40話 【今日も空は晴れています。】
晴れた夜の後は寒い朝が来る。
誰が言ったのかは忘れたが、おそらくは窓の外はかなり冷え込んでいる筈だった。温度が一定に保たれたエディアルドの部屋からは、窺い知ることは出来ないけれど。
あの後。
済し崩しに茶会はお開きとなり、両親と弟妹はそれぞれにエディアルドを抱き締め、就寝の挨拶をして帰って行った。その際、シャーロットがちゃっかりぬいぐるみを抱いたまま帰ろうとしていたのは、まあ御愛嬌と言うものだろう。中身が抜け出て残ったことを伝えると、名残惜しそうにしながらもソファに戻して行ったが。
少女は、自分の覚えている『白い花の木』が在る場所を指したら部屋に居た人々の纏う気配が明らかに変化したことに気付き戸惑っていたが、何故なのかまでは判っていない。
おろおろと周囲を見回し、物言いたげに見上げてくるくまに、エディアルド自身話すべき事ではないような気がして、結局何も言っていない。
ただの偶然でしかない筈だ。
それまで健康で、何の問題も無かったエディアルドが、初めて突然の体調不良に襲われ昏倒した場所が、くまが初めて記憶に残した場所と同じだなんて。
だが、とエディアルドは考える。
本当に偶然なのだろうか、と。
数年前、エディアルドが倒れた同時期に同じ場所で、記憶の無いくまが幽霊と自覚して目醒める、などという事が偶然起こり得るものなのだろうか。
「…判らないことだらけだな」
『うん?何が?』
窓の外を眺め小さく呟いたエディアルドを、くまは不思議そうに見上げる。
射し込む陽射しが眩しいのか、軽く目を眇めるエディアルドはくまの問いには答えず、物思いに耽るようにただ窓辺に佇んでいる。
病のせいで殆ど外に出ないエディアルドの肌は透き通るように白い。その赤味の少ない整った横顔を見上げながら、くまは『そういえば、エドってあんまり笑わないなあ』と呑気なことを考えていた。
怒っている顔は見た。困っている顔も、呆れている顔も、時々なら柔らかく微笑んでいる顔も。でも、楽しそうに笑う顔は見ていないと思う。
いつか。
いつか、アタシが消えてしまう前に。
一緒に笑う事が出来るといいなあ、とくまは思う。
そんな事をのほほんと考えているくまに気付く筈もなく、エディアルドは窓から離れるとクローゼットへと向かった。
誰の手を借りようと、どんなに情報を集めようと、結局の所自らが動かなければ本当に欲しいものは得られないのだ。外界と隔絶されたようなこの部屋に籠る限り、エディアルドには何をどうすることも出来ない。何かを指示することは出来ても、それ以上関わることが出来ない。そして入ってくる情報が少な過ぎる。
きっと、くまがどうなっても大半の者は気にもしないだろう。このまま時が流れ、ひっそりと消えてしまっても仕方がないと誰もが言うだろう。
それでは嫌だ、とエディアルドは思う。
何も知らなければ放って置いた。自分以外の誰かと関わるのならその者に任せた。けれど、それは仮定の話でしかない。
実際にはエディアルドが関わり、こうして同じ時を過ごし、少なからず情も沸いた。このまま消えたくないと言うくまの願いをどうにかしてやりたいと思うくらいには。
「ニナ」
クローゼットから普段ほとんど袖を通さないコートを取り出しながら、傍に控える侍女の名を呼ぶ。幼い頃からの付き合いである彼女は、エディアルドがクローゼットに向かった時点でこうなる事を予想していたのだろう。眉を顰めながらも驚きはしなかった。
「外へ出る」
「…オーエン医師からの外出許可は下りておりません」
「要らん。どうせ訊いたところで許可を出すとは思えん。今は熱が出ている訳で無し、散歩くらい構わんだろう」
「……コートに袖を通す前にまずはこちらを。手袋と帽子も必要です」
ふう、と諦めたように溜息を吐いて、ニナは厚手の上着と柔らかな毛皮で作られた防寒用具を取り出し並べていく。ストールや靴下、中に毛皮を張ったブーツまで出されるに至り、エディアルドは大袈裟ではないのかと呆れた。
「何を仰いますか。この寒い時期にしっかり防寒しないなんて、エディアルド様にとっては自殺行為ですよ。御自分で解っていらっしゃるでしょう?」
「む…」
曰く、風が吹いても倒れる王子である。
反論出来ないので大人しく出された物を着込んで、きょときょととエディアルドとニナを見て居たくまを引っ掴んで部屋の扉を開ける。すると、其処には不機嫌な表情を隠そうともしないもう一人の幼馴染が居た。
「随分早いな、ウィル?」
「殿下の性格はよーく知ってますからね。それでもニナが止めてくれると踏んでたんですが…当てが外れましたね」
睨まれたニナは、つん、と顎を逸らして真っ向からその視線を見返す。
「当てが外れたとはよく仰いますこと。知らせもしないのに扉の前で待ち構えて居たのは何方でしょうね?こうなることを見越して居たくせに」
「そりゃあ、まあ…長い付き合いだしな」
ポリポリと頬を掻くウィルフレッドにも、本気でニナがエディアルドを止められるとは思っていない。エディアルドが言い出したら聞かないというのは、ニナとウィルフレッド共通の認識だ。身体の調子を崩している時は無理やりにでも寝かしつけるが、今は何の症状もない。
何より、この病弱になってしまった幼馴染を、理由もなく部屋に閉じ込めるような真似をウィルフレッド達はしたくなかった。
しかし、此処で問題が一つ。
「あとでオーエンの爺さんの雷が…なあ」
ウィルフレッドのぼやきを聞いてエディアルドがくすりと小さく笑った。
小さな頃から何かしでかす度に叱られ怒鳴られ、オーエンは親よりも怖いと刷り込まれているのだ。特に悪戯を率先していたウィルフレッドには身の竦む思いがあるだろう。
「知らなかったふりをしてもいいぞ?」
「いやー。それは通らんでしょ」
雷が怖くて尻込みしました、なんて。
いい歳をした男が言うのは、ちょっと情けなさ過ぎるだろう。
それに不測の事態が起こった時に、エディアルドの傍に居なかったと悔やむのは真っ平だった。
「御供仕ります、殿下」
綺麗に騎士の礼を捧げたウィルフレッドに、エディアルドは少しだけ眉を顰め、頷く。
『みんなと~おさんぽ~』
一歩、踏み出したエディアルドの腕の中で。
緊張感の無いくまが、呑気な事を鼻歌交じりに言いながら、嬉しそうに足をぷらぷらさせていた。




