66話 【崩れ去る妄執】
――エダの村娘・ソフィア――。
くまの身元を捜索させていた時、最も有力視されていた娘の名前だった。
今、エディアルドの目の前に居る少女がソフィアだとしたら、くまは別人であると言う事だ。振り出しに戻った状態ではあるが、ソフィアはくまが誰であるのか知っていて、しかもくまの身体はすぐそこにあるらしい。
何故、百年前獄中で死亡したソフィアの幽霊(?)が城内の庭に居るのか、くまとはどんな関わりがあるのか、判らない事は多々あるがエディアルドはとりあえず気になっている事を訊くことにした。
「ソフィア。この魔法陣が光っているのは君の仕業か?」
『そう』
「あの樹の根が動いているのも?」
『そう。だって、あれはわたしだもの』
「…何だって?」
『わたしの上で芽吹いて、いつのまにかわたしの身体になっていたんだもの』
つまりは元々のソフィアの遺骸の上に芽吹いた樹がソフィアを取り込んだ――或いは、逆にソフィアが樹を取り込んで動かせるようになったという事か。
しかし、ここは外れに位置するとはいえ王城の庭だ。フェルナンの話が確かならソフィアは罪人の扱いで獄中死した筈である。記録でも遺体は見つからなかったという。まして、疑いが晴れたところで、例え誰であろうと城内に遺体を埋葬する事は無い。
その、ソフィアの遺体がここに埋葬されていたとするならば、それを行ったのは誰であったのか。
「君は…何故ここに?」
『さあ…判らないわ。気付いたら、わたしはここに居たんだもの』
「そうか。……君はここに来る前の事を…覚えている?」
『――覚えているわ』
ソフィアの視線が、どこか遠くを眺めるように虚ろになったように見えた。
『怖かった。痛くて苦しくて、泣いても叫んでも終わらなくて、――どうしてかしら?わたしに痛い事をする人達は笑っていたの。楽しそうに、面白そうに。――何が楽しかったのかしら?わたしは、痛くて苦しくて、辛くて、何でこんなに痛くて苦しいのかしらって、怖くて怖くて怖くて――』
ソフィアは虚ろに呟き続ける。エディアルドが気付くと、黒い文字を崩していた虹色の光は先程よりも弱まり薄くなっていた。おそらくはソフィアの精神状態に影響されているのだろう。
「ソフィア――すまない。過去にこの城の者が君にした仕打ちを謝罪する。今更謝ったところで取り返しなどつかないし、許されることでもないが」
真摯に頭を下げるエディアルドの前で、ソフィアはきょとん、と首を傾げた。
『許されないのに、謝るの?』
「そうだな。――だが、知っているのに知らない振りをするのは私の気持ちが落ち着かない。要するに、私の我儘だな」
『…ふうん。――もう、ずっとずうっと昔のことなのにね。あなたは産まれてもいなかったし、関係無いって言えるのに、変わっているのね』
「昔ではあっても。…この城に住み、この国を束ねる一族に産まれた以上、配下の仕出かした過ちの責任が生じると、私は思う」
与り知らぬ過去に起きた出来事の謝罪など、当事者には何も意味は無いとエディアルドにも判っている。それでも口にするのは単なる偽善に過ぎない事も。
自分の行為を我儘だと言うエディアルドをソフィアは儚く、しかし柔らかく微笑んで目を細める。
懐かしい、と思ったのだ。
ソフィアが微笑むと同時に虹色の光が少し強く揺らめく。
『…真面目なのね。…どこかで、そんな風に言ってくれたひとを、わたし知っているわ。優しかったひとも、心配してくれたひとも、わたしは覚えている。だから、ほんの少しだけ、あたたかいモノが残った。どんなに痛くて辛くて苦しくて、そうする人達を恨んだとしても――きっと、他の誰かにぶつけるのは、わたしは違うと思うから――だから、あなたが謝ることは無い、と思うよ』
「ソフィア…」
『それに――謝らなければならないのは、わたしだもの』
柔らかかった頬笑みが哀しみを湛えたものに変わる。
「…?」
『誰も犠牲にならない方法があればよかった――でも、そんなの、わたしは知らなかったから。たくさんの犠牲を見過ごすより、ちょっとだけ少ない犠牲を強いるしか、出来なかった』
泣き笑いのような顔で、ソフィアは黒い箱を指差す。
『わたしに出来るのは、毀す事だけ――お願い。助けてあげて――』
ほろほろと淡い虹色に浸食されて、黒い文字が崩れ去った。同時に、樹の根元に埋まっていた黒い箱がざらり、と砂が崩れるようにその形を失くしていく。崩れ去った後に残ったものは、灰がかった白色の丸いもの。
『さあ、もう、怖いものは無いでしょう?戻っていいの。そして――』
ソフィアが見つめた先には、くまが立ち竦んでいる。
何を言っているのか理解できないままに、エディアルドはソフィアの視線を追ってくまを見下ろした。
――その瞬間、ざあっと吹き抜けた風に攫われるように、ぬいぐるみから白い少女が引き剝がされ飛ばされるのを目にする。同時に、しっかりとしがみ付いていたぬいぐるみのくまがころりとその場に転がった。
「くま!?」
思わず伸ばされたエディアルドの手は何も掴むことが出来ず、虚しく空を切る。
あっという間の出来事に、思いがけない事態に、「嫌だ」と思った心が身体を支配する。
「エド!待てっ!?」
制止の声を振り切って、エディアルドは走り出す。
引き止めようと伸ばされた腕は、狙ったような突風に押し戻されその役目を果たせず、少し遅れてウィルフレッドもまた走り出す。
今はもう見えなくなった、黒い魔法陣のあった境界線をエディアルドが踏み越えた時、懸念していた事象は起こらず、彼の行動を止めるものは最早そこには存在しない。
倒れていた作業員達の間を駆け抜け、辿り着いた穴の底には先程までくすんでいた灰白の球体。それが今はかすかに虹色の光を帯びている。
「これは…」
一抱えもある、丸いそれは。
「――卵?」
誰がどう見ても、とても大きな――大きな何かの卵、だった。
たまごでたー!やっと…!(笑)
※ソフィアの声はウィルには聴こえていないので、エドの隣で(???)と首を傾げてます。会話にも割り込めず、哀れ、ウィル…。




