役者はそろった ②
フラスコから出てきた黒い蛇が、ふたたびセトに食らいつこうと体を一直線に伸ばした。
彼はサラを素早く横抱きにすると、軽く飛んで猪突を回避した。
ダハーカは壁にまた大激突。フェニックスが描かれたタペストリーは無惨に引き裂かれ、壁に大穴があいた。
セトはサラをお姫様抱っこしながら、駆け出した。
部屋を出て廊下を走る。後ろからはダハーカが追いかけてきた。それに気づいたサラは、セトに向かって声を出す。
「下ろして。このままでは走りにくい!」
「いやだ!」
子供っぽい言い方をされて、サラは目をぱちくりさせる。セトは膨れっ面になりながら、ガチン!と噛みつこうとしてきたダハーカの牙を避けた。
「まだ抱きたんねえよ! 絶対、離さないからな! あと、ほんとうに変なことされてないんだよな!」
跳んで、時には壁を走り、そして翻る。ダハーカの攻撃をかわしながら、セトに真剣な顔で尋ねられた。
サラは口を引き結ぶ。体を暴かれた嫌悪感が顔にでてしまった。
「……何も」と、嘘をついたのに、セトは憤怒した。
「あの野郎、ぶっ殺してやる!」
その一言にサラは慌てて言う。
「あの人を殺すのはだめだ! 城壁の装置が発動して国民たちを燃やしてしまう!」
サラはエターナル・ループが兵器であること。ドルトルには悪神アンラ=マンユが憑依していて、黒い石を使って人体を発火させていたことを話した。
「この蛇も、その悪神とかの入れ知恵か! ろくな奴じゃねえな!」
「ごめん。イヤリングを取られてしまって、連絡ができなかった」
「大丈夫だ! おれが全部ぶっ壊して、壁を作り直してやる! だから、なんも心配すんな!」
力強い言葉に、サラの瞳が涙でにじんだ。自分でも、ずいぶん気を張っていたらしい。潤んだ瞳を見せると、セトが強く引き寄せた。
「大丈夫だ、サラ。怖いことは起きねえよ。おれが起こさせないからな」
セトと一緒にいれば、サラの願いはすべて叶えられそうな気がしてくる。サラは涙を指でぬぐって、笑顔になった。
「セトがいてくれてよかった。ありがとう」
そう言ったとき、廊下の端にたどり着いた。セトは階段の手すりに足を置いて、滑るように降りていく。
──ガチン!
ダハーカの牙が、すぐ背後までせまってきていた。セトはジャンプして一気に降下する。履いていたサンダルを脱ぎ捨てて、両足をつけて右足を下にする。両足をついて床に着地したとき、錬金術を発動させた。
「エメラルド・タブレット、オープン! 再構成、開始!」
冷たい石の床が変異して、天井までつく壁ができた。
──ギャアウワア! ドスン! ドスン!
ダハーカは石壁に阻まれ、三つの頭を激突させて、大声をだす。その隙に、セトは廊下を駆け抜ける。
廊下の端からこちらに走ってくる人影が見えた。ミルキーだ。
「セト! サラさんっ!」
ミルキーは安心したように声をだして、全速力でこっちにくる。セトは大声をだした。
「ミルキー! 逃げろ! 蛇がくる!」
「──は?」
ミルキーが足をスライディングさせて、立ち止まった。ふがーっと鼻息をだしたとき、石壁をダハーカが破壊した。
──ギャアウオアアア!!
「ぎゃあああっ! なんてもの、連れてくるのよおおお!!」
ミルキーは絶叫しながら、慌てて体を反転させる。セトがミルキーに追いついた。
「サラ、ミルキーを抱えろ!」
セトの指示を受けて、サラは手を伸ばしてミルキーを抱きしめた。
二人を抱えながらも、セトのスピードは落ちなかった。
「ミルキー! 無事でよかった!」
「サラさんも! イケメン度があがって、アタシは大興奮よ!」
ミルキーはふがふが鼻息をだす。
「そうだ! サラさんのおかあさま!」
母親の言葉にサラは目を見開く。ミルキーは軽快に笑った。
「安心して! 無事よ! フロックが匿ってくれたの! お掃除ロボットとして紛れこませたルンルンが、役に立ったわ! ノームとうさまがフロックを……って、そこはいいわ! とにかく! 今は、ヤルダーとミゲルが護衛について、避難しているわよ!
