彼の狂愛
半円形のバルコニーの中央にドルトルが立ち、後方には彼のそばに常にいた【影】がいる。まだ、何かをするつもりなのだろうかと、サラは顔を引き締めた。
空では曇天が広がり、強い風が吹いていた。雷鳴が響き、時折、雲間から強い光が走っていた。
軽いはずの彼の漆黒のマントが翻えらない。それに、油の匂いがかすかにする。
警戒を強めながらも、サラはドルトルに話しかけた。
「あの魔獣はもういません。降伏してください」
ドルトルは笑みを深めた。
「ダハーカが倒されるところ、見てたよ。まさか凍らして動きをとめるなんて思わなかった。君、何者なの?」
ドルトルがセトに視線を向ける。セトが口を開く前に、サラが手で制した。何も言わなくていいと、彼に目で伝える。セトは何かいいたげな顔をしたが、サラは前を向いた。
「彼のことでお話しすることは何一つありません。あなたを拘束します」
「僕を拘束して、幽閉でもする気? 飼い殺しにでもする気かな?」
くすくすとドルトルが笑いだす。サラは冷たく言った。
「お答えしません。でも、悪神は消滅させます」
ドルトルはふきだした。不快な笑い声が響き渡る。
「どうやって? アンラ・マンユさまは僕と一心同体だ」
くつくつ喉を震わせて笑うドルトルに、サラはわずかに微笑した。彼の挑発に動揺することはなかった。ドルトルから笑みが消える。
「気に入らないな……もう僕の言葉は響かないみたいだ……」
「悔しいな……」と、彼がこぼす。
一瞬だけ、憂いを帯びて碧眼が伏せられた。
ドルトルはサラを見つめ、最後に聞きたかったことを尋ねる。
「ねぇ、サラ……僕のこと、少しは愛していた?」
サラの眉根がひそまる。
今さらなんで、それを聞くのだろう。
否定を口にしようとして、言葉は喉の下に落ちていった。
アメリアの最期を見たせいだろうか。
彼が昔のように穏やかな微笑みをしているせいか。
喉から滑りでたのは、過去の自分の気持ちだった。
「……あなたの盾になりたいという言葉に、偽りはありませんでした」
それも昔のことです、と付け加えた。
ドルトルは寂しげな顔をする。
「そう……それが、君なりの僕への愛だったのかな……」
ドルトルが視線を下に流した。
夢のような、幻のような、わずかな沈黙。
雷鳴が響き、辺りが一瞬、眩しく光った。
その瞬間、彼は口の端をつりあげた。
顔をあげた彼の瞳は、過去の思いを振り切っていた。
雰囲気が変わったことに、眉根をよせていると、彼は地面に突き刺していた【賢者の剣】を引き抜いた。
剣を逆手に構えている。
切っ先は、どこに向いている?
まさか──
サラは小さく息を飲み、駆け出した。
彼は不敵な笑みのまま、声を張り上げた。
「サラのいない世界でおめおめと生き残るなんて、まっぴらごめんだね。そんな生き地獄を見るくらいなら、僕は死を選ぶよ!」
サラが彼の名前を叫ぶ。
悲痛な声が響いたのと、ドルトルが自分の腹を剣で貫いたのは同時だった。
石造りの床にぼたぼたと、鮮血が落ちる。
彼は碧眼を限界まで見開き、崩れるように膝をついた。血だまりが石の床に広がる。
柄が持つ手が震えていたが、彼は剣を引き抜こうとしない。
――なぜ。なぜ。なぜなんだ!!
目にうっすらと涙を浮かばせながら、サラは彼の元に駆け寄り、剣が握られた手を掴む。サラは目を赤くしながら、叫んだ。
「あなたはどこまで民を省みないんだ! なぜ、そこまで私に固執する!」
馬鹿な人だ。自分のことなど、逃げ出したときに、さっさと忘れてしまえばよかったのだ。それができずに策を巡らせ、あまつさえ自死を選ぶなんて。彼が嫌いだ。本当に、嫌いだ。
ドルトルは血を吐きながら、光が弱々しくなった瞳で自分をみた。ふわりと、少年のようなほほえみをする。その笑顔が、腹立たしかった。
セトが近づいてきて、エリキサーのカプセルを腰ベルトから取り出す。
「サラ! これを飲ませろ!」
その一言に、サラが目を見張る。セトは憎々しげにドルトルを見ながらも、サラにエリキサーのカプセルを握らせた。
「こいつのことは死んじまえって思うけど、サラが泣くのは嫌なんだよ! だから、飲ませろ!」
吐き捨てるようにセトが言ったとき、ドルトルが「冗談……」と、呟いた。彼は残りの力を振り絞り、剣を腹から引き抜く。
「あ〝 あ〝 あ〝……っ!」
鮮血が空中に飛び散り、サラの頬が紅で染まった。
そのまま剣を横に向けて振られた。
セトが咄嗟にサラの体を後ろにひいて、剣を腕で防御した。
カキっ……
軽い鋼鉄な音がセトの腕で響く。
重くない弱々しい音だった。
それでも、ドルトルは立ち上がり、二人から距離をとる。
