花冠の騎士
鼻持ちならない嫌な男というやつは存在する。
「この私が婚約してやろうというのだ。ありがたく思いたまえ」
このバカ者がまさにそういう男だった。
顔の良さと身分の良さを鼻にかけ、尊大な態度でこのような愚かなことをはばからずに放言してくる。
私は見たくもなかった馬上槍試合で、この男を応援する羽目になったことに、心底腹が立っていた。
§§§
高位貴族の娘に生まれるということは、義務としきたりと家の都合に一生を捧げるということである。
だから、歴史ある魔導王国の由緒正しい筆頭公爵家の家系、それも直系の正妻の娘などというものに生まれてしまった私は、本来なら小指の先ほどの自由もない身のはずだった。
だが、もう十六歳になるというのに、諸般の事情により公の社交の場にほとんど出る必要がなく、王立学院の研究室に籠って思う存分、好きなことに熱中できていた私は、久々の公務にうんざりしていた。
「ねぇ、リラ。熱が出たことにして帰っちゃダメかしら? 馬上槍試合なんて興味ないわ」
「いけません。ヴィクトリア様がお帰りになられては、上覧試合の箔が付きません」
侍女にぴしゃりと言われた私は、やむなくいつもの黒いローブではなく若草色のドレスを着て、令嬢らしいつば広の帽子を被って、大人しく馬車に揺られた。
命じられたのは田舎貴族や下級貴族の若者の多く出る武術大会の観覧だった。開催場所が郊外で一日仕事だが、やることはなく座って試合を見ていればよいだけの簡単なお仕事である。若い娘が行くと喜ばれるが、貴族令嬢にとっては、日差しも風も当たる屋外で長時間過ごす必要のある嫌な行事だ。
今回は、私の義母姉妹が全員「あいにく都合が悪くて」と断った結果、私にお鉢が回ってきたらしい。
馬上槍試合の会場は王都の郊外にある公領の森の一角だった。さほど大きくない湖と、よく手入れされた森の間に広がる、庭園のような草地には、色とりどりの天幕が張られている。
私はメイン会場で行われる試合を観るだけでいいから日帰りだが、競技会自体は数日にわたって開かれていて、色々な形式の試合が行われているらしい。
興味と関心が魔導理論や博物学に偏っていて、馬上槍試合どころか馬にも鎧にもさっぱり知見がなかった私は、試合が始まるまでの間、侍女を連れて会場を散策しながら、物珍しい光景をそれなりに楽しんでいた。
中小貴族が多いために、張られた天幕の質も様々だ。安物、借り物、竿に布を掛けただけのようなありあわせ、中には蔵の奥から引っ張り出してきた骨董のようなものまである。
元は青かったんだろうなという感じの骨董天幕の前を通った時、中から「甲冑がカビ臭い」という悲痛な叫び声が聞こえてきて、私とリラはちょっと笑って足を止めてしまった。
漏れ聞こえてくる主従のものらしき会話によると、鎧も兜ともちゃんと磨いたのに、鎧櫃の中敷きがカビ臭くて臭いが移ったらしい。ついでに脱いだ兜を一時的に置いておく兜掛けのクッションまでカビ臭くて、昨日被って使った兜が、一晩経ったら臭くて被れない悲惨な状態になっていたというくだりで、私とリラは我慢しきれなくなり、口元を押さえて小走りにその場を離れた。
振り返ると、骨董が似合う感じの従者が、これまた骨董品っぽい古臭い外観の無骨な鎧と兜を持って天幕から出てきていた。天日干しをして臭いを飛ばすのだろうか。
「試合に間に合うといいわね。どこの騎士かしら」
「あの紋章はたしかバロールとかいう北の辺境ですね。ガラ大山脈の方です」
「そんなに遠いとこからも来ているの?」
「戦がないので、戦働きの代わりにこういうところで名を上げて重用してもらおうというのですよ」
土地を持たない騎士や、土地があっても大した収入がない貧乏貴族にとっては、こういう場での実績によるアピールや賞金は、とても大切なのだそうだ。どんな身分でも悩みというのはあるものだ。
「大変ね」
私はあの可哀想な骨董天幕の騎士が臭いに悩まされずに実力を発揮できることをこっそり祈った。
§§§
最悪な男に出くわしたのは、金の紋章が入った紅白の縞模様の派手な天幕の前だった。
「どうした。相変わらず取り澄ました顔をして。社交の挨拶すらまともにできぬとは呆れ果てたものだな。こちらを向いて愛想笑いの一つもして媚びてみろ」
