プロローグ
西園寺四姉妹と言えば、この国で知らない人を探す方が難しいんじゃないか。彼女達が評されたトロフィーや表彰の数々はおよそ一般家庭の一室では収まりきらないほどの量がある。
長女、西園寺一音。21歳、Gカップ。当時、全問正解という成績で東大に首席入学した。大学在学中わずか19歳のときに研究を認められ、現在ノーベル化学賞に一番近いと言われる研究チームのメンバーだ。
次女、西園寺二音。19歳、Hカップ。14歳で小説家デビュー。処女作から異例のスピードでミリオンセラーを叩き出した超新星。昨年18歳にて、四作目の著書で芥川賞を受賞した。
三女、西園寺三音、18歳、Cカップ。高校では三年連続高体連空手道優勝。オリンピックにも出場し、55キロ級金メダリストに輝いた。
四女、西園寺四音、16歳、Dカップ。若干15歳にして、朝の連続ドラマに主演し、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。ハリウッドデビューも果たし日本で今最も勢いのある女優だ。
そして、そんな四姉妹に実はもう一人兄弟がいるということは、およそ西園寺姉妹と近しい間柄の人間でも知らない人が多いかもしれない。
西園寺一斗。彼の今までに得た表彰は、小学四年生でもらった皆勤賞のみ。
あまりに輝かしい姉たちに囲まれ、自分も輝けると愚かしい勘違いから今もまだ抜け出せないのか。高等学校休学中という現在進行形で引きこもりを送っている。
そんな彼を輝かせるのはゲームの中だけなのか。いや、現在人生の時間のうち、睡眠以外のすべての時間を費やしても一斗は至って凡庸だった。現在彼の遊ぶゲームのユーザーランキングはダイヤモンド級。世界300万を越えるユーザーのうち、上位10万人にくだされる称号だ。といえば聞こえがいいかもしれないが、普通に高校生活を送りながら、さらに上位の、レジェンド(上位一万)やアーティファクト(上位3000)に入るような高校生もいる。
まして人気高校生YouTuberが、このゲームのランカーとして活躍している。
「一斗くん……」
そうして一斗がゲームにいそしんでいると、部屋の扉がこんこんとたたかれた。姉妹に共通して透き通るような美しい声だったが、わずかにおどおどとした口調から、次女の二音であることがうかがえる。
当然、現在はゲームにいそしんでいるのだ。無視する。
「今日、暇かな? あ、あのね。お姉ちゃんが帰ってきてるの」
長女である一音は現在アメリカの何とか大学の研究チームの一員として渡米している。聞いていなかったが、日本に帰ってきているのだろう。そういえば顔を合わせるのは高校入学してすぐ、3,4か月会ってないことになるか。
「そ、それで、今日なんだけど、四音ちゃんもお仕事お休みだって。だからみんな揃ってるの。お姉ちゃんが久しぶりに兄妹で出かけないかって」
バカバカしい。高校生にもなってお姉ちゃんと一緒にでかけるもあるか。まあそうはいっても一斗は高校生ですらなかったが。
高校には結局一日も通ってない。中学在学中から不登校になり、ほとんど学校に行っていなかったからだ。
いじめを受けていたわけではない。いや、いじめすら受けることもできなかった。
一斗は地元では最も成功しているであろう姉たちに囲まれ、そして比べられてきた。マスコミに学会に引っ張りだこの長女。最年少芥川賞受賞作家の次女。金メダリストの三女。アカデミー賞女優の四女。
