71話 【散りゆく花】
長いです。
ソフィアの昔語りなのでスルーでもいいような?
あったかい――。
最初に浮かんだ言葉に促されるように、ゆっくりと彼女の意識が覚醒する。
ほんのりと、優しく包み込むような温かさに、彼女が醒めかけた意識をもう一度沈み込ませようとすると、どこからか困ったような笑い声が聞こえた。
『お寝坊さんね?でも、もう起きた方がいいわ』
(だぁれ?)
綺麗な声で話しかけたのが女の人だと判った。
何となく寝惚けたまま、声には出さずに彼女が問い掛ける。
『そういえば、ずっと一緒に居たけど――あなたは私を知らないのね』
(ずっといっしょ?)
『ええ。私はソフィアというの』
(そふぃあ)
『そうよ。でも、もうすぐお別れね』
(おわかれ。どうして?)
問われてソフィアの声に寂しさが滲む。
『もともと、ずっと、ずぅっと昔に消えていた筈だったんだけどね。私を宿してくれていた身体も無くなってしまったから、もうこれ以上留まる事は出来ないの』
(……どうして?)
彼女の声が戸惑いと哀しみに震える。
知らない筈のソフィアと別れるのだと言われても、よくは解らなかった。でも、名前は知らなくても、その気配は彼女を警戒させるものではなく、どこか懐かしい。
ずっと一緒だったとソフィアは言った。ずっと傍に居た筈なのに、どうして自分は覚えていないんだろう。彼女は不思議に思う。
ふわふわとたゆたうのは気持ち良かったけれど、彼女は興味を惹かれるままにソフィアの姿を探す。
ぼんやりと明るい空間はどこまでも広く、遮るものが何もない。
閑散とした光景に瞬いた彼女の視界をひらり、と白いものが過っていく。どこから来るのかと見回すと、また一つひらりと揺れる。気がつくとたくさんの白いものが、ひらひらと舞うように降っていた。そっと両手で捕まえると、それは小さな薄い花びらのようだった。見上げた先に、真っ白に花を咲かせている大きな樹と、その樹に寄り添うように少女が佇んでいた。
まだ幼さの残る面差をした少女は、彼女に微笑みかける。
『少し、昔のお話を聞いてくれるかしら』
少しだけ、時間は残されているから、とソフィアは大きな樹の幹に凭れ語り始める。
『昔、あるところに仲の良い兄妹がいました。
二人がまだ幼い頃に母親が亡くなりました。父親は母親を助けることが出来なかったと悔やみ、仕事に没頭するようになり、無理が祟って母親の後を追うように亡くなりました。
兄妹は哀しみましたが死んでしまった者は戻ってはきません。それからは二人で寄り添い助け合うように生きていました。幸い住んでいた村の人々は優しく善良な者が多かったので、何かと二人を気にかけ助けてくれていました。
兄は賢く魔法の才に長けていました。父親が魔術を用いた医師であった為に、家には魔法に関係した本がたくさんありました。ひとりで勉強を続けていた兄でしたが、住んでいる場所は国と国の境目にあるような辺境の村です。家にある本を全て読んでしまっていた兄には、それ以上の勉強は望めません。
ある日、妹は物置を片付けていて見た事の無い本を見つけました。埃を被っていたその本は、模様のような見た事のない文字で書かれていました。
妹は兄にその本を見せました。興味を持った兄は模様のような文字を少しずつ解読していきました。妹も一緒になって、まるで新しい遊びを見つけたように、一つ一つ文字の意味を知っていきました。
思えば両親が揃っていた幼い頃を除いて、一番幸せな時間だったのでしょうね――。
そうして紐解いた本は魔法書でした。
どこから、誰が、手に入れたのかは判らなかったけれど、書いた人と国の名前が最後に記されていました。
妹は兄に言います。
この国に行って、気の済むまで学んで来ればいい、と。
幸い、父親が医師だったので兄妹に残されたお金はそれなりにありました。その国は、住んでいる国からは遠く離れていましたが、妹は賢い兄をこのまま辺境に埋もれたままにしておくのはもったいないと考えました。
遠くにあるが故に危険でもあり、長い間会えなくなることも覚悟の上で妹は兄を送り出しました。
兄は迷っていたようですが、それでも学びたいという欲求は強く、村人にくれぐれも妹を頼むと頭を下げ遠い異国の地へと旅立ちました。
――そして、それが……妹が兄を、兄が妹を見た最後になりました』
(え……さいご?)