セイルーン殿下。傍系の後妻の連れ子か何だかで、王家の末席を汚している一応今のところは王子の端っこ相当の男で……不本意ながら私の婚約者候補らしい。
魔導王の座が空位の今、その座を狙うには彼自身の血筋も魔力も心もとないという自覚があるから、私との結婚を思いついたのであろうカスだ。それなのに、このような態度をとってくるあたりが、救い難く頭が悪い。
大きな態度で偉そうにして相手を貶める発言を繰り返せば、相手が自分を格上だと思い込むはずだという行動指針を確立した此奴の人生は見下げ果てたものだし、そんなものに組み込まれるのは願い下げである。
私はいつも通り冷ややかな態度で一切合切の挑発を無視した。
「生意気な小娘め」
セイルーン殿下はやや鼻白んだが、それでもぺらぺらと気持ちよく自分上げと私下げを畳みかけてきた。なにやらゴテゴテと装飾の付いた派手な金色の鎧を着ているところを見ると、試合に参加するのだろう。この程度の格の会に、末席とはいえ王家の者が参加するなどというのはあまりないことなのだが、そういう先例に倣う良識を持っている者は彼の周囲にはいないようだ。
「今日は俺が勝つところを応援させてやるから、褒めたたえる機会を与えられたことに感謝せよ」
公爵家には根回し済みか。
王宮の上流貴族の社交の場にはほぼ出ない私との接点を捏造して「こういうところで偶然こんなことがありましてね」と聞こえのいいエピソードにしておこうという腹だろう。うちの父か義母か、はたまた殿下の側近の誰かか、誰の思惑かは知らないが悪趣味なことだ。
圧倒的な格下が多く集まる大会で忖度してもらって圧勝し、箔をつける気なのかもしれない。
もしかしたら殿下としては「俺の格好良いところを見たら惚れるに決まっている」とうぬぼれている可能性が否定しきれないあたりが、つくづく厭らしくて腹が立つ。
今日の試合で活躍する姿を描かせてるために画家を呼んだという話が出たあたりで、私は立ち眩みがしたからと、その場を離れた。
私はくさくさした気持ちで観覧台の貴賓席に着いた。
ここに来るまでは、座るだけ座って今日一日は魔導術式のことでも考えて過ごそうと思っていたのだが、あまりにも気持ちがむしゃくしゃしすぎていて、精緻な術式の計算に集中できなかった。
仕方がないので、私は目の前で行われる槍試合を観ることにした。
私のいる会場で行われているのは、単純な勝負だった。大きなランスを抱えた馬上の騎士が、直線コースの両端からそれぞれ馬を駆けさせて、すれ違いざまに相手をランスで突くという試合だ。コースは真ん中を低い板で区切られているので、左右の馬が正面衝突をすることはない。人死にはもちろん大怪我をさせる気もない勝負のようだ。
序盤の勝負だからだろうか、出場者の顔ぶれは、地方貴族の次男以降や野良騎士の中ではややマシな連中……という感じである。
見栄えも技術も今一つで、馳せ違ったタイミングで互いのランスを弾いただけで終わることもあった。
正直、あまり面白くないな……と思ったところで、私は見覚えのある姿を見つけた。
「ヴィクトリア様、あれ、先ほどの」
「ふふ。そうね」
私は骨董騎士がコースの向こうの端に出てきたのを見て微笑んだ。兜は無事にかぶれたらしい。
葦毛の若い立派な馬に乗った騎士は、渡されたランスを軽々と持って構えた。
「強いんですかねぇ?」
「……どうかしら」
天日干しされていた時には、なんとも古臭いデザインの植木鉢のような鎧に見えたのに、その騎士はとても力強く見えた。
試合開始の旗が振られ、長いコースの両端から騎馬が駆け始めた。
なぜだか目が引き付けられる。葦毛の駿馬の蹄の音が自分の心臓の音のように思われた。
骨董鎧の騎士のランスは、過たず相手を突き、相手はもんどりうって馬から落ちた。
鮮やかだった。
勝負は勝ち抜き戦で、骨董騎士は順調に勝ち進んだ。
私は骨董騎士が出てくるたびにワクワクと期待し、彼が勝利するたびに喝采した。
彼はほれぼれするほど強かった。
全身鎧に身を包んだ相手の騎士達は大きな音を立てて落馬し、ランスはたびたび派手に砕け散った。
