72話 【産声】
卵のターン?
カーテン越しに、明るく温かな陽射しが室内に降り注いでいる。
瞼に感じる眩しさに誘われるようにエディアルドが目醒めると、目の前に白い石があった。
「……」
何だこれは、と思いかけて、自分の腕がそれをしっかりと抱き込んでいる事に気付く。じっと見つめていて、それが滑らかな曲線を描く卵であると判り、エディアルドはようやく意識が落ちる前の記憶を思い出した。
卵はつやつやと白く、エディアルドが手を離しても灰色には変わらなかった。
というか、この卵を抱いたまま自分は寝ていた訳かとエディアルドは眉を顰める。
その姿を想像してげんなりとするのは、成人した男としては至極当然と言えた。
「エディアルド様?御目醒めになられましたか」
ニナの声に促されるように身体を起こすとぐらりと周囲が歪んだような気がして、エディアルドは卵に寄りかかるようにして凭れた。
気付いたニナが慌てたように駆け寄る。
「エディアルド様!急に起き上がってはなりません!御気付きではないかも知れませんが、エディアルド様は七日間ずっと眠り続けておられたのですよ!?」
「……七日?」
それだけ聞いても、普通の眠りでは無かったと判る。
目を閉じて眩暈を遣り過ごすエディアルドを、ニナはそっと寝台へと戻した。
「御無理をなさらずに。喉は乾いておりませんか?」
「……水を」
「はい。直ぐにお持ちしますね」
七日。
それ程の長い間眠り続けていたと言う割には、熱を出した時程の体調の悪さは感じられず、エディアルドは不思議に思う。喉は乾いているが空腹と言う訳でもなく、先程感じた眩暈も急に起き上がった為の貧血のようなものだろうと判断する。
顔を横に向ければ、よくも引き剝がされなかったものだと思う大きな白い卵。罅一つ無く、つるつると綺麗なことから、どうやらウィルフレッドは自分の言葉をきちんと聞いてくれたらしいとエディアルドは笑みを浮かべた。
今度は慎重に身体を起こす。今度は、眩暈は起きなかった。
「まあ、御無理はなさらないよう申し上げましたのに」
咎めるようにニナが顔を顰めたが、エディアルドは苦笑のみで大丈夫だと返した。
グラスに入った水を受け取ると、思ったよりも喉が渇いていたようで一気に飲み干してしまい、エディアルドは自分でも驚いた。
空になったグラスをじっと見るエディアルドに気付き、ニナは水差しを手にする。
「足りないようですわね。どうぞ」
さすがに七日間眠っていた反動だろうか。エディアルドはグラス三杯の水を飲み、ようやく満足して息を吐いた。
「本当は御食事もして頂きたいところですが、そちらはオーエン医師の御指示が必要ですので暫し御待ち下さい。」
「判った」
頷くエディアルドにニナの目が潤む。
眠っていると言われても、七日間意識が無かったのだ。水も食事も摂れず、このまま衰弱してしまうのではと危ぶんでいたが、こうして無事に目醒めて安堵に気が緩んでしまったのだろう。
「心配をかけたようだな。すまない、ニナ」
「ええ、ええ。本当ですよ。少しは反省して頂きたいものです」
「……反省は、しているぞ?」
後悔はしていないが。と、内心思ったエディアルドに気付いたのか、昔馴染みの勘の良さか。ニナはエディアルドの言葉に目を眇める。
「反省は態度で示して下さいまし。口先ばかりでは信用出来ませんわよ?」
厳しい幼馴染の指摘に、エディアルドは肩を竦めた。
「ところでエディアルド様。その、卵……ですか?何ですの?」
「それは俺も聞きたい」
ニナの疑問に割って入るように、もう一人の幼馴染の声が被さる。
エディアルドが目醒めたと報告が入り駆け付けたウィルフレッドの背後には、何故か国王と魔術師団長と、少し遅れて息を切らせたオーエン医師も居る。
皆、目醒めたエディアルドを早く確認したいのはもちろんだが、その腕に抱いていた大きな卵が気になって仕方がないようだった。
興味津々な面子に、エディアルドは素っ気なく「卵」とだけ答えた。