『ええ。ふたりは二度と会う事ができませんでした』
(どうして?)
『……』
無邪気に問われてソフィアは言い淀んだ。楽しい話ではないけれど、話してしまってもいいだろうかと、今更のように迷う。
『戦が……妹が住んでいる国と、隣の国が戦争を始めたのです』
(せんそう……それは、こわいこと?)
『ええ、そう。怖くて、辛くて、悲しい事よ――――。
戦争が起きて、その影響は妹が住んでいた村にも及びました。戦争から逃れてきた一人が、妹の母親が隣の国の民だったと知ります。そこからは――そうね……村の中で小さな戦争が起きたような状態でした。
妹を知り庇う村人と、知らず責め立てる避難してきた人たち。そのうち村人の中からも妹を責める人が現れ、事態が収まらなくなり妹は都から訪れていた兵に預けられました。
兵を纏める方は思慮深く、理性的な方でしたので妹が村に留まる事で取り返しのつかない事態を招くことを恐れ、護衛を付け、妹を都に一時的に避難させようとしました。けれど、誰も彼もが優しい感情を持つとは限りません。妹の血筋を忌々しく思っていた誰かがいたのでしょう。都の兵達に妹の血筋が明らかになり、妹は――城の一角で命を落とす事になりました』
(いのち……しんじゃったの?)
『そう。それだけなら、妹は哀れな、戦争の被害者で終わる筈だった。
妹の亡骸は罪人の地に打ち捨てられ、人知れず朽ちて行く筈でした。けれど、何をどうやって知ったものか、亡骸の前に兄が現れました。
兄は――兄は妹の亡骸を前に泣き崩れ己を責めていました。
どうして、妹の傍を離れてしまったのかと。
妹の亡骸を、簡単には掘り起こせないよう、城内の土地に深く深く埋葬し、手向けのように花の咲く樹を植えました。そして誓いました。必ず報復すると。
自分を責める必要などなかったのに、責めて欲しくは無かったのに、みすみす妹を無残に死なせてしまったと、兄は自らを責めて責めて責めて――責め抜いた末に、狂いました。
――いえ、本当に狂っていたのか、今ではもう判りません。でも、兄は贖いを求めました。――戦争を始め、妹を喪わせて自分を孤独に追いやった人を、国を、そして自分自身を、兄は恨み憎み自分の手で滅ぼそうとしました』
(……こわいよ……)
『そうね。怖いわね。でも、もう少しだけ聞いていてね』
本当は聞くのが怖かった。難しい言葉も多くて彼女には理解出来ないことも多く、楽しい話では無かった。それでも、何故か聞いておかなければいけないような気がして、彼女は頷いていた。
『兄は、まず戦争を仕掛けた国を狙いました。この国の王は浅慮で愚かだったので、簡単に事が運びました。そして妹を死なせた国をも許す事はありませんでした。
――暫くして、兄は妹の墓標代わりの樹の傍に大きな箱を埋めました。その表面にはびっしりと模様が刻み込まれていました。異国の、魔法の文字が。
妹を喪った哀しみを知れとばかりに、こちらの国には愛する者を喪うように呪いが掛けられました。妹が長い間受けた苦痛を返すように、じわじわと永く苦しむような呪いが。 そして、兄は妹を死に追いやった全てを呪い、自身の命すら糧にして隣の国を滅ぼし、この国に呪いを播いたのです。
それを知った妹は――自らの身体を失った妹は嘆きました。
そう、死んだ筈の妹は、全てが消えてしまった訳ではなかったの。身体は朽ちてしまったけれど、心は、魂と呼ぶべきものはずっと兄を見ていた。見ること以外、何もできずに。