試合用のランスはわざと砕けやすい 脆いものが用意されているのだと、近くにいた事情通が教えてくれた。なるほど、あれが砕けず硬かったら、肩や胸を突かれた騎士達は無事では済まないだろう。
消耗が激しいのと、硬さや長さで不公平を出さないようにするためとで、この大会ではランスだけは主催者が用意しているとのことだった。遠方から参加する彼のような貧乏貴族にとっては、ありがたいルールなのは間違いない。
休憩時間に軽い食事を済ませた私は、リラと一緒に例の騎士の様子を見に骨董天幕に行ってみた。
「ふふ。また干してある」
遠目にもわかる不格好な兜と鎧が、天日干しされている。こうしてみるとまったく強そうには見えないのが不思議だ。
試合の時にはあれほど格好良いのに。
鎧の側に二人ほど身なりの良い使用人がいたので、貧乏貴族でもそういうところには金をかけるのかと思ったら、その使用人達は鎧に何やら施したあと、そそくさとその場を立ち去った。
「胡散臭い連中ね」
「セイルーン殿下に同行していた者たちです」
「そう?」
「相変わらず人の顔を覚えることをなさらない方ですね」
「リラの記憶力がいいのよ」
私は鎧の近くまで行って、先ほどの者たちが何をしていたのか確認した。
「あら、やだ」
鎧の胸の部分に、べっとりと魔導的な"印"が付けられている。
肉眼で見る分には一見なんともないが、魔導師の目で見ると明らかだ。これは魔導術式で対象指定に利用できる印で間違いない。先ほどの者達が殿下の配下だとしたら、この先あたりそうな強い対戦相手に小細工とは、随分と姑息なことをする。……やりかねなくて納得感しかないのが嘆かわしい。
私は眉をひそめた。
「汚いわ」
「えーっと、すみません。古いものなので……」
声のした方に視線を上げると、骨董天幕の中から人が出てきた。
厚手だが継ぎのあたった生成り地の下着のような変な服を着ている。足元はなんと裸足だ。歳は私より二つ三つ上だろうか。若いが背は高く体格はいい。力仕事をする使用人だろうか。
相手は私と目が合ったとたんに、ちょっとぎょっとしたような顔をして固まった。失礼な。
「古いのはどうしようもないけれど、ついている汚れは落とせるわよ」
「う……はい……その通りです」
動揺して恐縮しているその様子がなんだか嫌で、私はますます顔をしかめた。
別に文句をつけに来たわけでもないのに、腫物を扱うような引いた態度を取られると腹が立つ。
私はハンカチを取り出した。
「きれいにしてもよいかしら」
「ええっ?! いや、そんなことは」
「大した手間じゃないわ」
私はリラに持たせていた鞄から清めの水の小瓶を出して、ハンカチを少し湿らせた。
口の中で簡単な成句を唱えてから、鎧につけられた"印"の部分にフッと息を吹きかけ、ハンカチで印を拭う。
「あの、どこのお嬢様かは存じませんが、本当にそういうことは、その……令嬢のなさることではないので」
私はぴたりと手を止めた。
自分の令嬢教育に不備があることを自覚しているので、それを言われると弱い。彼は鎧の管理係なのだろうか。だとしたら専門の仕事の領分を私に侵されたくないのもわかる。仕方がないので、私は相手にハンカチと小瓶を渡した。
「あげるわ」
それから私は鞄の中から自分用の香り袋も取り出した。解呪や浄化効果のある薬草や香木を調合した特製品である。清めの水で拭った後、これをしばらく近くに置いておけば、あの程度の魔導印は綺麗に跡形もなくなるだろう。
「これもあげる。すこしは臭いもマシになるわよ」
「うう……それはその……ありがとうございます」
ひどくショックを受けた様子で「そんなに臭いのか?」とちょっと涙目になっている相手が可哀想になって、私は少し元気づけてあげたくなった。
「この鎧、槍試合で戦っているところはかっこよくて好きよ。この後も頑張って」
渡された小瓶とハンカチと香り袋をぎゅっと握りしめた相手の頬がみるみる赤くなる。
私もちょっと動揺がうつってしまったようで、どうにも落ち着かなかったから、「では」とかなんとか適当に挨拶してその場を離れた。
「ヴィクトリア様はもう少し話術や社交をお勉強なさった方がよろしいかと」
「わかっているわよ」
「お可哀想で見ていられませんでしたわ」
「哀れなものを見る眼付きで私を見ないでちょうだい」
