61話 【あなたのもとへ。】
その瞬間、エディアルドには何が起こったのか判らなかった。エディアルドだけでは無く、それはウィルフレッドやニナも同様だった。
ただ、彼等は目にしただけだ。
作業をしていた者達が、声も上げずいきなりバタバタと倒れて行くのを、唖然としながら。
「…何が起こった…!?」
「分からん…って、エド!そっから先に進むんじゃねえ!」
無意識に前へと一歩踏み出していたエディアルドに気付き、ウィルフレッドは慌てて身体で止めた。
目の前に倒れている人間がいたら安否が気になるのは当然だが、エディアルドが彼等の傍へ近寄れば間違いなく倒れる事が判っている。うっかりでも近付ける訳にはいかない。
「…ッ、私が見て参ります。エディアルド様は此処でお待ち下さい」
「ニナ!お前まで気軽にホイホイ近付こうとするんじゃねえよ!とりあえずちょっと待て!」
駆け出そうとするニナの腕を掴んで引き止め、ウィルフレッドは作業員達が倒れている現場に目を向ける。
作業に当たっていた二十数名、マティアスも含めて全員が地面に倒れている。ピクリともしない所を見ると気を失っているか、――或いは最悪の事態も考えられる。
何が原因で倒れたのかはっきりしなければ、迂闊に近付く事すら出来ない。心配だからと駆け寄って二の舞になっては、間抜けに過ぎる。 真っ先に疑った黒い魔法陣には全く変化が無い。ならば、何が考えられるのか――。何にしろ、離れていては情報が足りないと、ウィルフレッドは歯噛みする。
そして、ウィルフレッドと同様に作業員達をじっと見ていたエディアルドは、奇妙な感覚を覚えて首を傾げていた。
作業をしていた者達が全て倒れてしまった現場は、しんとした静寂に包まれている。物音を立てる者が居ないのだから当然である。そうなるとおかしいと感じるのは『音』では無い事になる。
「?」
眉を寄せて自分の感覚を追っていたエディアルドは、最初、風が吹いているのかと思った。
葉を落としていても、小枝は風が吹けばさやさやと揺れる。別にそれはおかしなことでは無い。ならば何がおかしいのか――。
気付いたエディアルドは、(きっと、今の自分は相当に間抜けな顔になっているだろうな)と場違いな事を考える。
それ程に、目の前の現象は常軌を逸していた。
「ウィル…私の見間違いだろうか…?」
「…何が?…って言いたいところだが、ってことは俺の目がおかしい訳じゃないのか」
「樹の根とは…風であんなにも動くものなのか?」
魔法陣の『要』であるだろう黒い箱を抱く複雑に絡まった網目状の樹の根が、深く掘り下げられた穴の中でゆっくりと蠢いていた。
「余程の強風でもあんな風に動くもんか――!」
引き攣った険しい顔でウィルフレッドが叫んだ。
その頃。
エディアルドの部屋を抜け出したくまは、その短い脚でとたとたと出来得る限り急いで走っていた。
エディアルドが居ない。
だから自分はエディアルドを探すのだ。そんなことを当然のように思いながら走るくまは、ぬいぐるみから出た方が速く移動出来るという、とても単純な事実にすら気付けていない。
ぬいぐるみの足なので、懸命に走っていてもそれ程距離を稼げるはずも無く、くまの後ろをシャーロットが追いかけたら余裕で追い付けてしまう。
「精霊様は何処へ行きたいのですか?」
『エドの所っ』
律義に答えるくまだが、残念ながらエディアルドが居ないのでシャーロットにはその声が聞こえていない。
それでもその様子から察することは出来る。気付いたのはエルステッドだった。
「…なあ、そのくま、兄上を探しているんじゃないのか?」
「ああ!そうですわね。お部屋にひとり取り残されていたのですもの。文句の一つも言いたくなりますわよね!」
『いや、別に文句は言わなくても…』
「それは何か違うと思うが…」
何故か一緒に走っているエルステッドとくまは、並走するシャーロットのどこかずれた思考に通じないながらも同じように疲れた気分で肩を落とす。
「うふふ。わたくしは知っていましてよ、お兄様がどちらにいらっしゃるのか!」
『え!?どこ!?』
思わず足を止めてくまはシャーロットを見上げる。
「…そういえば部屋を出て行くところを見ていたんだったか、お前」
「いやですわ、偶然見かけましたのよ。今日はマティアス様達と、あの立ち入り禁止になっているお庭に向かっていましたの」
「え!?…大丈夫なのか、兄上…?」
『あの怖いところ!?なんで!?』
エルステッドは件の庭でエディアルドが倒れた事を知っているし、だから父である国王が近付かせないようにしていた事も知っている。くまは感覚で『あの庭は怖いところ』と認識してしまい怯えが先に立つ。だからこそ疑問が浮かぶが、詳しい事を知らないシャーロットはエルステッドが何を心配するのか分からず、首を傾げる。
「ウィルフレッド様も付いていらっしゃいましたし、大丈夫なんじゃ?」
『い、行かなきゃ…!』
慌てて駆け出そうとしたくまの足は床を踏む事無く、ひょいっとシャーロットに抱え上げられていた。間近で見たシャーロットはにっこりと、とても楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「御案内致しますわよ、精霊様」
「まあ、確かに抱えて僕等が走った方が速いよな」
「そういう事ですわ、エル兄様」
『おおぅ~?』
シャーロットはくまを小脇に抱え、たたたっと軽快に駆けて行く。侍女や教師から逃げるのが日常茶飯事である御転婆な少女は、ドレス姿であっても走るのが得意だった。ぬいぐるみの足で進むよりも遥かに早く、くまはエディアルドの許へと運ばれていく。
シャーロットに抱えられて進む方向を見つめながら、くまは未だに感じる恐怖と奇妙な胸騒ぎに戸惑う。
(エド、大丈夫かな?大丈夫だよね…?ちゃんと、また会えるよね…?)
そうしてエルステッドとくまを抱えたシャーロットは庭への最短距離を駆け抜け――異様な光景を目にして立ち竦む。
「…なんですの、これ…?」
「え…嘘だろ…?」
黒い魔法陣の中で倒れ伏す、数多の兵達。
ピクリとも動かない彼等とは対照的に、本来動くようなものではないモノがまるで生き物のようにのたうっている。
動く筈の無いモノ。――それは。
黒い箱を抱いた花の咲かない樹、その根であった。