どんなに叫んでも声は届かず、どんなに引き止め、抱き締めても兄が止まることは無かった。狂う事も出来ず、嘆くばかりの私に出来た事はと言えば、ほんの少し兄の術を書き換え、贄にされた命を永らえさせることだけ――』
(にえ……それって)
『そう――あなた』
ソフィアの声が引き締まったものになる。
『あなたは兄が隣国を、この国を滅ぼす為に選んだ最高の――そして最凶最悪の呪詛の贄であり要。あなたが死ねば呪詛は完成し、この国は滅びる――筈だった』
先程まで温かかった空間が急に冷えたような気がして、彼女は身を震わせた。
『……兄がどれだけ望んでも、私が嫌だった。私の死に何の関わりも無いのに犠牲になんて、したくは無かった。――本当なら、関係の無かった全ての人を助けたかった。でも、そこまでの力を私は持っていなかった……。できたのは、私の傍に隠されたまだ生まれてもいない小さな命を繋ぐことだけだったのよ――』
(ちいさい……うまれていない?)
『そうよ。あなたは、まだ生まれる前の命。――だから、あなたは、あなたが何であるのかを知らなかった。歳も名前も判らなくて当たり前』
(うまれていない……なら、どうして)
『生まれていなくても、あなたは――あなたの魂は、箱の中に留まれば呪陣に喰われ厄災を招くと知っていた。そして私がもうすぐ力尽きることも。だから、あの日――引き延ばそうと、近付いた強い魔力を吸い上げた時、繋いだ道を辿って箱から抜け出した』
(つながった道。――エド)
『私にはもうあなたの命を繋ぎ止めるだけの力がなかった。人の身には辛かったでしょうけれど、並外れて大きな魔力を持っていたあの子にあなたの命を繋いだの。申し訳ないとは思ったけれど、あの時の私には他に手立てがなかった』
(エド。エド、……アタシのせい?動けなかったのは、アタシの)
『いいえ?あなたではなく、私のせいね。ごめんなさいと、伝えてくれる?』
(でも)
『あなたの王子様があの庭に来てくれたから、あなたの命を繋ぐ事が出来た。ちょっと強引だったけれど、呪陣も毀せた。あれが全てではないけれど、要は消せた。あなたを、託すことも出来た』
(え?)
『もう、怯えなくていいの。大丈夫、あなたを脅かすものは壊れて消えたわ。さあ、お行きなさい。彼が待っているわ。』
(そふぃあは?)
彼女が見上げるとソフィアは頬笑みを浮かべ首を振った。
『お別れ、と言ったでしょう?
長い昔話を聞いてくれてありがとう。
兄のしたことは許されることではないけれど、それでも癒える事の無い哀しみを兄が負った事を――私が、兄をとても愛していた事を、誰かに聞いてもらいたかったの。勝手な事だけれど、――忘れてしまってもいいわ。けれど、必要になったら思い出して。毀れたのは要だけなのよ』
(どういう、こと?)
『兄は、賢いと言ったでしょう?――いつか、思い出したら解るわ。
ああ――もう、時間ね。
さようなら、私の、養い子。あなた達の幸せを、願っているわ――』
ざあっと強い風が吹いて、咲いていた白い花を一気に散らす。巻き上がったたくさんの白い花びらは弾けるように光に変わり彼女を巻き込んで舞い上がる。
彼女が勢いに押し流されて瞼を閉じる瞬間、ソフィアが笑顔で手を振っているのが見えたけれど、直ぐに光に飲み込まれて消えてしまった――。
ソフィアが昔話を聞かせたのはただのエゴ…と言われそうな気がします。
次は、たまごのターン。