私は帽子のつばを掴んでぎゅっと引き下ろした。
気恥ずかしさでグルグル堂々巡りする反省と、なぜかソワソワする高揚感に身を任せ、どこかふわふわした気持ちのまま私は観覧席に戻った。
身分の低い出場者による予選が終わったトーナメントは、いよいよ本戦といえる試合に入った。セイルーン殿下も予選免除でここからの登場だ。
ピカピカの鎧に派手な赤マントで登場した殿下は見栄えは良かった。
「マントは無意味だけれど、見た目はいいわね。ない格が少しはあるように見えてるわ」
「ヴィクトリア様。残念ながら仮にも一応婚約者候補の一人である殿下のお姿を見て、感想がそれというのは……体裁上、褒めておくつもりならもう少し言い方を考えてください」
「ああいう構造の鎧は可動域が広くて動きやすそうね」
「ヴィクトリア様……」
「なによう」
社交的話術に関しては、今日戻ったら適切な教師を手配して集中的に技術を学習しよう。このまま話し相手がリラと魔導師や学者だけの生活をしていると、本格的に致命的な弱点になりそうだ。それはよろしくない。
いつもの冷静な頭が戻ったところで、殿下の試合を観る。
開始の合図で馬が駆け出したときにはふらついていた殿下のランスの槍先は、双方の馬がすれ違うときには、ピタリと相手の胸元に狙いを定めて、吸い込まれるように過たず敵を突いた。
使ってる。
魔導師の目で見れば一目瞭然のイカサマだった。
「勝てそうにない相手に一度だけというわけではなくて、盤石の体勢で勝ちに行くつもりなのね」
喝采があがって殿下に勝ちの判定が出ているところを見ると、大会関係者に魔力経路と発動術式の解析をリアルタイムで視れるレベルの魔導師はいないようだ。インチキは回数を重ねるほどバレるリスクが増大する。安心してこんな序盤からやっているということは、運営側に魔導師がいたとしても買収ぐらいはしているのだろう。観客側にも高位魔導師で馬上槍試合を観るのが趣味という者はいなさそうだ。
その程度は、いくらセイルーン殿下と言えども想定しているだろう。あれで殿下は政治的裏工作の臭覚は鈍くない。(鈍かったらそもそもあの生まれで王族は名乗れていない)
それにしても、私が今日、観覧席にいるというのは殿下の思惑だというのに、私の目の前であんなちゃちな小細工をするとは何を考えているのだろう?
私は筋の通りそうな政治的工作や陰謀論の仮説を立てられるか検討してみたが、すぐにあきらめた。
私に今朝のような態度をとった挙句に、わざと裏で小細工をしているところを見せることに、殿下にメリットがある意味を持たせるのであれば、もういくつか事前に私の心証や行動を調整するような前提を置いておく必要がある。
たしかに私はいかさまを見つけたとしても、殿下をすぐには糾弾しにくい立場だ。筆頭公爵家は王家との間にいらぬ軋轢を生まないほうが良いし、私から見て殿下は仮にも一応婚約者候補の一人である。公式の場で審判の判定に女子供の身で口を挟んでまで非難をするのは、公爵家からの王家への侮辱と問題を拡大されかねない。
だからと言って、私が「インチキだ!」と声を上げるリスクを無視してよいとは思えない。自分でいうのもなんだが、普通、16歳の小娘はそういう政治的な云々はそれほど重要視しない。日ごろ粗略に扱っているくせに、私の政治的考察力と王家と公爵家への忠誠心にそれほど自信がある根拠はなんなのかと聞いてみたい。
そこで私はハタと気づいた。たぶん殿下もその周囲も、なんなら我が公爵家一同も、むしろ私を普通の16歳の小娘だと想定しているのだ。よく考えたら、自分がこの距離でも魔力を視られる高位魔導師だとは私は身内に明かしていない。お父様辺りは報告を受けている可能性があるが、セイルーン殿下は知らないのだろう。
"俺が勝つところを応援させてやる"などと言っていたのは裏読み不要で、小細工して絶対勝つから、何も知らずにキャッキャとはしゃいで褒め称えて俺をいい気分にさせろというだけの意味で、私に期待されている役割はその程度のことなのだろう。私は若い女で、それだけの意味しか持たない。
頭が悪すぎて吐き気がする。
げんなりした私は、試合を観ることにした。
ちょうどいいことに、その次の試合はあの骨董騎士の出番だった。
スパーン!