「卵って、お前……」
「卵以外の何に見える」
「まあ、卵にしか見えんが」
「だから!中身は何だってことで!」
「さあ……?」
「さあ……って!知ってて壊すなって言ったんじゃなかったのか!?」
何やら焦って見えるウィルフレッドにエディアルドは首を傾げ笑った。
「何が産まれるか、出て来てからのお楽しみってことだな」
コン、と傍らにある卵の表面をエディアルドは何気なく小突く。
すると、殻の中から「コン」と小さな音が返って来た。
小さな、小さな音。その音を拾ったエディアルドはほんの一瞬目を瞠り、もう一度コンっと殻を叩いてみる。暫くして、先程と同じようにコン、と小さな音が返って来た。
何故か周囲を囲んでいる皆が、驚いたように固唾を呑んで卵を見つめる
「……こちらも目が醒めているようだな」
ふわりと微笑んだエディアルドは音が返る事に興がそそられたのか、コンコン、と叩いてみたりぺしぺしと掌で叩いてみたり反応を楽しんでいた。が、音は返っても殻の表面には何の変化も見られない為、首を傾げてしまった。
「……中身は確かに起きているようなんだが、何故出てこないんだろうか?」
この場合エディアルドが基準にしているのは鶏の卵である。
まだ外を駆けまわっていた小さな頃、ヒヨコが産まれるのを見たことがあった為、卵から産まれるのなら鶏のヒヨコのように自分で殻を割って出てくるものだと学習したのだ。
「さて。何分大きな卵ですし、殿下が寄りかかっても割れなかった所を考えますと、相当に殻が硬いのでは?」
魔術師団長の言葉に同意するようにオーエン医師も頷いている。
「硬い殻の卵ですと、親が嘴で穴をあけてやる場合もあるそうですな」
「つまり?」
「割ってやればいいんじゃないですか?」
全員の視線が卵に集中する。
とりあえずエディアルドは自分の拳で殴ってみた。
ゴン!っとかなりいい音がしたが、卵の表面には傷一つつかない。大きな音にびっくりしたのか、卵が大きく揺れココココ!っと抗議のような小刻みな音が聞こえた。
「……硬いな」
「でしょうね……」
じっと卵を見つめていたエディアルドの視線が、部屋の中をぐるりと見回す。
「グラス……は、負けるな。椅子はさすがに……水差し……は弱いか。タオル……話にならんな」
「で、殿下……?」
「……蹴るか?いや、だが、こちらの足の方が傷みそうだし」
なにやらぶつぶつと物色しているらしいエディアルドの声に、何かを感じたのか卵がプルプルと震え出した。
「罅が入ればいいんだから……ウィル?」
部屋を一周したエディアルドの視線がウィルフレッドに向けられ、にっこりと微笑まれる。
その笑顔が良からぬモノのように感じられ、ウィルフレッドの顔が引き攣ったのは長年の付き合いのせいだろうか。
「……殿下……?」
「その剣、貸してくれ」
この部屋で帯剣していたのは護衛であるウィルフレッドだけであった。
エディアルドの狙いは解る。解るが、手段としてはいただけない。
「殿下!さすがに剣では……!卵に罅を入れる前に中身まで斬ってしまいますぞ!?」
「そこまで腕は落ちていないと思うが……」
「いや、中身がどんな形状か判っておりませんのに、刃物で斬り付けるのは如何なものかと!」
「寸止め……では割れんな。まあ、ちょっと当てるくらいでは中身まで斬れないと思うが」
「いやいやいや!ちょっと待ちましょうよ、殿下。ほら、卵見て卵!」
言われて見下ろせば、先程は小さくプルプルとしていた卵は、今ははっきり怯えていると判る程にブルブルと震えていた。
「……。――自力で殻を破れない卵に怯える資格は無い」
理不尽で無慈悲なエディアルドの言葉であった。
ビクリ!と大きく揺れた卵は、ごろりとエディアルドの寝台から転がり、そのまま床に落ちた。
「「「「「あっ!?」」」」」
誰もが呆気にとられる中、卵は落ちた衝撃も何のその、ごろごろとエディアルドから遠ざかるように転がって行く。
だが、しかし。
