魔女の涙
セトたちはダハーカに追われながらも、王宮の外に出た。そこには、誰もいなくなっていた。王城前は、ゴーレムの残骸があるのみだ。
セトが先に行った直後、ミルキー、ミゲル、ヤルダーの三人と一部の兵士によって、ゴーレムは機能を停止させられていた。
怒り狂ったウルジ率いる黒フードの男たちと攻防になったが、彼はミゲルの豪剣の前に倒れた。
攻防の隙にノームたちから通信をうけたミルキーが、王宮から 退避してもらうように指示した。
彼らはリトル・シーがなつくミルキーの言葉を信じて、周辺住民を含めて避難命令をだした。王宮での騒動に身を震わせていた使用人たちが、外に出ていたもの幸いし、今では周辺にいる人物は、誰も残っていなかった。
ダハーカの存在も知られることはなかった。
セトは王宮を外観を回り込み、中庭を目指す。あそこには確か、噴水があったはずだ。
噴水にたどり着いたセトは急停止して、サラたちを地面に下ろした。すぐさま、体を反転させて、また高い壁を次々に錬成する。これで多少は時間が稼げるはずだ。
セトは水が絶えず湧き出る噴水の中央にいくと、いきなり破壊を始めた。
「ちょっと、お兄さま! 何をしてんの!」
「こういう噴水には、機械の仕掛けがあるんだよっ。これを応用して……」
セトが錬金術を連発して、噴水の構造を変えていく。
──ギャアウワアア! ドスンッ!
「ぎゃあああっ! きたあああ!」
壁を破壊しようと、ダハーカが体当たりしてきた。サラは壁に向かって走っていた。
「サラ!」
「私が時間をかせぐ、その間に準備しろ!」
サラが壁の前まできたとき、轟音を響かせ壁が大破した。月を背景に三つの首の黒竜がこちらを睨んでいる。細長くなった赤い六つの目を見ながら、サラは仁王立ちしていた。
攻撃はしてこない。やはり、この蛇はセトだけを狙っているようだ。
──ギャウワアアア!
三つの口が開いて、この世のものとは思えない叫び声をあげた。鼓膜が破けそうな声にもサラは身動ぎせず、その場を離れない。
「ちょっと、早くしなさい!」
「わかっているって!」
後ろでセトが必死になにかをしている。それができるまでの睨みあいだ。と、思っていたが、ダハーカが壊した瓦礫を踏んで、人影が現れる。
「こんばんは、サラさま」
手にランタンを持って、アメリアが現れた。彼女が持っていたランタンには蝋燭の火がゆらめいている。アメリアはサラをみて、うっとりと微笑んだ。
「サラさまの美しい姿を間近で拝見できるなんて、こんな素敵な月夜はありませんわね」
サラは警戒を強めた。ミルキーは青ざめ、声を張った。
「そんなものを近づけて、大爆発でもしたら──!」
アメリアは赤いルージュがついた口元を、にたりと持ち上げた。
「あら、妖精さんは気づいたのね。えぇ、この辺り一帯、爆発して何もなくなるでしょうね」
うふふと笑うアメリアに、サラの足が動いた。が、その前に、アメリアはランタンをダハーカに近づける。
「動かないでください。本当にやってしまいますわよ?」
「やめろ! アメリア嬢!」
サラが叫ぶと、アメリアは頬を紅潮させる。
「サラさまにまた名前を呼ばれるなんて、嬉しいですわ……」
アメリアは正気の失った瞳で、にっこりほほえんだ。
「この鎧を見てくださいませ。サラさまと同じ格好なんですよ。うふふ。あはは! お揃いの格好で、一緒に死にましょう?」
アメリアの瞳が狂気で見開かれ、ランタンがダハーカに近づく。
「やめろ!」
セトが錬金術使って、ふせごうと走り出す。サラも止めようと走りだす。
その時だった。
──ギャアウワアア!
ダハーカが首を振り乱し、ランタンを嫌がった。身をよじって、火から逃げようとする。王宮の壁に何度も頭をぶつけ錯乱する。
壁面にヒビが入り、瓦礫が落ちてくる。アメリアは予想外のことに動揺した。
「どうしたのです! わたくしの願いはサラさまとの死です! その願いを叶えてください!」
──ギャアウワアア!
ダハーカはアメリアの言葉をきかず、六つの赤い目を開いて、アメリアに向かって、女の人みたいな声を出した。
──アメリア。わたしの可愛い娘。あんなに大事にしていたのに。わたしを殺すの? ねぇ、どうして? あんなに愛してあげたのに! どうしてなの!