胸がスカッとする勝ちっぷりだった。
心なしか古い鎧が午前中よりもきれいになっている気がする。午後の日差しに照らされて鈍色の鎧はキラキラと輝いていた。
「リラ、お願いがあるの」
「はい。ヴィクトリア様」
リラが中座したあと、私は試合の続きを楽しんだ。
骨董騎士もセイルーン殿下も順調に勝ち進み、ついに勝ち抜き戦の準決勝で戦うことになった。
赤い柱のゲートに金色の鎧のセイルーン殿下が現れると、会場から大きな歓声が上がった。殿下は顔が良いからだろうか、男の観客の方が多い会場なのにもかかわらず歓声は女性の声が多い気がする。
青い柱のゲートに骨董鎧の騎士が現れると、先ほどよりは控えめで、こちらは男ばかりの野太い声援が飛んだ。予選から圧倒的実力で勝ち上がってきたので、身分はともかく応援する者はそれなりにいるらしい。
ランスを構えた二人がスタート位置に着いた頃に、リラが戻ってきた。
チラリと視線を送った私に、リラは身振りで、"思った通り"、"首尾は上々"とそっと伝え、侍女席に着いた。
ラッパが高らかに鳴らされ、旗が翻る。
赤のゲートからスタートしたセイルーン殿下の赤茶色の鹿毛の馬は、拍車を当てられ、ややいきり気味に首を振って一度嘶いてから、土を蹴立てて走路を走り始めた。
一方、向かいの青のゲートからスタートした骨董騎士の葦毛の馬は、ひときわ大きな体躯に見合った重い馬蹄の音を響かせて、これまでのどの試合でもそうだったように、まっすぐに速度を上げた。
赤いランスがブンと大きく振られて、骨董騎士の鎧に向けられる。
しかし二人の騎士の最短距離を結ぶ軌道には青いランスがすでに突き出されていた。
強引に上から押し込むように突き出された赤いランスには、魔力による強化が施されていて、逆に青いランスには壊れやすくなるヒビが通常よりも深く入れられているのが、魔導で強化された私の視力では視てとれる。
二つのランスが擦れあうように交差した瞬間、赤いランスに沿って魔導師以外には見えない魔導術式の経路が展開された。
呪い属性の破壊術式だ。
互いのランスの切っ先が相手の胸部装甲に届き……ランスが木っ端微塵に砕ける音が会場に響き渡った。
赤いマントが翻り、金色の鎧が馬からすっ飛ばされて、空中できれいに二回転した。
恐るべし、呪い返しの反動作用。
青いランスを持った骨董騎士が振り返ったのと、セイルーン殿下が地に落ちたのが同時だった。
「リラ、あなた何かした?」
「いいえ、私はヴィクトリア様の指示通りにしただけですわ」
私は運営の用意したランスがすり替えられないように見てくるよう命じただけだ。
リラの語ったところによると、案の定すり替えは行われかけていて、赤いランスは試合用の壊れるランスではなく、壊れにくい戦闘用のものが準備用の棚に置かれていたそうだ。
「私はただ、うっかり間違えたものが置かれているみたいだから、試合が始まる前にこっそり正しい試合用のランスに取り換えた方がいいですよって、ここの下働きの子に教えてあげただけです」
リラは真面目な顔でそう答えた。本当に彼女はこの手のことをやらせると恐ろしく手際が良い。
もし赤いランスが殿下が用意した硬い戦闘用のもののままだったら、呪いが発動しなくても壊れていたのは青いランスだっただろう。また、赤いランスが試合用の通常品だったとしても、普通に試合をしていたら、単に青いランスに弾かれて負けるだけで、ああも派手に落馬することはなかっただろう。
殿下は小細工をやりすぎたのだ。
殿下が青いランスを確実に破壊するために発動した呪いは、骨董鎧に触れた瞬間に解呪されてしまった。正常に発動できなかった呪いは術者に跳ね返り、赤いランスを木っ端微塵に破壊して殿下を弾き飛ばした。
殿下は起き上がれないまま、救護官数人に担がれて悪態をつきながら退場した。
