30話 【怒らないでほしいです。】
どう見てもくまの首に飾られた石と対としか考えられない指輪を、エディアルドは躊躇うことなく自分の指へと嵌めていた。
止める間もない行動にマティアスは僅かに眉を寄せる。
「説明も受けずに試されるのは無謀ですよ」
「お前が言うな」
あっさり渡した本人が言うことか、とエディアルドは呆れて言い返した。
説明してから指輪を嵌めてもらうつもりだったマティアスは、エディアルドの思い切りの良さにやれやれと肩を竦める。どの道、嵌めなければ先に進まないのだから、手間が省けて助かるのは確かだ。
何の変哲も無い、素っ気ない指輪を眺めていたエディアルドは、その視線をソファの上で自分を見ていたくまへと向ける。
「くま。何か喋ってみろ」
『な、何かって、何を~?』
だからいきなり『何か』と言われても困ってしまうと、くまに憑いた少女が焦ってエディアルドに返した途端。
「おや?」
「え!?」
『え?』
マティアスとニナが驚いたような声を上げた。
マティアスが最初からじっとくまを見つめているのに対し、ニナは視線を周囲に彷徨わせてから恐る恐るといった風にくまを見た。
エディアルドに話しかけた途端声を上げられ、少女の方も驚いて二人の顔を見た。
それぞれの視線がぶつかり、一瞬室内の時間が止まった――ような気がした。
当然、と言うべきか、逸早く状況を理解したのはマティアスだった。くまへと笑顔を向け、確かめるように話し掛けていた。
「ふむ?…こんにちは、くまの中の方」
『こ、こんにちは…?』
間違いなく自分へと向けて話し掛けられ、くまに憑いた少女は戸惑いながら挨拶を返した。
それに笑顔で頷いて、マティアスはニナへと顔を向けた。
「…侍女殿、如何でしょう?聴こえますか?」
「……え、ええ」
突然聴こえた声に戸惑ったまま、問われたニナは頷くしか出来なかった。
この部屋にはエディアルドとマティアス、そして自分しかいないのだから、耳にした女性のものとしか思えない――それもかなり年若い高い声が誰から発せられたと訊かれれば答えは一つしかない。
この時までニナはぬいぐるみが動き回ってもお茶を飲んだとしても、その中に誰かが居ると、本当の意味では理解していなかったのかもしれない。
そんなニナを余所にマティアスはくまの首の石に触れ何かを確認し、エディアルドへと顔を向ける。
その表情は神職者と言うよりはやはり研究者と言った風情が相応しく、やはり職を間違えてるんじゃないかとエディアルドは思う。
「殿下。体調に変化は?」
指輪を嵌める前と後ということなら、全く変化は感じられない。
「ない。それで、聴こえているのか?」
エディアルドには初めから少女の声が聴こえていた為に、効果の程度が自分では確認できない。それでもニナの反応やマティアスの態度から、この指輪が望んだ結果を齎したことを知る。
マティアスも試作品がうまく機能したことにほっとしたのか、嬉しそうにエディアルドに微笑んでいた。
「私には聴こえますね。幻聴でなければ可愛らしい声が」
その言葉にきっと一番喜んだのはくまに憑いた少女だった。ソファの上から転がり落ちマティアスの足元まで駆け寄ると神官衣の裾にしがみ付いていた。
『ほ、ほんとにっ!?ほんとにアタシの声、聴こえてるの!?』
突然足元から見上げられ僅かに驚いたような表情を浮かべたものの、マティアスはくまを振り払うような真似はせず小さな子供に言い聞かせるように穏やかな声で頷いた。
「ええ、流石に姿までは無理でしたが貴女の声は届いておりますよ、お嬢さん」
『――っ!』
まるで息を詰めたように、マティアスを見上げたまま動きの止まったくまは、次の瞬間弾けたようにエディアルドへと駆け寄っていた。
『エド!エドッ!!聴こえるって!アタシの声、聴こえるって!!』
「ああ。良かったな」
『うんっ』
寝台に上がることが出来ず上掛けの端を引っ張るくまを、仕方がないと言いた気にエディアルドは苦笑を浮かべ持ち上げた。
寝台の上に載せられたくまは『うれしい~!』と言いながらエディアルドに抱き付いた。(腕が短いのでしがみ付いたようにしか見えない)
「そこのくまっ!いきなりエディアルド様に抱き付いた上に御名を呼び捨てとは何事ですか!?」
『はうっ!?』