そんな地元では宝とされるような西園寺四姉妹の家族をいじめようなどとは普通の感性をしている人間にはできない。ただ遠巻きに腫物を扱う様に一斗はあった。
幾度となく聞こえてくる陰口。
『あの西園寺四姉妹の弟?』
そんなこと、一斗自身が一番に思っていたことだった。
「ねえ、一斗くん。お姉ちゃんも一斗くんに会いたいって言ってるから、出てきてよ……」
応えないでいると声が消え入りそうに小さくなる。
「ひまじゃねえよ。俺は忙しいんだ」
今仲間たちと狩りにいそしんでいるのだ。少しでも狩りをさぼればプレイヤーランクが下がってしまう。すがるほどのランクでもないことくらいは自分でもわかっていたが……。
「頼られてんだよ、俺」
ゲームの中では。同じく中ランクの仲間たちとギルドを組んでいる。年齢も境遇も違う、顔も知らない人たちだ。だけど、そこでは、西園寺姉妹の弟ではない自分がいる。
「ねえ、ちょっとでいいから開けてよ」
と、またノックされる。
一斗はヘッドホンの音量を開けると、完全に自身の世界に閉じこもる。
「開けるよ」
さっきまで開けてよ、と依頼の言葉だったものが、開けるよと事実を告げる者へと変わっていた。
そして声の主も。
もちろん、部屋にはかぎがかかっている。通常、部屋の中の主がカギを開けなければ扉を開けることができる道理はない。
が、次の瞬間、ギリギリと扉のノブが悲鳴を上げる。
「わ、わかった。いく。行くから待ってくれ、開けるな。自分で行く」
「早くしてよ。一音を待たせないで」
三女。西園寺三音である。
かぎがかかったドアを開ける。通常なら不可能な所業にも聞こえるが、彼女にとっては本気で、造作もなく扉は開かれていただろう。
高体連空手道三年連続優勝。そして、昨年のオリンピック空手道の金メダリストである。
一斗はしぶしぶゲームをやめると、久しぶりに着るであろう外着を羽織る。
部屋の外に出ると、廊下の窓から日の光が差し込んだ。光を浴びるのも久しぶりだった。
その先。
「いっちゃん。久しぶり! 会いたかったよ」
満面の笑みとともに抱き着いてくる。
「な、や、やめろよ。もう俺は高校……」
言いかけて止まる。高校生、ですらなかったからだ。
「ごめんねえ。いっちゃんと離れ離れになるのなんか嫌だからアメリカなんて行きたくなかったんだけど……」
そういってぎゅっぎゅ抱きしめてくる。やわらかい香りに包まれるが、必至に押しのける。何を隠そう、姉弟とて間違いが起こりそうになるほど、一音は絶世の美女なのだ。というか一音だけではない。
西園寺姉妹は全員が例外なく美人だ。ちなみに一斗はよく評価してひとなみといったところか。
「いいからどいてくれ。ずっと会えないわけじゃないだろ!」
「だって、いっちゃん、ラインも返してくれないしさあ。……お姉ちゃん寂しいのよ」
寂しい? テレビで特集を組まれているのも見た。雑誌のインタビュー記事も。常に仲間たちが集まり頼られている、姉が寂しい?
「忙しいんだよ。俺も色々と」
「そ、そうだよね。でも、いいんだよ。ゲームとはいえ、一斗といつも一緒に遊べるから楽しいし」
「……あ? いつも一緒……」
「実はお姉ちゃんも始めてみたんだよ。いっちゃんがどんなゲームやってるのかって気になって」
「姉ちゃんもやってるのか」
「そう。いっちゃんのプレイヤー名って『破壊王』でしょ。昨日も一緒にダンジョン行ったじゃない」
「あ?」
今なんと聞こえただろうか?