鳴り物入りで参加した王族のあまりに派手すぎる負けっぷりの後では、決勝はあまり盛り上がらず、骨董騎士が順当に圧勝して、本日の馬上槍試合は終わった。
人々は優勝した騎士を"バロールの荒鷲"と称えた。
今回の馬上槍試合の主催者である侯爵家の家臣から、この後の表彰式の段取りの説明を受けていると、起き上がれたらしいセイルーン殿下が従者に介助されながらやってきた。脇から追いすがっているのは、画家だろうか? 何やらもめている。
「そんな、殿下。では絵の話は……」
「そんなものは無しに決まっているだろうが! 愚か者め」
確かに、負けて宙を舞う己の姿を、金を払って絵に残すバカはいないだろう。
涙目で頭を抱える雇われ画家をしり目に、殿下はこちらにきて侯爵家の家臣を怒鳴りつけた。
「なぜ、私が怪我をしたのに中止になっておらんのだ!」
「これは殿下、ご機嫌よろしゅう?」
「よろしくなどないわ!!」
怪我人に気を遣って、いつものように無視をせずに挨拶をしたら、火に油を注いでしまった。
隣で侯爵家の家臣がおろおろしている。可哀そうなので私は代わりに現状説明をしてあげた。
「本日の試合はすべて終わりました。これから表彰式でこの浄樹の葉の冠を勝者に授与するだけです」
私は緑の葉の円冠を手に取って、ひどく顔をしかめている殿下に見せた。
浄樹は濃緑色の艶のある葉をした常緑樹で、儀礼や儀式によく使われる。魔導王国では浄樹の若枝を編んだ冠は勝者の栄誉の象徴とされて、このような式典では必ず授与される。まぁ、非常に形式的な定番行事だ。
私は今日の観覧者の中では一番家の格が高い若い令嬢であり、見栄えがいいので、優勝者に冠を被せる役をやることになっていた。
「殿下は入賞していらっしゃらないので無理にご出席なさらずとも、もうお帰りいただいて結構ですよ」
「なっ?! ……こんなもの!!」
セイルーン殿下は、突然激高して私が持っていた浄樹の葉の冠を払い落とした。
「あ」
冠は柔らかい草地に落ちた。私は春の花をつけた雑草の上から冠を拾おうとした。
殿下は私を押しのけるように身を乗り出して、若葉の冠を足蹴にして踏みにじった。
冠の葉は無残に崩れ、みずみずしい若草は殿下の硬いブーツの下で潰れた。……そして殿下は草の汁に足を滑らせたところを、半端に従者に引っ張られて、無理な姿勢をとることになった。
ぐきょ。
人の身体からしてはいけないような音がして、殿下は喉の奥で呻いて腰を押さえた。
「殿下!」
「大丈夫ですか?!」
「殿下~!!」
殿下の従者たちが大慌てで彼を天幕の方に運んでいき、公爵家の家臣も「ひ、ひとます表彰式は中止で」と慌てて言い残して走っていった。
ポツンと取り残された私は、踏まれて片側がぐしゃぐしゃになった冠を拾い上げた。
「ヴィクトリア様、お戻りになられますか」
「いいえ。式典はなくなったとしても、勝者は称えてあげなくては」
私は冠の汚れた葉を摘んで、代わりにあたりに咲いていた花を冠に挿した。
浄樹の葉の香りと春の若草の香りをゆっくりと胸に満たし、力ある言葉を静かに唱える。
「言祝ぎの儀に従いて命の幸をたたえる。源より至り成りて、雫巡り満ちよ。蘇命露」
手の中の若葉がさわさわと揺れて、浄樹の葉から淡い煌めきが立ち昇る。挿した雑草の茎が冠を形作る浄樹の枝に沿ってするすると伸び、次々と芽吹いて蕾をつけ常のものよりも大輪の花を咲かせた。
私は手の中の花冠の出来栄えに満足して微笑んだ。
「これで良し」
「これで良し、ではないでしょう! ヴィクトリア様。そこの画家が目を丸くして気絶しそうな顔をしていますよ」
「いいの。優勝者のところに行きましょう」
私はそのまま行こうとしたところで、ふと思いついたことがあって足を止めた。
リラが指した方を見ると、先ほどセイルーン殿下に首にされた画家は、目と口を真ん丸にして、私を見て呆けていた。
