メンタリストDAIGOの差別発言はテンプレートでは?
何だか世間がDAIGODAIGO言ってるので、便乗してみた。
2021年の8月辺りにメンタリストDAIGOが生活保障とかホームレスとかを無駄な出費である。あんなのに金を使いたくない。と言う趣旨の話をしたらしいが、今の20代後半から40代前半のガリガリ勉強してきたタイプ、或いは教師の言うことを良く聞く秀才タイプとかはみんなあんな感じの発想を持っているのでは?と感じる。
そもそも、90年代に共産党や社民党がテレビなどで貧困者に対するヘイトスピーチを煽り立て、それが90年代の革新的で人権に配慮した発想だと定義付けられ、それを丸暗記して復唱していたタイプの連中の1人じゃないのかな。
共産党と社民党がホームレスに対するヘイトスピーチを煽ったのは、管理社会に対する反抗と自由を追求する事による既存の解決策からの脱却とか後一つなんかあったけど、それらの追求が日本社会の左翼的な革新に繋がるとかなんとか、そんなこと言って煽ったよね。
人権の旗の基にホームレスが河川敷や公園で寝泊まりするのを合法化すべきであり、施設を建設し収容して社会復帰を果たそうとするのは、国家主義的で容認できないとか。
で、全国の学校で確か、ディベートの時間に取り上げられたりして、公園でホームレスが寝泊まりするのや施設に収容するのを反対するのが斬新で革新的だ! と言う煽りと、90年代前半にアメリカのニューヨークで80年代後半辺りからホームレスが一杯出て、そのホームレスを日本のテレビ等で白人に解説させて、『彼等はアメリカでは頑張らなかったからああなるんだ(嘲笑)って言われてる。これはね、資本主義社会では正しいことなんだ。』と言わせていた。
それも合間って、小学生同士のディベートの場で共産党や社民党の進めるホームレスへの政策は、貧乏人が社会から放り出された時に公園での生活が社会保障になると言う発言から始まり、ホームレスが公園で暮らすのは至極当然の転落人生のゴールデンルートなのであり、彼等にはお似合いの結末だ! と言う経緯を経ての貧乏人に金を使うなど無意味で無価値と言う意見に発展させていった。
その状況に対して、共産党や社民党は共同戦線を事実上はって、ホームレスの公園での生活や河川敷での生活を合法化への世論操作に使ったよね。
で、その後、オヤジ狩りしてた連中やその行為を面白がった連中が、ホームレス狩りを始めたんじゃなかったかな。
革新の名のもとに、人権活動の名のもとに、抑圧社会からの事前の脱却の名のもとに、ガリガリ勉強してた人達を事実上の弁論に於ける赤い旗を掲げた少年兵として作り出した連中が野放しになって、元少年兵のオッサンのみ裁かれるのは余り個人的に関心はしない。
指導的立場にあり、ヘイトスピーチを煽り立てた差別製造マシーンである左翼に、何一つ矛先が向かわないのはフェアではないし、彼女彼達は自分達に矛先が向かなかったことに味をしめて、また何処かで貧乏人に対するヘイトスピーチを肯定する様な“青少年に対する洗脳”をやりかねない。
袂を別ったとか今はそんな事してないとか、そんなノリで貧困者憎悪を煽った人権活動家を野放しにしてはいけない。
彼女彼達は直ぐに点の対処のみを正しいとし、線や面での戦いを促す思考を差別を擁護したとして、非難し赤い親衛隊に攻撃をさせてねじ伏せようとするが、差別やら弾圧は土地に対してゲリラ的に散発するのが普通であり、対処策として面や線や点での対応は必須である。
それに対して、蜥蜴の尻尾切りの様な対応を意識高い系が求めるのはただ単に、差別体制の温存を図れば、人権活動で日本社会をずっと食い物にしていけるからである。
つまり、マッチポンプとして、意識高い系は活動している。
体制を打ち破るのであれば、“巨悪を相手にし、小さな悪は見逃せ!” の精神で運動する私達僕達にキチンと自己批判をさせるべきである。
そうでなければ、日本の民衆は永遠体制の犬として赤い旗に飼われ続ける事でしょうね。
それはそれとして、若し、メンタリストDAIGOが革新派に取り込まれた少年期を過ごしたとしても、革新的な礼賛にうかうかと取り込まれた責任をとるのは当然ではあるけど。30代だしね。いい大人だしね。しっかりしないとね。風潮に取り込まれるのは賢ければ避けないとね。
元々の性格である場合は……つける薬があるといいけどね。