聖女の母
王宮の一室に監禁されていたフロックは、扉の前に立ち、聞き耳を立てていた。
回廊を忙しなく駆ける足音がする。聞こえた声を拾うと、どうやら王宮勤めの使用人らしい。
扉の向こう側には、フロックを監視する近衛兵がいたはずだが、彼は不安を吐露して逃げ惑う使用人を諌めるため、どこかへ行ってしまったようだ。
状況を確認すると、フロックは抱えていたものに視線を落とした。
手にはミルキーが持ち込んだ丸いお掃除ロボット、ルンルンがいた。フロックはルンルンに向かって話しかける。
「ノームさま。監視がいなくなったようです」
ルンルンはピポパッと音をだすと、ノームの声になった。
「──そうか。今、大聖堂でセトたちが戦っておるからの。そのせいで、王宮も混乱しておるのじゃろ。兵士たちも門の前に詰めかけておる。今のうちに脱出をするんじゃ」
「わかりました」
「──門の鍵穴をルンルンに近づけて、見せておくれ。形状が分ければ鍵の作り方を教えられる」
フロックは、ルンルンの側面にある小型カメラを、扉の鍵穴に近づけた。
ミルキーがアメリアに拘束された後、フロックはルンルンと共に、この一室に閉じ込められていた。ルンルンは燃やされそうになったが、ヒポパと鳴く電子音を聞いて、不気味がられた。
機械が鳴くなんて、何か恐ろしいものでも取りついているのでは、と見なされた。
アメリアから動きを止めるようにフロックは言われたが、首を横にふって拒否した。
「私では仕組みがわかりません。止めることは不可能です」
フロックとて、ルンルンの機能は知っていても、解体まではできない。小さなネジをとる道具はアーリア国では、存在しないのだ。
サラの帰還の報告を受けて、そのことで頭がいっぱいになったアメリアは、フロックたちから興味を失くした。これはかえって、フロックたちには都合がよかった。
フロックはノームの指示にしたがい、鍵穴に差し込めそうな棒を二本、探す。幸いにも棒は見つかった。フロックは器用に鍵穴に棒を通して、鍵を開く。
外をうかがうと、足音は聞こえるが、誰もいないようだ。
ピポパッと、音がルンルンから鳴り、ノームの声が聞こえた。
「──フロック、そこから階段が見えるか?」
「はい。奥の突き当たりが階段になっていますね」
「──なら、そっちへ行っておくれ。サラさんの母親が逃げてくるはずじゃ」
フロックは小さく息をのむ。
「ファーディラさまが……ですか」
「──そうじゃ。たった今、逃げたところを目撃した。サラさんが声をかけて、逃がしたみたいじゃな。保護して、一緒に逃げるんじゃ。おまえさんしか、今は動けぬ」
フロックは深く頷いた。自分は戦いはできないが、それでも、何かできるのであればやりたい。フロックは周囲を警戒しつつ、階段へ向かった。
上に登っていくと、階段を踏み外しそうになりながら、ファーディラが降りてきた。フロックはこの時、初めて彼女を見たが、瞳が金色なのを見て、すぐにサラを思い出した。
涙を流しながら走っていた彼女はフロックを見ると、ひゅっと息を飲み、逃げようとした。
「ファーディラさま!」
フロックは慌てて、彼女を追いかける。彼女が階段に踏み外し、その場を崩れたのを見て、駆け寄った。
彼女はフロックを見ると、怯えて、立ち上がろうとした。フロックは両膝をついて、頭を下げた。
「……ファーディラさま。私はフロックと申します。サラさまの仲間でございます」
礼をとりつつ必死に言うと、彼女は足をとめてくれた。
「サラ……の?」
「はい。信じられないかもしれませんが、あなたをお助けしたいです。サラさまの為にも。どうか、私を信じて一緒に来てくれませんか」
彼女は狼狽して黙ってしまった。無理もないことだ。しかし今は、時間が惜しい。
走ってくる足音が耳に入り、フロックは無礼を承知で、彼女の手をとった。
「失礼いたします」
フロックは走れそうにない彼女の身を抱きかかえ、足音から逃げだす。ルンルンは置いたが、自動で彼の後を追いかけてきた。