怪我人も多かったから、リトルが治療しているけど、安心してね!」
母も、ミゲルも、リトル・シーも、フロックも。全員が無事という安堵に、サラはまた泣きそうになる。
ヤルダーまで来てくれた。心強い仲間が来てくれた。
サラはミルキーをぎゅっと抱きしめる。
「ありがとう。本当にありがとう」
涙声になるサラにミルキーは、がははと豪快に笑う。
「大丈夫よ、みーんなが付いてる! あの怪物爆弾だって、お兄さまがなんとかするわよ!」
ミルキーは腕を伸ばして、サラの頭をなでた。
*
サラたちが部屋から逃亡すると、アメリアは追いかけようとした。ドルトルは追おうとしたが、足がふらついた。サラとの戦いで、体はとうに限界を越えていたのだ。それにセトの一撃は骨を折っていた。
彼は苦しそうに眉間を寄せて、床に膝をつく、ごほっと吐血した。駆け出そうとしていたアメリアは、足を止めた。その間にも持っていたフラスコからは、ダハーカが巨大な蛇となってサラたちを追っていた。
「陛下、ハイ・ポーションを……」と、アメリアが声をかけると、ドルトルは手をあげて、首を横にふった。口元をぬぐい、彼は自力で立ち上がる。
「もう効かなくなっている。連続して飲みすぎると、だめみたいだね」
アメリアは小さく息を飲む。サラに対しては、平然な態度をしていたが、内蔵は傷つき、彼の体はぼろぼろだ。普通の人間であれば、立つことは難しいほど、彼の体は限界にきていた。
「……悔しいな……あいつを切り殺してやりたかったのに、それができなかった……血もでなかったし……」
「血が出ないとは、どういう……」
「あいつ、人間じゃないね。首を切ったときの皮膚の感触が人間のじゃない。君は気づいていた?」
「まさか……」と、アメリアは呟くが否定は頭からできなかった。
ミルキーと彼は知り合いだ。そして、ミルキーは高度な技術を持つ人。機械で強化された体を持っていても不思議ではなかった。
アメリアはきゅっと口を結ぶ。
「それでも、ダハーカさまには敵いませんわ。ダハーカさまは、破壊蛇。爆発し、近くにいたものは死にます。ダハーカさまを止められる術などございませんわ」
「そうだね……あれが爆発したら、僕らも死ぬし、サラも死ぬ。だから、もう、やっちゃっていいよ」
ドルトルは優美にほほえんだ。アメリアは瞬きをする。
「あの男から奪い返さなくても、宜しいのですか?」
ドルトルは陰りのある笑顔をする。
「あの男を倒す術がないことを、君も気づいているだろう」
「それは確かに……わたくしたち、勝てませんわね」
だから、爆発させてしまえばいい。
二人の意志は同じだった。
「わたくしも、そろそろ限界ですわ」
アメリアは自分のまとうダークメイルの手をおく。
「頑張って体力をつけてきましたが、ダークメイルを動かすのは、わたくしにはまだ無理でしたね。ふふっ。やっぱり、わたくしみたいなものが、サラさまの真似事など無理だったのでしょうね……」
サラに憧れて、サラみたいに強くあろうとしたが、アメリアは武術に長けているわけではない。筋力のない体で、限界を越えた動きをすれば、どうなるか。糸の切れたマリオネットのように、体は動かなくなる。アメリアもまた、戦うことはもう無理であった。
ドルトルは引き止めなかった。
「そう……なら、派手にやっておいで」
アメリアは嬉しそうに、ころころと笑った。
「陛下も追いかけますか?」
「ううん。僕は最後の仕上げがあるから、高みの見物をさせてもらうよ」
「わかりましたわ」
ドルトルはやさしい顔つきになる。
「じゃあね、アメリア。君がいてくれて楽しかったよ」
アメリアは腰を落として、スカートを広げるようなしぐさをする。
「わたくしも陛下に出会えて、最上の時を得られましたわ。ありがとうございます」
そして、二人は別々の場所へ歩いていった。