「ねぇ、そこのあなた」
「はひゃぃっ! な、何でございましょうっ」
「私のために絵を描いてくださらない?」
「えっ?! はいっ! それはもちろん!! 全力で描かせていただきます!」
大げさに私のことを賛美しながら、どのような肖像画でも何枚でも描くと前のめりになってまくしたてる画家に、私は描いてもらいたいのは自分の絵ではないからと言って、少し黙らせた。
画家を同行させて、私は花冠を手に優勝者である骨董騎士のところに出向いた。
かの騎士は、式典を行うはずだった天幕の脇で、試合の時そのままの兜まで被った甲冑姿で、手持無沙汰そうに座って待っていた。
私が行くと騎士は慌ててガチャガチャと立ち上がった。
「優勝おめでとう」
私は彼のすぐ前に立った。騎士は背が高くてこうして向かい合うと、ちょうど胸が私の顔の前に来る。
私はよく知っている匂いが鎧から強く香ってくるのに気が付いた。
「んん? なんでこの香りが」
「あっ、それは貴女から頂いたあのなんだかいい香りのする小袋を胸から下げているからで……」
騎士は焦りながら、鎧の首周りの隙間から指を突っ込んで、四苦八苦しながら革紐を引っ張り出そうとした。どうやら香り袋に紐をつけてずっと首から下げているらしい。
干している間に少し薫らせる程度にと渡したのに、そんなに地肌に近いところにずっと付けていたら体温で香りがたちすぎてしまう。
「もうその……臭くはないだろうか? 鎧自体も頂いた薬水を垂らして全部しっかり拭き直して綺麗にしたのだが、これが精一杯で……」
私は唖然としてポカンと騎士を見上げてしまった。この声は先ほどの彼だろうか。
私がハンカチで軽くふいた程度で、セイルーン殿下の呪術があんな勢いで跳ね返されたのはおかしいと思っていたのだが、なんとこの鎧、全体が念入りに清めの水で拭われていたらしい。そのうえ、こんなにぷんぷんと解呪と浄化の香り袋が匂い立っていたら、それはああもなるだろう。
「そうだ。ハンカチは返した方がいいだろうか。その、もちろん返すとしたらちゃんときれいにしてからと思うのだが、ああ、ええっと、貴女にいつどのように返せばいいのかと……」
しどろもどろになっている大きな全身甲冑姿の騎士を見ているうちに、笑いが込み上げてきた。
私はこらえきれずに噴き出してしまい、もうどうにも止まらなくなって、手にした花冠で顔を半ば隠しながらくすくすと笑ってしまった。
「ハンカチは差し上げます……それから、これも」
身をかがめて笑う私を心配そうに覗き込んでいた騎士の頭に、私は花冠を被せた。
「誰よりも強かった貴方に勝利の栄冠を与えます」
とても素敵だったと伝えようとして、私はまたクルクル回りながら吹っ飛ぶ殿下を思い出してしまった。
人間一度笑い出してしまうと、些細なことでも笑いが込み上げて止まらなくなるものなのだと、私は初めて知った。
§§§
息ができなくて苦しいほど笑ったのは、あの時だけね。
私は、壁にかかった絵を見上げながら、なんとなくそんなことを思い出した。
「奥様、どうなさいましたか」
「いえ、何でもないわ。旦那様と出会った時のことを思い出しただけよ。……よく晴れた暖かい日だったわね」
「さようでございますな」
家宰は一礼して部屋を退出した。
絵の中の勇ましい馬上の騎士……我がバロールの荒鷲は、美しい花冠をいただいていた。
ヴィクトリアとバロールの荒鷲の物語をお読みいただきありがとうございました。
感想、評価☆、リアクションなどいただけますと大変励みになります。
同シリーズとして長編も連載中。
ヴィクトリアがバロール領でがんばっています。
ちなみに旦那様の鎧はヴィクトリアが婚約時代にスーパーカッコいい新品を新調!
大人になってより強くなった(?)二人をお楽しみいただけます。
よろしくお願いします。