彼女はもう走れないのか、フロックを振り払おうとしない。
フロックは誰もいない部屋に引きこもると、足音が去るのをじっと待った。足音が過ぎさると、ほっと胸を撫で下ろす。
ピポパッ
不意にルンルンから音が鳴り、彼女は体をびくりと跳ねらせた。ルンルンから威厳のあるノームの声ではなく、愛嬌のある機械音がなる。
「コンニチワ。サラさんのおかあさん」
彼女は話しかけられたことに目をしばたたく。機械が話すなんて信じられないのだろう。
「ワタシたちは、サラさんの味方です! みんな、サラさんを助けようとしています。そこにいるフロックも、他の仲間もいます。どうか、どうか、ワタシたちを信じて、一緒に逃げてください!」
不思議な声の嘆願に、彼女は呆然として、ルンルンとフロックを交互に見つめる。フロックはその場で膝をついて、頭をさげた。
「私たちはサラさまの信奉者でございます。どうか私たちと一緒に来て下さい」
ファーディラは呆然としたまま、呟くように言った。
「ほんとうに……サラを助けて……くれるの……?」
フロックは深く頷き、ルンルンもピポパッと返事をする。
ファーディラは肩を震わせて、はらはらと涙を流した。
「お願い……サラを助けて……」
ファーディラは膝を折り、ふたりに懇願する。
「サラは……サラは……もう充分、戦ったのよっ
……お願い……お願いよっ……あの子を、あの子を助けて……」
ひゃくり声をあげながら、ファーディラは無力を嘆いていた。
ファーディラは。サラの父の六番目の妻だった。サラの父は女子を産めない妻たちを無慈悲に捨てる男であった。
ファーディラはウーバー出身で、武器商人の娘であった。帝国との戦争が激化していたアーリア国では、武器の輸入は必須であった。 父に連れられこの国にきたファーディラは、鮮やかな金髪の異国の王子に心を奪われてしまった。
王子もファーディラの武器に関する豊富な知識を気に入り、妻として娶ることを望んだ。
その時、ファーディラは夢心地だったのだ。
血塗られた王家の歴史も知らない、初な娘であった。
やがて、サラを産むと状況は一変した。
──よくやった! 女だ! 女だ! あははは! あはははは!
狂ったように歓喜する夫に戦慄した。戦うために娘を聖女にすると聞かされたときは、意味がわからなかった。
ただ、夫は女子を産まない妻は全て亡骸にしてきた。殺される恐怖は強く、ファーディラは、望まれるままに、武器の知識を教えた。
母親らしいことは、何一つしてやれなかった。
サラが「お母様……」と切なく呼ぶ声に気づきながら、聞かないふりした。
親子なんて、いえなかった。
サラが逃亡したと聞いたときの夫の荒れようは、すさまじく首を締められて、殺されかけた。
充血した夫の目を見て、あの子さえ、逃げなければ、と思ってしまった。
サラが帰ってきて、夫とドルトルの言葉を聞いたとき、やはり理解しがたかった。
一人、苦境に立たされたサラを見て、あの子は、こんな孤独のなかに居たのか、と絶句した。
もう、いい。
もう、こんな国を忘れて、自由になってほしい。
胸に灯ったのは、母親としての願いだった。
「……お願い……お願いよ……あの子を……助けて……」
自分では何もできない。
誰でもいいから、サラを助けて自由にしてほしい。
「助けて……娘を助けて……!」
嗚咽をもらしながら、ファーディラは願い続けた。フロックが寄り添うような眼差しで見る。
ピポパッ、とルンルンが音をだす。
「大丈夫。大丈夫。みんな助けますからね! わたしの息子は強いから、大丈夫ですよ、おかあさん……」
ルンルンを通じて、ウンディーネは涙をこらえて、メッセージを送っていた。
同じ母親として、気持ちは痛いほどわかった。
ヤルダーとミゲルが影たちを蹴散らして、王宮内にくるまで、ウンディーネは彼女に寄り添い、メッセージを送り続けた。