アメリアは瞳を限界まで開いて、小刻みに震えだした。呼吸は荒くなり、ダハーカの言葉に怯え出す。彼女は後ろに下がりがら、ひきつった声をだした。
「おかあ、さま……」
ダハーカがアメリアに言ったのは、最後に聞いた母親の言葉だった。ダハーカは違う口で今度は男の人の声をだす。
──わしを殺すつもりか! 錬金術の才能もないお前をここまで育ててやった恩を忘れよって! お前など、生まれてこなければよかったのだ!
アメリアの体からビクリと跳ね、手からランタンが落ちる。サラはその隙を見逃さず、ランタンを手に受け取り、地面に向かって叩き割った。
夢のおわりを告げるように火が消え、辺りは薄暗く月の光だけとなった。
アメリアははっとするが、ダハーカは尚も追い詰める言葉を吐いた。
──無能女! この恥さらし! お前など死んでしまえ!
アメリアは放心状態で呟いた。
「おとう、さま……」
両親からの暴力と言葉を思い出して、アメリアは自分の体を抱きしめた。その間にも、ダハーカはその身に宿した悪意を吐き出す。
罵詈雑言。そして、断末魔。聞くに耐えない絶叫が響き渡り、地獄にでも落ちたかのようだ。
苦痛、苦悩、死を吐き出しながらアメリアに迫るダハーカ。狂乱ぶりにアメリアは、ちらりとサラを見た。
心が親に暴力を振るわれたときに戻ってしまったから、無意識に、サラがまた助けてくれるだろうか、と思ってしまった。
――あの時。
父親に殴られて呆然としていたとき、声をかけてくれたの彼女だけだった。
――怪我をしているのか?
颯爽と現れた彼女は痛ましそうにアメリアを見ていた。アメリアはさっと顔を隠した。
――どうか気にしないでください。聖女さまの気にかけることでは、ございませんわ……
無能な自分が彼女を煩わせるわけにはいかない。
しかし、サラは肩をすくめると、悪戯っぽく笑った。
――では、私が舞踏会場に戻りたくないから、医務室まで付き合ってくれないだろうか?
アメリアは瞳を瞬きさせた。
――冷やした方がいい。腫れは長引くと痛いからな。
そう言って、座り込んでいたアメリアの手をとり立ち上がらせようとする。腰が抜けてしまって、立てずにいると、サラは失礼と短く言い、アメリアを横に抱いた。お姫様を抱っこするような体勢になってしまい、アメリアは恐れ多いと、恐縮した。
サラはしーと、静かにするように小声でアメリアを諭す。
――抜け出したことに気づかれると、何かと煩いんだ。静かにしてくれると、私としてはありがたいんだが。
そう快活に微笑み、彼女はアメリアを医務室まで連れていってしまった。礼を言っても彼女は、たいしたことはないと微笑んでいた。
あの出来事は、アメリアにとって宝物だが、サラにとっては当たり前のことをしたまでだろう。
次に出会ったとき、彼女はアメリアに気づかなかった。
彼女にとって人助けは呼吸と同じだ。
どんな相手でも偏見をもたず平等に接する。逆に言えば彼女に認識されるのは難しいのだ。
ただ、通りすぎる人ではなく、アメリアは彼女の視界に入りたかった。
どれほど、愚かなことをしても。
胸を焦がす激情は、アメリアをうつむかせずに顔をあげさせた。
そして、今はどうか。
彼女は動かない。自分を助けようとしない。静かに状況を見守っている。金色の瞳には確かに自分という人間が強く認識されていた。
願いは叶った。
「ふふっ……」
突き刺す彼女の視線を浴びて死ねる。なんと滑稽なと、人に言われようとも、アメリアは天にも昇る心地だ。
ダハーカは正気を失い、彼女を飲みこもうと大口を開く。骨を咀嚼しようと、牙をむく。
アメリアはサラにむかって優美にほほえんだ。
「サラさま……わたくしの第一の救世主さま。貴女と出会えて、わたくしの人生は色づきましたわ」
左足をひき、ゆるりと腰を落とす。優雅なカーテシーをするしぐさをして、アメリアは片方の瞳から涙を流した。
――ギャアウアオオオオオオオオ!!
蛇の大口がまっすぐアメリアへと向かう。
サラは、射ぬくような視線を向けたまま、目をそらさなかった。
──ゴキン!
彼女の体は丸のみされて、骨が牙に噛み砕かれていく。耳を塞ぎたくなるような、残虐な音が響いた。




