押しピンふんだ?
沢見先生は生徒からすごく怖がられている。顔が鬼のお面のように怖いし、声もガラガラで大きいからだ。おまけに、いつも竹刀を持って学校を練り歩いている。(この小学校に剣道クラブはない。先生が竹刀を持っているのは、不良をビシバシ叩くためだとウワサされている)
とりわけ1年生は、沢見先生のことが怖くてたまらなかった。まだ授業を受けたことはないけど、たくさん怒鳴られるらしい。それに、いじわるな上級生から、先生にまつわるウワサをたくさん聞かされていた。
「授業中におしゃべりした子は、あの竹刀で叩かれるんだよ」
「夜になると、先生の頭から角がにょきにょき生えてきて、鬼の姿に戻るんだ」
「家で、凶暴なシェパードとブルドックを何匹も飼ってるんだよ」
「沢見先生は、昔ヤクザだったのよ。だから、左手の小指は偽物で、本当は指がないのよ」
……ある時、沢見先生が1年2組で書写の授業をすることになり。小さな生徒たちは震え上がった。書写は楽ちんな授業だと思っていたけど、先生があの「沢見先生」なら、話は全く別だ。
書写の時間がある日、1年2組の生徒たちは1人も忘れ物をしなかった。授業が始まる5分前にはみんな自分の席に戻って、ちんと座っていた。
チャイムが鳴って、教室の戸ががらりと開いた。生徒たちはびくっとする。ドカドカと足音をたてて、先生が入ってきた。
顔を上げた生徒たちは、恐ろしさで息をのんだ。沢見先生だ。仁王のようなしかめっ面で睨んでくる。真っ黒なジャージを着ているせいで、地獄からの使者みたいにも見える。そして右手に、長い棒を持っていた。
『竹刀だ!』
気の弱い女の子は、泣き出しそうになった。
最初に配られたのは、ひらがながたくさん並んだ1枚の紙だった。いろんな形の字で、いろんな言葉が書かれていた。
ぽかんとしている生徒たちへ、先生がどら声で言った。
「『カブトムシ通信』だ。お前たちの先輩が、書いた字を集めた新聞だ。どれもいい字だろう」
生徒たちはその紙を見直した。きれいな字も、きたない字もあった。角張った字も丸っこい字も。点のつけ方をまちがえた「お」もあった。
「好きな言葉を沢山書くのは、楽しいもんだ。今日は、そんなことをする時間だ。えんぴつを出せ」
生徒たちは顔を見合わせた。じれた先生が声を大きくした。
「えんぴつを出せ!」
みんなはあわてて出した。先生がまっしろな紙をたくさん配った。生徒たちはこわごわと字を書き始めた。
まじめな子は、習ったばかりの漢字を書いた。給食が大好きな子は「カレーライス」と書いた。沢見先生はゆっくりと教室の中を見回った。近くに来られると生徒たちはびくびくと小さくなった。
「川井!」
突然、先生が大声を出した。川井という男の子はどきんとして固まった。彼の紙には、「ビッググリーンドラゴン」と書いてあった。
「ビッググリーンドラゴンとは、何だ?」
「ゲ、ゲ、ゲームのモンスターです」
「そうか」
誰もがびっくりしたことに、その時先生は笑顔になった。
「いかにもでかそうな怪物だな」
それから、何事もなかったようにまた歩き始めた。川井くんはほっとして、他のモンスターの名前も沢山書いた。
30分くらいたった時、先生がもう1枚白い紙を配った。そして言った。
「この紙に、一番書きたいことをどーんと大きな字で書け」
川井は「サファイヤカーバンクル」と書いた。「あおりんごゼリー」と書いた子もいた。「古今東西」と書いたのは、少しませた男の子だった。
全員が書き終わったころ、先生がいすから立ち上がった。
「今書いたものを、後ろの壁に貼ろう」
押しピンが、1人に2つずつ配られた。みんなの紙を貼る間、少し空気がほどけて、教室の中はにぎやかになった。だけど沢見先生は怒らない。高いところに紙を貼るのを手伝ったりしていた。
1人の生徒が手を挙げた。
「押しピンが1つありません」
「何!!?」
先生が目を怒らせた。とたんに教室はシーンと静まりかえった。
「押しピンは人数分ぴったり用意した。ないということは……」
怒られる! みんなは下を向いた。
だけど、
「床に落ちているかもしれない! 気をつけて探せ!」
先生の号令で、みんなが床の上を探した。一番真剣に探していたのは、先生だった。だけど、押しピンはどうしても見つからない。
「お前ら、いすに座れ!」
みんなあわてて従った。怒られるのだと思った。
「足の裏を見せろ!」
生徒たちはわけがわからないまま足をひっくり返した。先生は、前の席から順番に、1人1人くつの裏を調べていった。
「押しピンを踏んでいたらいけないからな……」
ぶつぶついいながら、40人全員の足を確かめるその間に、頭の良い子が後ろを向いて、壁に貼ったみんなの紙をじっと見た。
「……先生! 3つ押しピンがついてる紙があります!」
「何!」
先生があわてて振り向いた。そして、見つからなかった最後の押しピンが「サファイヤカーバンクル」の紙にちゃっかりついているのを見つけると、ほっと息をはいた。
「なんだ、あんなところにあったのか。よかった、よかった」
みんなの紙をちゃんと貼り終わった時、チャイムが鳴った。
「今日の書写の時間はこれで終わりだ。また、いつか会おう」
そう言って、沢見先生は教室を出て行った。生徒たちは、顔を見合わせて笑った。次の書写の時間が、今から楽しみだった。