少女の声が聴こえるようになったせいで、エディアルドの事を愛称で呼んでいるのがニナにばれてしまい、引き剝がされた上に怒鳴られてくま(少女)はビクビクと身を縮める。
『ご、ごめんなさい~~!?』
ニナの手に吊り下げられプルプル震えているくまのぬいぐるみを目にしたエディアルドは、一瞬目を丸くし、宥めるように「構わない」とニナへ告げた。
「私が、そう呼んでいいと許可した。ニナ、それを放してやれ」
「ですが!」
「よい。と、言った」
示しが付きません!と続けられるのだろう声をエディアルドは遮った。
今更呼び方を変えさせようとは思わなかった。
もう慣れてしまっていたし、くまに憑いた少女は臣下でも使用人でもない。取って付けたような敬称など、エディアルドは欲しい訳じゃない。
まだ何か言いたそうにしていたニナを視線で黙らせると、暫くして眉間に皺を寄せたままニナはくまを寝台へと戻した。
戻されたくまはどうしていいのか判らないのか、エディアルドとニナの顔をきょろきょろと交互に見ている。
『エドぉ…?』
「気にするな。今まで通りでかまわん。ニナも、これに一々目くじらを立てるな。美人が台無しだぞ」
「エディアルド様!」
「まあまあ。ニナ殿、少し落ち着きましょう」
からかわれて益々憤るニナに、収拾がつかなくなると判断したマティアスが間に入って宥める。
「相手がヒトだと考えるから腹が立つのですよ。ヒトであるなら殿下の立場を考えれば、彼女の話し方は不敬に当たりましょう。ですが、人外のもの――そうですね、例えるなら精霊の、しかも子供だとしたらどうですか?種の違う彼等に、それでも敬えと強要できますか?」
「…人外、と仰いますか」
ヒトではないモノ。
解っていたつもりだった。確かに、ぬいぐるみが動いていた時は、ニナにその中身が人であるという意識は無かったから。
「ええ。彼女の姿を見ておわかりでしょう?ヒトの肉体を持たない、ぬいぐるみの身体を借りている存在です。なまじ彼女の声が聴こえるようになって、自分たちと同じ言葉で話した。そのせいで貴女は彼女をヒトの括りに入れてしまった。だから腹が立った。違いますか?」
「…、そう、そうかもしれません」
畳みかけるようなマティアスの言葉がすとん、と腑に落ちて、知らずニナは頷いていた。
落ち着いて来たニナにほっとして、マティアスは苦笑を浮かべる。
「まあ、あの状態の彼女をヒトとして扱える貴女の方が、ある意味凄いとは思いますが。そんな訳ですから少しだけ意識を変えてみましょう。彼女は子供の精霊のようなもの、ヒトの常識は当て嵌められません。そう思えば、多少突飛のない行動をしても仕方がないような気がしませんか?」
結局のところ、問題なのはニナの意識だけだ。
侍女という立場上、本来口出しせず控えていなければならないのに、分を超えてこの場を乱した彼女を頭ごなしに黙らせても、納得しない限りまた同じことになる。
だからマティアスは間に入り、ニナと話をした。
そして、そのことが解らない程ニナは愚かではなかった。
「……解りました。取り乱して御見苦しい真似を致しました。申し訳ありません」
素直に頭を下げたニナに、エディアルドもマティアスも苦笑している。
「気にしないのが一番なのですよ、こういうのはね」
経験上なのか、片眼を瞑って軽く言うマティアスにニナは瞬き、ほんの少しの呆れを滲ませて笑みを浮かべた。
「神官殿は御口が上手くていらっしゃる」
「おや、そうですか?」
「伊達に神官職にはついていないということか」
けろりとしているマティアスを、こちらは本当に呆れながら眺め、エディアルドがニナの言葉に同意する。神官と言うのは口が上手くなくては成り立たない職だからだ。何せ、様々な場面で民衆を納得させなければいけないからだ。
マティアスの神官らしい面に感心していたエディアルドの気を引くように、そろそろと傍に戻ってきたくまが袖を引く。
『…ねえねえ、エド。』
こそこそと幾分小さな声なのは、ニナを気にしてのことだろう。
「どうした」
『…ニナ、さん、が怖くなくなったのは嬉しいんだけど…』
「うん?」
『あのね?何となくなんだけど…』
言い難そうに躊躇うくまに首を傾げ、何を言うのかと急かさず待っていたら。
『何となく、アタシがお馬鹿だって言われてるような気がするのは、気のせいかなぁ…?』
「……」
それは気のせいじゃないぞ、くま。