「ゲームだと全然口調が違うのね。お姉ちゃん、いっちゃんじゃないかもってちょっと思っちゃったもん。でもやっぱり一緒にトークとかしてると、やっぱりいっちゃんだな、って」
「いやいやいやいや! え? なに」
思わず顔が真っ赤に染まる。
「いやいや! は? 誰だよ! 誰でやってんだよ! つうかなんで俺だってわかってんだよ」
「どうして怒ってるの? ゲームなんてしたことなかったから。人数もいっぱいいるしさ、いっちゃんのこと見つけるの大変だったんだよ」
というより、オンラインゲームで何の情報もなしに、個人を特定することは通常のプレイヤーにはできようはずもないだろう。
「ただいま~。あ、かず姉ちゃん帰ってきてたんだ」
そうしていると、玄関から入ってくる姿があった。廊下を歩いているだけなのに、まるでランウェイを歩いているかのようにその背中に後光がさしていた。観客を当然のように黙らせる、そういう凄味があった。
最年少日本アカデミー賞主演女優賞。昨年は全米デビューも果たし、その演技力はハリウッドスターに交じっても全く遜色なかったという。現代日本においてまず間違いなく最も勢いがある芸能人の一人には数えられよう。
――西園寺四音。一斗とは双子の姉にあたる。
「ありゃ。一斗も久しぶりだよねー。なんか髪伸びてね」
「……うるせえなあ」
同じく四音は高校生だったが多忙ゆえ家に帰る時間すらほとんどないような生活だったのだ。まともに顔を合わせたのは、一音と同じく数か月ぶりか。
「あ、そうだ。みつ姉ちゃん。金メダルおめでとう! 直接言う機会なかったよねー」
「そういえばそっか。テレビに一緒に出たときに言われたから」
「レギュラーコメンテーターの実姉が金メダリストだからねえ。何度も特集組んでたし。テレビでは何度も顔合わせてたもんねー」
四音はニュース番組のコメンテーターとしてレギュラー出演しているのだ。五輪の時期は実の姉が金メダリストということで何度も取り上げられていた。
「あ、かず姉ちゃんこの前ありがとねー。忙しいだろうに、ロケ来てくれたでしょ」
「んー。大学の近くだったし。自慢の妹がハリウッドデビューだもの。こんな機会ないと思って! 鼻が高かったわあ。みんなすごい羨ましがってて」
「あたしもだよ。アメリカじゃあ、かず姉ちゃんのほうが有名人じゃん。共演者たちみんなお姉ちゃんのこと聞いてきてたよ。あ、五輪の頃は、みつ姉ちゃんのこともさ」
「とってつけたように言って!」
「そうだ。ふた姉ちゃん。ふた姉ちゃんの小説、今度映画化するでしょう」
「え? もう知ってるの。告知まだなのに」
「あたし、オファー来てるんだよー」
「ええー本当に! わあ。四音ちゃんが出てくれるなら絶対に売れるなあ。うれしい!」
「あたしも、ふた姉ちゃんの小説に出れるなんてさあ。気合入るよねえ!」
とかなんとかわいわいしている。
こういう人たちなのだ。西園寺四姉妹は。
それぞれの世界でトップレベルで戦っている。
「それで、お家で話しているのも楽しいけど、どこか出かけましょうよ。せっかくいっちゃんも一緒に行ってくれるって言ってるし。どこ行こうか」
「実はさ、うち免許取ったんだよね」
そういって三音は免許を取り出して高らかに掲げる。
「えー。みつ姉ちゃん、いつの間に。運転できるの?」
「そうだよ。車も買ったんだよ。みんなで出かけよ! ドライブドライブ。一音、どこか行きたいとことかないの?」
「そうねえ。あ、そうだわ。海! みんなで子供の時、一緒に行ったじゃない」
「海ね。オッケーじゃあ行こう」
「ほ、本当に三音の運転で行くのかよ。免許取ったって、取り立てだろ!」
「あのねえ、一斗。運転と運動神経は一緒ってよく言わない? うちを誰だと思ってんの?」
運転と運動の能力が同一だという話は聞いたことがなかったが、仮にそうだとしたら確かに金メダリストに対しては心配の必要もないだろう。
「つうか、俺行くって言ってないっていうか、四人で行けば……」
「いっちゃん、嫌なの?」
手を握られ、一音は寂しそうに視線を揺らす。
「別に、いやじゃないけど……」
「じゃあ、行こう!」
一緒に行くのを拒んだのは、別に嫌な予感がしたから、とかではない。一斗にはそんな能力などない。
しかるべきにしかることを察知するような感の良さがあれば、今こうしてこうなってはいないだろうことは目に見えて明らかだったから。
結果的には偶然以外の何物でもなかったのだろう。
「三音、前!」
怒号が響いた。
名誉のために言うが、三音に非はなかったといいたい。裁判をしてもどんな保険会社であろうとも、10対ゼロで相手側を有責とするだろう。
居眠り運転したトラックが対向車線に飛び出し、乗用車に突撃してくる、なんてことを予測しながら運転するような人間はいないし、いかな反射神経があっても防げなかっただろう。というより、金メダリストのそれを持って反射の限界を超えていたのだから、どうあってもそれは不可避な運命だったのだろう。
―― 一斗は、そして西園寺四姉妹は、死んだ。