所詮、卵である。転がったまではいいが、卵の中から外は見えないようで行き当たりばったりと言うのが当て嵌まるかのように、あっちへゴロゴロしてはソファにぶつかり、こっちへゴロゴロしては椅子にぶつかり、更にゴロゴロしては壁にぶつかっている。
「「「「……」」」」
「……何がしたいんだか……」
「エディアルド様が怖がらせるような事を仰るからでしょう」
唖然と見守る一同の中で、逸早く我に返ったのはニナである。
逃げ惑う卵を一瞥し、エディアルドにある物を差し出した。
「剣よりは安全な筈です」
「……そうだな」
渡されたのは手ごろな大きさの槌。何故こんなものがあるのかと言えば、しょっちゅう熱を出すエディアルドの為に、氷を割る槌がこの部屋には常備されていたのである。
その槌を手に、エディアルドは寝台を降りて未だにゴロゴロと転がりまくっている卵へと近付き、何やら殺気のようなものを感じ取っているかのような卵を壁際に追い詰めて行く。
「まったく、手の掛る……じっとしていないと当たり所が悪くなるかもな?」
言葉に含まれる本気を感じ取ったのか、卵は転がるのを止めてぴたりと止まった。しかし、プルプルと震えているのは変わらない。
「……脅すなよ」
まだ産まれてもいない卵の中身にウィルフレッドは憐みを覚える。周囲の人々も似たり寄ったりだ。国王は、自分の息子はこんな性格だったろうかと首を傾げていたが。
そんなこんなで、追い詰められた卵にエディアルドは手にした槌を躊躇いも無く振り下ろした。
バキッと小気味いい音が室内に響き、白い卵の表面には見事な罅……と、陥没が。
ちょっと力を入れ過ぎたのではと冷や汗をたらりと流す一同の前で、卵は更に内側から「バキャッ!」っと破砕音を上げ一部が砕け散った。
隙間から覗いたのは、ふわふわとした白い羽毛のようなもの。
そして次の瞬間。
「い、いたい~~~~~っ!!」
悲痛な叫び声を上げ、それは産まれた。
おまけ
*****
卵の裏側
うとうとと微睡む意識が、ゆっくりと浮かび上がる。
狭くて温かな世界の向こうは見えない。手を伸ばしても触れるのは硬くて丸い壁だけで、何があるのかはさっぱり判らない。それでも、壁の向こうがとても明るいのだと判る。
暫くうとうとしていたら、外側の世界からコン、と音が響いた。
小さな手でなんとなく壁を叩いて、コン、と返してみた。
もう一度、コン、と音がしたから、アタシも同じようにコンって壁を叩いた。
反応があったのが面白かったのか、壁の向こう側からはコンコンとリズムを変えて音が響いたりして、何となく楽しかったから同じように返していたんだけど。
いきなり、ゴン!って大きく叩かれた。
びっくりしたから「何すんのよ!」って意味合いでココココ!っと激しく叩いてみた。
それっきり音は止んだけど、何やら、こう、背筋をぞぞぞっと這い上がる気配がしてきた。
怖い。
何が何だかわからないけど、すごく怖い!
逃げなくちゃ!
アタシは壁を押すようにして動こうと頑張る。
頑張ったら世界が回った。
ごろんごろんと上と下と横がわけ判らなくなるくらい転がったけど、怖い気配は無くならない。
どうしよう、どうしよう、とおろおろしている内に追い詰められて動けなくなってしまった。
びくびくしていたら「バキッ」っていう大きな音と頭に衝撃が!
「~~~ッ!?」
声も出ないくらいの衝撃に涙目になりながら見上げると、硬かった壁がちょこっとだけ割れて明るい光が見えた。
その光を見た途端、どうしてもそこへ行かなくちゃと気持ちが焦って。
手で押したけど、割れ目は広がらなくて。
この時のアタシが何を考えてたかなんて、後になっても判らなかったんだけど、とにかく焦っていたんだと思う。
割れ目が出来た時の衝撃で痛む頭で、いわゆる「頭突き」をその割れ目にかまして、アタシは外の世界へと転がり出た。
「い、いたい~~~~~っ!!」
同じ場所を二度も打ちつけた痛みで悶絶しながら。




