5話 【いただきます】
まさかぬいぐるみのくま(幽霊?)に自らの名を訊かれるとは思わなかった。
「くま。私はぬいぐるみの名前など知らんぞ」
『だからくまじゃありませんってば!』
名前がわからないなら《くま》だって別にいいのじゃないだろうかと青年は思うのだが、何やらくまには納得できないことらしい。面倒だ。
「そう言われてもな…私の目の前にいるお前はくまにしか見えないのだが?」
『くまじゃなくて、たぶん幽霊なんですってば!』
くま、おそらく拳を握って力説。たぶんって何だ、たぶんって。
「…名前がわからないと。では年は?」
『知らない』
「性別」
『う?ええと、たぶん女のコ?』
首を傾げるくま。だからなぜそこで疑問形だ。外見から性別くらいハッキリさせろ。青年は痛みだした頭を押さえるように額に手をあてる。
「いつ死んだ?」
幽霊というからには死んだという意識があるはず。と思いきやこれにもくまは首を傾げる。
『さあ…いつなのかな?』
「…」
全く要領を得ないくまへの尋問に青年は匙を投げたくなった。とりあえず茶でも淹れて落ち着こう、とくまへの質問は後回しにして茶器を温める。
青年の部屋には常に水差しや湯を沸かす魔道具が置いてある。
誰かを呼んで頼めば茶などすぐに持って来てくれるだろうが、真夜中であるしわざわざ起こしてまで頼む程のことでもない。そんな些細なことで他人の手を煩わせることが青年は好きではなかった。
沸かした湯を茶葉を入れたポットに注ぎ、温めたカップの湯を捨ててお茶を淹れる。
ぬいぐるみのくまにはお茶は飲めないと解っているのに二人分。
話し相手がいるのに一人だけ準備するのもおかしいだろうと思ったのだが、そもそもこんなわけのわからないモノを部屋に引き入れていることが既におかしいのか、と青年はくまを見遣る。所在無げに立ち尽くしているその姿が哀れに見えるのは自分の目が狂っているのか。
客とも言えない客だから、盆など使わず両手にカップを持ち部屋の中央にある低いテーブルへと載せる。そのまま立ったままのくまの傍へ行き持ち上げると『わきゃっ!?』と焦ったような声が聞こえたが気にせずソファへと座らせ、自分はその向かい側へと座る。
淹れたばかりのお茶は温かく、冷えた青年の身体を少しばかり暖めてくれた。ほっと息を吐くような温かさに、馴染みのある気怠さが襲ってくるのを感じる。
『あの…』
「なんだ?」
『えと。アタシの身体ぬいぐるみだから、お茶飲めないと思うんですけど…』
自分の目の前に置かれた湯気の立つカップを見つめながら、くまが戸惑ったように言う。
「気分の問題だ。気にするな」
『気分っても…なんかもったいない気が~』
「別に飲んでもかまんが?」
『やー…飲んでもって言われても。アタシ中身が綿ですからねぇ。注いだらそのまま沁みてソファまで濡れてしまう気がしますよ?』
「まあ、そうだろうな。別にかまわんが」
『かまいますって!でももったいない~それに良い匂い~』
「匂いがわかるのか?」
『ん?ああ、そういえば?何となくわかりますね!ほわほわした気分になる良い匂いです~』
温度だけではなく匂いまでわかるとは思わなかったが、人の身に縛られることのない存在ならばそういうこともあるのかもしれないな、と青年は思う。
『美味しそうですよね。良い匂い~飲みたいなあ。でも飲めない~』
「…」
美味しそうとは言うが、ぬいぐるみに味覚があるのだろうか…?
テーブルに両手をつきカップを覗き込むくまを眺めながら青年はおかしなことになったものだと思う。
月明かりだけの真夜中の部屋でお茶を飲むのは間々あることだが、相手が居るのは初めてのことだ。それも得体の知れないぬいぐるみのくま。しかも中身は幽霊だという。のほほんとした様子から害がありそうには見えないが、普通に考えて傍に寄せていいものではないだろう。それでもなんとなくこの状態に和んでいる自分が居る。
ぼんやりと『飲みたいな~』と呟いているくまを眺めていると、突然くまが『あっ!?』と叫んで仰け反った。
「なんだ?」
『……お茶…』
茫然と呟いたくまにつられるように、青年がくまの前に置いたカップに視線を落とす。その目が軽く瞠られる。
「…消えてる…?」
先程まで湯気を立てていたお茶は、キレイさっぱりとカップの中から無くなっていた。思わず手に取ってみると器はまだ熱が残っており、そこには確かに中身があったのだと解る。不可解な現象にくまに目を移せば、くまも訳がわからないと言うように青年を見上げている。
「どういうことだ…?」
『どうしてこうなったのかは解んないんですけど』
くまは首を傾げ、また青年を見つめる。
『気合いで飲んじゃったみたいです~』