油をたっぷり染み込ませ、重たくなったマントで自由がきかなかったが、彼は剣を地面に突き立て、執念で足を立たせた。そして、最後まで笑うのだ。
「聖女に助けられるなんて、死んでもごめんだね」
わずかになった残り火を燃やして、彼は悠然と立った。彼は一度、吐血したあと、唇を歪めた。
にたりと唇が持ち上がった不気味な笑み。闇に引きずり込もうとする暗さを瞳に宿しながら、彼は最期の言葉をいった。
「僕のいない世界で、サラが幸せになるなんて、許さない。──煉獄で待っているよ」
サラが瞠目した瞬間、彼の背後で声がした。
「降臨せよ。天使サマエル。蛇となりて、その者の心臓を食らい、骨ごと焼きつくせ──バラク」
ドルトルの体が雷撃に打たれて、ビクンっと跳ねる。直後、彼の体から煙が立って、業火に包まれた。
パチリ、と火が爆ぜる前に、あっという間に彼の体が燃えていく。
マントに染み込んだ油が炎を盛らせて、骨まで焼き尽くしそうだ。
赤い炎が揺らめく光景に、サラとセトは言葉を失っていた。
彼だったものが、焦げて、黒い塊となり、炎と共に床に崩れる。
火の先に黒いフードを被った【影】がまっすぐ拳を前に出していた。彼の手のひらが開かれ、黒い残骸が、ぱらぱらとこぼれ落ちる。
あまりの光景に、サラは眉間に皺を刻んで影の元に駆け寄った。俊足で影の元にたどり着く。
奥歯を噛みしめ、影の胸ぐらを手で引き寄せた。
影のフードが取れて、真っ黒な髪があらわになる。影はなんの感情もない瞳でサラを見た。
「貴様! なぜ……なぜだッ!」
思いが駆け巡り、言葉にならない。影は淡々と言った。
「陛下の遺言です。陛下は鳥にだけは食われたくない。消し炭になるまで燃やせと言われました」
サラは理解ができなくて、乱暴に彼の胸ぐらを押した。
影が手を腰に回して、二丁の短刀を引き抜く。自分を狙った一筋が繰り出され、サラは後方に翻った。
「あなたを煉獄へお連れします」
影が攻撃をしかけてくる。サラの怒りは頂点に達して、脚で剣を弾き、影の顔面を殴り倒した。
「はあっ!」
痛恨の一撃で、影は地面にひれ伏した。気を失った影を見ても、やりきれなさが募り、サラは肩を小刻みに震わせた。
「なぜ……だっ……」
問いかけても、誰も答えなかった。
ぽたり。
泣きそうだった雲から、雨が降りだす。
罪人が生きたまま焼かれる神の裁きを思い出した。罪が軽ければ雨がふり、苦痛は少なくなるという。
──これは神の慈悲か。
わからなくて、サラはきつく目をつぶった。瞳に雨粒が落ちて、涙のように頬をすべっていった。
「ぎゃあああ! なーにー?!」
ミルキーの声に我に返り、後ろを振り返る。
雨に濡れて小さくなった赤い炎が、青に変わっていた。降りしきる雨にも負けず、ごおっ、と炎が大きくなり、色が漆黒に変わる。
焔は生き物のように変形を繰り返して、やがて壮年の人型となった。
──あれは……
サラは眉根をよせ、セトは目を見張る。
サラは一度見た壮年の姿に「悪神……」と呟き拳を握った。
セトは脳内をフリーズさせていた。ロックがかかっていたデータと、目の前の人をマッチングさせる。
「とーさん……?」
セトの呟きに、サラとミルキーがひゅっと息を飲んだ。
焔は完全に人の形になった。
黒づくめの衣装を着た人だ。
黒く丸い形の帽子を被っていた。
男は出来た手足をしげしげと見つめた後、炭になったドルトルの体に、無遠慮に手を突っ込む。まるで、ゴミでも漁るような乱雑な手つきに、サラの脳天が、かっと熱くなった。
死者を冒涜する行為だ。
サラは走り出す。
「貴様!」
男は彼の体から、七色に光る石を取り出した。
「まずまずの色だな」
壮年の男性はそう呟くと、妙に長い舌をだして、石を飲み干そうとする。
「やめろおおっ!」
サラが男に向かって蹴りをくりだす。男の体は煙のように実態がなく、サラの蹴りは素通りした。
サラは目を見開き固まる。
──なんだ、こいつは一体……
風に乗って、男の体が浮遊する。
空を飛んだ。馬鹿な。
思考が停止しているうちに、男は七色に光る石を口に含んだ。
──バキッ!
硬い石をなんなく噛み砕く。不快な音に怒りが増して、サラは男に向かって跳ぼうとした。
「セト! サラさん! ミルキー!!」
空から声がして、サラは顔をあげた。
ウンディーネが七色に光りながらこちらに向かってくる。
彼女の背後には、赤、青、緑の翼を広げた巨大な霊鳥──シームルグが飛んでいた。リトル・シーの母親だ。その大きさは像を軽々、運べるほどだった。
強かった雨が、小雨になり、不意にやんだ。
曇天が晴れていく。
暁がきて、太陽の細い光が、サラたちを照らしだした。
──第五章 了




