27話 【月のお茶】
茶器を温めて、ゆったりとした淀みない手順で淹れられるお茶は香りがほのかに甘く、爽やかに鼻腔を擽る。
『エド、エド。いい匂いね!昨日のお茶とも、お昼のとも違う匂いがするよ』
「…判るのか」
『なんとなく~?』
器用なものだと思いながらエディアルドは『いったいどこで匂いを嗅ぎとっているのか』という、素朴な疑問に行き当たる。じっとぬいぐるみのくまを見つめてみるが、見た目は何の変哲もないぬいぐるみである。鼻が本物のように機能しているとはとても思えない。
視線を感じたのか、くまは居心地悪そうに身動ぎをしてエディアルドを見つめ返す。
『な、なに~?』
「いや。いったい何処で匂いを嗅いでいるのかと思ってな…」
『おお!?…どこだろうね?』
「だから私に訊かれてもな…。むしろ私の方が訊いているんだが…、まあ、いい」
透き通るような白磁のカップにポットのお茶を注ぎ入れると、月を溶かし込んだような色が満たされていく。
気分が安らぐようにと幾つかの香草を組み合わせたお茶は、どちらかと言えば味よりも香りを楽しむものでお茶自体の味はほとんど無い。けれど、眠れない夜には相応しいと言える。
『…きれい。お月さまみたいね』
「そうだな。こんな夜には丁度いいか」
ゆらゆらと揺れる水面が、まるで水に映る月のようだった。
目の前にカップを置かれ飲むよう勧められたけれど、何だか飲むのがもったいなくてくまは湯気の立つお茶をじっと眺めていた。
『エドは夜にお茶を飲むのが好きなの?』
この部屋には茶器もお湯も茶葉も常備してある。茶葉に至っては幾つも種類があるようだった。
そういえば、昨夜もお茶を淹れてもらったな、とくまはぽつりと問いを投げかけていた。
何気なく訊かれ、エディアルドは目を瞬かせる。
「好き?…そんな風に考えたことは無かったな。…眠れない時に人を起こすのが面倒でな。暇潰しに淹れるようになっただけのことだ」
『ふうん…でも、エドのお茶は美味しいよー。お昼に女の人が淹れたお茶も美味しかったけど、エドが淹れたお茶の方が好き~』
美味しい、と言われてエディアルドは『おや?』と思う。昼はわからないと言っていたのに美味しいとはどういうことだろう。味覚とは違う何かで判断しているのか、それとも本当に味が解るようになったのか。
何にしても不可解な存在だということだけは間違いない。
「…そうか。変わらないと思うが」
自分で淹れたお茶を一口含んでエディアルドは首を傾げる。
つられたようにくまも首を傾げた。
『んー?なんでかな?飲んだ時にね、いっぱいほわほわするよ?』
「ほわほわ…」
何とも抽象的な表現だ。
『なんかね、気持ちいい?…あ、ちょっと違う?気分がいい?んーっと、…むずかしいね!』
「まあ、何となく言いたいことはわかった…気がする」
『そう?』
問い返す声が心なしか嬉しそうに聴こえるのは、気のせいではなさそうだ。
お茶を飲みながら、エディアルドは飽かずにカップの中を覗き込むくまに苦笑する。
「くま。せっかくの茶が冷めてしまうぞ」
『うん、そうなんだけどね。きれいで飲むのがもったいなくって』
「また淹れればいい」
『そっか。そうだね。じゃあ、いただきま~す』
だいぶぬるくなったであろうカップの上に、くまがもこもこの手を翳す。すると、カップの中身は何処かへ消えてしまう。
くまの手が吸い込む訳でも湯気となって蒸発するのでもない。ふわり、とただ消えてしまうのだ。
消えた後、くまの身体がどこか濡れているわけでもない。
「…どこに消えているんだろうな」
『エド、エド!』
エディアルドがお茶の行方を考えていると、くまが驚いたように手をパタパタさせていた。
「どうした?」
『変だよ!甘い匂いがしてるのに甘くないっ』
「…甘いかどうかが判るとは思わなかったな…。気に入らなかったか?」
『美味しかったよ!』
「美味かったのならいいのではないか…?」
『でも、なんかずれてる気がして変~!』
「…」
どうやら想像していたものと違うのが納得出来ないらしい。難儀なくまだ、とエディアルドは軽く溜息を落とす。
茶よりももっと不可解なものが目の前に居るというのに。
ここは呆れてもいいのではないだろうか。
「――お前の方がかなり変だと思うぞ」
『おおぅ!?言い返せません!?』
「言い返さなくていいから…もう一杯飲むか?」
『いただきます!』
納得出来なくても飲むのには問題がないようだ。
もう一度丁寧に淹れたお茶を注いでやると、くまはどこか楽しそうにお茶を覗き込む。
『エド。お茶がきれいね。お月さまの光がきらきらしてるよ』
「そうだな」
昨夜と同じ、明かりを点けない室内には月の光だけが満ちている。
窓から差し込む光はカップの水面に反射して淡く揺らめいていた。
薄明かりの中、カップのお茶を見つめていたくまが顔を上げた。
『エド』
「何だ?」
『ありがと』
「うん?」
唐突に呟かれた言葉が何に対しての礼なのか判らず、エディアルドは首を傾げる。
『エドがね、一緒に居てくれて、アタシは楽しい。だから、ありがとう、なの!』
「…そうか」
照れたように強い口調で言った後、月光のようなお茶を飲み干したくまを眺め、エディアルドは微笑む。
何の含みもなく柔らかく浮かんだ笑みは、とても――とても、久しぶりのものだった。
だんだん文字数が増えてる不思議。




