18話 【適温を目指しましょう。】
退屈。
誰にも見えない少女は出ることの出来ない部屋の中で、眠るエディアルドの横顔を眺めながらそう思った。
朝からばたばたと女の人や男の人が部屋に出入りし、エディアルドの世話を焼く。
夜中に寒いと言っていた彼は今は熱が高く熱いようで頬が赤く、息がちょっと苦しそうだ。触れることは出来ない。でも額に置かれた布が替えられるとほっと気持ち良さそうに息を吐くのがわかった。
(エドは熱い。でも布は冷たい…?冷たいのが気持ちいいってこと?)
ぬいぐるみに入っている時は温めることが出来た。それはぬいぐるみ自体を温めてみたからだ。エディアルドの身体を直接冷やしたらどうなるだろう?と、少女は指先で身体に触れてみようとするがやはりすり抜けてしまう。触れずに冷やす方法など、少女は知らない。かと言って、このままエディアルドの熱が下がらず具合が悪いままだと話すこともできない。一度目が醒めたのに、水を飲んだらまたすぐに眠ってしまったのだ。
どうしたらいい?
どうすれば冷やすことができる?
考えているうちにぬいぐるみが隣へ運ばれ、しばらくしたら女の人が抱いて出て行った。
一緒に行こうとは思わなかった。
だって、少女を視てくれて話が出来る人は此処に居る。
もっと話してみたい。
きっと、消えてしまうまでの時間は少ないから。
初めての会話は楽しかった。
いきなり斬り掛られて怖かったけれど、エディアルドはぬいぐるみでしかない少女にお茶を出してくれた。
包帯も巻いてくれた。
馬鹿にせずに話を聞いてくれて、少女のことを信じてくれた。
嬉しかった。
もっと、もっと、お話ししたい。
早く元気になって欲しい。
どうしようどうしようと寝台の周りをぐるぐると回っていた少女だったが、ふと額に置かれた布を見つめぽん!っと手を打った。
(あれなら触れる気がする!)
要はぬいぐるみと同じだ、と少女は気付く。
幾分…いや、かなりぬいぐるみよりは小さいが、あの布に憑いて冷やせばいいのではないだろうか、と。
ただ問題が一つ。
(どのくらい冷やせばいいのかなあ?)
温める時は温かいお茶を想像すればよかった。淹れてもらったお茶くらい、と思っていたから迷わなかったけれど、冷やすのはどうすればいいのだろうか?
と、首を傾げる少女だが、実を言えば出されたお茶が話している間に幾らか温度が下がっていたから良かったものの、もし出された時そのままの温度だったら危険だったという事には気付いていない。その位ものを知らないのである。つまりは限度を知らない。判らない。
体験もあるかどうか判らない、記憶が無いというのは実に厄介なことなのだ。
判らない少女は少女なりに御手本となるものを探そうと辺りを見回し、額に乗せる為の布を取り替えては絞っている器――盥の中を覗き込んだ。中には何やら透明な塊がぷかぷかと浮かんでいる。
(これ、冷たい?このくらい冷たければいいのかな?)
盥の中の氷は水を冷やす為の物で、水の温度は氷程は低くないと少女は気付かなかった。
だからエディアルドの額に置かれた布に入り込むと、力一杯、気合いを入れて、温度を下げた。
――直後。
「――っ!」
額に痛みを感じたエディアルドが顔を顰め目を醒まし、痛みの発生源である布を額から剥がした。そう、剥がしたのだ。手にした布はあろうことかパリパリと固まっていた。
『あ、目が醒めた、エド?』
「…」
聴こえた声は昨夜話した自称幽霊の少女のもので、しかも何故か手にした布から気配がする。何をしているんだ、この幽霊は、と思ってしまっても仕方がないとエディアルドは胡乱な目付きで明らかに不自然に凍っている布を睨む。
「お前は…何をしている?」
『えっと、冷やすと気持ち良さそうだったから?』
のほほん、とした声に悪気は全く感じられない。だが、しかし。
「冷やすにも限度があるわ!お前は私の頭を凍らせるつもりか…!」
『えぇ!?これじゃ駄目だった!?』
「気持ち良いを通り越してむしろ痛いぞ!?」
『そ、そうなの!?』
動揺したのかパリパリと軽い音を立てながら手の中の布が蠢く。はっきり言って不気味である。
はぁ、と溜息を吐いてエディアルドは赤くなっているであろう額を空いている手で撫でる。というか、布を持っている手もそろそろ痛い。まあ、持っている必要もないだろうと、ぺっと放り投げる。力を込めたわけではないから寝台の上に落ちたか床に落ちたかは分からない。
「とにかく、凍らせるんじゃない。冷やすつもりならせめて水より少し冷たいくらいにしておけ」
『みず、みず…』
「エディアルド様?」
目を醒ました途端、何やらぶつぶつ呟いている主に、傍についていたニナが不思議そうに声をかけてくる。
「ああ、ニナ。…すまないがその辺に転がってる布切れを水の中に放りこんでやってくれ」
「…はい?」
『うおぅ!?』
ニナが視線を巡らすと、寝台の上にエディアルドの額の上に載せていた筈の布が転がっている。一瞬ピクリと動いたような気がするのは気のせいだろう。言われるままに盥へと入れる為に手を伸ばし――そのまま、固まった。
「エディアルド様?」
「何だ」
「気のせいだとは思うのですが」
『…』
「うん?」
「何故この布は凍っているのでしょうか?」
「何でだろうな?」
『あわわ』
じっと睨むようにニナに見下ろされ、身動きすることも憚られ、少女はおろおろとどうしようと実体があるなら冷や汗を流したい気分だった。
「…」
『…』
「…ニナ」
「…畏まりまして」
『うわぁ~ん、すいません、ごめんなさい、ぶたないで~~』
ぬいぐるみの時ニナに殴り飛ばされたのは記憶に新しい。実害は無いと解っていても気分はよろしくない。
聴こえないとすっぱり忘れたまま、布の中で固まった少女はニナにひたすら謝り続けていた。




