47話 【冬の雨】
その日は朝から曇り空で、昼を過ぎた頃にはパラパラと冷たい雨が降り出していた。
「…雪になるかな?」
「さあ…どうでございましょう?これ以上に冷え込めば雪になるかもしれません」
普段からエディアルドの生活する一画は静かではあるが、今日は雨が雑多な音を吸い込んでいるのか、いつもよりも余計に静けさに包まれていた。
「ニナ。例の魔法陣は未だに顕現したままか?」
「そのようですわ。黒く浮かび上がったまま、広がる様子も無く…かと言って消える気配も無いようですが…一応見張りは立てておりますが、調査の為に踏み込んでも倒れる事例は今のところございません」
エディアルドの問いにニナは淡々と報告をする。調査に関する事をエディアルドに隠す事はしない。何もかもを隠してしまうと、エディアルドはニナや警護の目を盗んで事実を知ろうと動くことが簡単に予想出来るからだ。これに関しては王も同意見で、自室から出ないのであれば知りたいことは教えるようにと許可が出ている。
「…やはり私だけか?」
「そうですわね」
魔法陣はそこに在り、目に見えているのに、エディアルド以外には何ら害を与えないのだ。エディアルドにしてみれば理不尽であり不可解な現象だろう。実際、調査に当たっている魔術師達も首を傾げている。
「…解析は?」
「芳しくないようですわね。陣に浮かび上がった文字が我が国…いえ、この周辺諸国では使われていないものだとかで…未だに何処の文字なのか探っている段階だそうです」
「使われていない文字…か」
喪われた言語か、未開の地の言葉か。どちらにしても未知のそれらを使った魔法陣が何故この国の、しかも城の中に在るのか。――何の為に。
「しかも贄は私か…」
「…エディアルド様…」
気遣うニナの声に大丈夫だとも言えず、エディアルドは目を閉じて思考を巡らす。
魔法陣が顕現したのは六日前、エディアルドが陣の外端に踏み込んだからだ。けれど、エディアルドの身体がおかしくなり出したのは数年前…およそ五年前だ。だとすると魔法陣はその頃既に稼働していたか、或いは稼働を始めたという事になる。そして少女がふらふらその辺を漂い出したのも同じ頃らしい。
――これは、本当に偶然なんだろうか?
マティアスが言うには少女とエディアルドの魔力の質はとても似ているらしい。
少女の声が聴こえるのも、姿が視えるのもエディアルドだけだったらしい。
――らしい、ばかりで何一つ確固たるものがない。これで事実を突き止めろとか言われたら、その辺の物を投げ付けてもおかしくない。
考え込むエディアルドの耳に控えめなノックが聞こえた。
そう言えばアレも初めて会った時にはノックをしていたな、――とてもしつこく。とかエディアルドが思っている間にニナが対応に出ていた。
「エディアルド様。マティアス様が御目に掛りたいとの事ですが。如何いたしますか?」
「…会おう」
雨の降る中会いに来なければならない用事とは如何なるものか。首を傾げつつエディアルドはマティアスを招いた。
髪の先に幾らか雨の滴を纏わせたマティアスは、暖かなエディアルドの部屋に入るとほっと息を吐いていた。どうやら外は結構寒いようだ。
「お久しぶりです、殿下。体調の方は落ち着かれたようでなによりです」
「挨拶はいい。今日はどうした?」
「例の魔法陣の件ですね。陛下から神殿に協力要請が出されまして、被害に遭われたのが殿下と彼女という事で私が派遣されました。まあ、多少なりとも関わったからには最後まで面倒を見て来い、だそうで」
「面倒事を押し付けられたか?済まないな」
「いえいえ。押し付けられた等とは思っておりませんよ。要請の可能性があれば立候補しようと思っておりましたから、むしろ好都合でした」
「…何故?」
王族であるエディアルドが関わっている魔法陣である。解析に当たる者達の責任はどうしても重いものになる。特に外部からの協力者など、下手をすれば全ての責任を被せられるかもしれないのだ。今のところ王族側と神殿は良好な関係を保っているが、今回の件で不和が生じる可能性も無くは無い。
エディアルドの疑問にマティアスは少し考えるように首を傾げる。
「…そうですね…謎の魔法陣に対する興味が大半ですか。解らない物を紐解いて行くのは楽しいと思いませんか?」
「…物好きだな」
「よく言われます」
態々難解なものに触れようという気の無いエディアルド苦笑を浮かべると、マティアスは得たりとばかりににっこりと微笑む。既に周知の事実であったらしい。
「まあ、座れ。外は寒かっただろう?茶でも飲んで温まると良い」
「御気遣い痛み入ります。――ありがとうございます、ニナ殿」
マティアスが優雅な仕草でソファに腰掛けると、タイミングを見計らったようにニナが茶器を目の前に置いた。外が寒いので少し熱めに淹れたお茶は、身体を温めるには丁度いい。
一口、二口、と温かいお茶を啜り、マティアスは茶器を置いてエディアルドへと視線を戻す。
「殿下。…実は、本日此方に参りましたのはお話しておきたい事があったからなのですが…」
「話?」
コンコン。
何の話か問おうとした時、遮るようにノックの音が聞こえた。対応に向かうニナの動きを何となく目で追い、会話は途切れてしまった。
「エディアルド様。モルデラート内務管理官殿が御報告したい事があるそうですが…出直して頂きますか?」
「モルデラート?」
思い当たらなかったのかエディアルドがちょっと首を傾げると、ニナが補完するように正式な役職名とフルネームを伝える。
「内務人事管理担当官室長、フェルナン・モルデラート殿です」
「…ああ、フェルナンか。何度聞いても長い役職名だな…」
思い出したエディアルドは、フルネームを覚えていなかったことに眉を下げた。普段あまり関わらない人物だけに、時間が空くと朧になってしまう。
とりあえず今はマティアスと会談中であるし、後にしてもらおうかと思い、断りを口に乗せようとしたエディアルドだったが、察したマティアスが先に提案を口にした。
「殿下。殿下とフェルナン殿さえよろしければ私も御話を伺いたいのですが」
「良いのか?」
「はい」
「…ニナ。聞いていた通りだ。フェルナンが了承するならそのまま入れて良い」
招き入れられたフェルナンは、以前に環を掛けて顔色が優れなかった。彼はまともに睡眠が取れているのだろうか、とエディアルドが訝しむ程に。
強張った面持ちで一礼したフェルナンが口を開く。
「殿下が御尋ねになっていた人物に該当する者が判明致しました」
「…何だと…?」
今になって――。
複雑に揺れるエディアルドの内面に気付かず、フェルナンは続ける。
「…ただ、あまりにも時が経ち過ぎ、それが事実であるかどうかは判断が難しい処ですが…」
逡巡した後、フェルナンは苦いものを含んだ顔でエディアルドに告げた。
「――滅亡せし隣国ヴィーアスの者…百年前、戦により我が国が命を奪った娘かもしれません――」




