかした約束を、来ない『いつか』にしてしまわないように。
「いっしょに?」
「そう。一緒に、見に行こう」
「うん!」
もう一度、約束を交わそう。
笑って、一緒に明日を迎えよう。
月のお茶に映る三日月が、笑っているようにゆらゆら揺れる。
二人だけのお茶会を、お月さまだけが見守っていた。
これで「真夜中のお茶会」は一旦終了です。
これまで読んでくださった方々に感謝を。
ありがとうございました!
このあと、いくつかこぼれた話を上げようかと思います。
お風呂とかご飯とかあれやこれや。
閑話という形になるでしょうか……。
これからの二人の話も考えていますが、このまま続けて書いてもいいのかなー?




