28話 【楽しみは先に取っておきます。】
茶飲み話、と言うのだろうか。
夜警以外殆ど寝静まっている時刻に、エディアルドとぬいぐるみに憑いた少女は眠気が訪れないのを理由に他愛のない会話を交わしていた。
部屋の外に出ることの少ないエディアルドよりも、ぼんやりとながらも今まで外をうろうろしていた少女の方が話題は多い。
少女は興味のある事には近付き、興味の薄いものは眺めているだけだった為か妙に知識に偏りがある。教えてやれば覚えるのだが、それまでの表現がとても抽象的だった。
どうやら、傍に居る人の会話を聴いて物の名前や話し方を覚えたらしい。そのせいか動物の名前を種の名前ではなくその個体の呼び名で呼んだり、形状だけで話したりする。なので、うっかり聞き流すと何の話をしているのか分からなくなってしまう。おかげで少女の足りない知識を補ってやりながら話を聞くと言う、面倒なことになっていた。
『それでね、馬さんのお家の裏にはね、おなかのおっきな猫さんが居るんだよ。馬のご飯あげてるおじさんがもうすぐ産まれるって言ってたんだぁ。どうなったかな~?』
「猫?厩に棲んでいるのか?」
『厩?』
「馬の世話をしている家だ。飼っている場所とも言う」
『そうなのか~。ええっと、厩に棲んでいるんじゃなくてね、裏に居るんだよ~』
「つまり野良猫ということか?」
『のらねこ?』
「お前のように住む場所が定まらず、ふらふらとしている猫のことだ」
『猫さんはふらふらしてないよ?厩の裏に住んでるもん』
「それは勝手に棲み着いたと言う」
つまりは野良猫ということだが、くまは首を傾げている。納得できないらしい。
『う~ん?おじさんはネズミ捕ってくれるからってご飯あげてるけど?』
「飼ってるのか…」
半野良だ、と認識を変え、エディアルドは少し眉を顰める。ネズミを捕るから住み着くのを黙認しているのに、餌をやっていたら肝心のネズミを捕らなくなるのではないかと思ったのだ。
『ご飯あげてると飼ってるってこと?』
「そういうことになるんじゃないか?」
『たまににょろにょろも獲ってるけど。ごちそうだって』
「…にょろ…」
『ぴかぴかの虫さんも』
話を聞く限り身重らしいが、なかなか逞しい猫のようだ。
「狩りの上手な猫なのだな…。まあいい。で、その猫が気になるのか?」
ぼんやりしていた割にはその猫について随分と詳しい。きっと気に入っているのだろうと思えば案の定、くまはこくこくと頷いている。
『猫さんのちっちゃい子はまだ見たことないんだよ~。犬さんはあるんだけどね!だから見てみたかったんだけど』
どうやら孕んでいる猫が気になると言うよりは、産まれてくる仔猫が見たいらしい。にしても、『見てみたかった』とはおかしな言い方だな、とエディアルドは首を傾げる。
「行けばいいのではないか?」
『うん?』
「気になるなら、そのくまから出て見に行けばいい、と思うのだが」
『う~ん…』
今はぬいぐるみに憑いているとはいえ、元々は実体の無い存在だ。ぬいぐるみからの出入りは自在のようだし、物質に囚われないなら何処へだって行けるだろう。今までだってそうやって過ごして来たと言っていたのだ。
そう思って言ったエディアルドの言葉に、くまは困ったように言葉を濁した。
「どうかしたか?」
『…出られないんだ~』
「は?」
一瞬、くまが言った『出られない』が何を意味するのか解らず、思わず問い返してしまったエディアルドだった。
思い浮かんだのは『何故?』という言葉だけだった。
それはくまに憑いた少女にしても同じだった。
『昨日、この部屋に入ってからね。ここから出られないんだよ~。どうしてかな?』
「…それはくまから出ても、ということか?」
『うん、そう』
「原因は?」
眉を顰めたまま問い掛けるエディアルドに、くまは首を横に振って答える。
『わかんない。アタシね、エドが寝ちゃってひまだったから外に行こうと思ったんだけど、窓からも壁からも出ていけなかったんだ~。今まではすーって通り抜けられたのに、変だよね~?』
「…扉が開いた時は?」
『試してないからわかんない。』
「出て行こうとは思わなかったのか?」
昼の間エディアルドの部屋の扉は何度も開いている。
くまに憑いた少女もそれは知っている筈だった。出られないと判った時点で試してみるものではないのだろうか。
それなのにくまは言われた意味が解らないと言うようにこてん、と首を傾げている。
『どうして?』
「閉じ込められるのは嫌だろう?」
自分ならば嫌だ、とエディアルドは思う。
半ば、軟禁されているような現状だから余計にそう思う。
自分は病の為に仕方がないと諦めている。しかし、少女は違う。今までずっと自由気儘に過ごしていたのに、突然閉じ込められては嬉しい筈がない。
そう思っていたのに。
返ってきた答えは意外にも嬉しそうに告げられた。
『誰も居なかったら嫌かなぁ。でもね、エドが居たからいいの』
「…そういうものか?」
『うん』
記憶がないせいか。或いは今まで人と関わらなかったからか。
だからこその、駆け引きのない、本音だと判る素直な言葉。
媚を含まない、飾らない。
そんなもの、実体のない少女には必要ないものだから。
独りで、きっと今まで『寂しい』事にも気付かなかった――気付けなかったから、生まれた言葉だと、エディアルドは正体の判らないままの少女に憐憫を覚える。
意識せず独りにはなりたくないと言っている少女に、自分は何がしてやれるのか。
自身の身体一つ思うままにならない、自分に。
突き詰めると、数年前に味わって諦めることでようやく何処かに押し込めた、どうしようもない暗い感情を揺り起こしてしまいそうだった。
だから、エディアルドは出来ない事を考える事を止めた。
今の自分に出来ること。
きっと、それはとても簡単なことだ。
他でもない、当の少女が言っているのだから。態々、口にすることはしないけれど。
揺らいだ感情を少女に気付かせないように、何気ない会話を続ける。
「私と一緒だとなかなか外には出られないぞ?」
『いいよ~』
事も無げに即答する少女にエディアルドは苦笑する。
「だが、猫は見に行きたいんだろう?」
『ちっちゃい子は見たい!』
素直に弾む声に笑みを誘われる。
猫の仔というのはどの位で産まれるのか、後で誰かに訊ねればいいだろう。
「産まれたら見に行くか…?」
『ホント!?エドも見に行く!?』
「そうだな。行けたらな」
いつかの約束はしない方がいい。
それでも、一緒に行けるかもしれないことに喜んでいることが解るから。
「一緒に見に行こうか」
ささやかな約束を交わそうか。




