聖女と王 ③
サラは、はらはらと涙をこぼしながら、父だったものが流す血を見ていた。
赤い命が体からこぼれていく。命の大きさを顕すように、止まらない血潮は、サラの素足を濡らした。血には、まだかすかに温度があった。
サラは膝をおって、亡骸に片手を添えた。
まだ、あたたかった。
「サラはそのモノが嫌いでしょ? 殺されて当たり前の存在だ。それなのに、情けをかけるの?」
ドルトルは理解ができないと、嫌悪を顔をにじませる。
「自分を傷つけたものを赦すの? 君はどこまでも聖女だね……ははっ……」
嘲りの声がサラを覆う。
「そのモノを赦すなら、聖女サラ。僕が死にそうになっても同じことをするの?
なら、僕のことも救ってよ?」
彼の言葉は、なぜ戦うのかと問いかけているようだった。
利用され、尊厳を踏みにじられ、居場所もない。
そんな国の為になぜ、戦う。
守る価値はあるのかと、問いかけてくる。
だが、サラの心は揺るがなかった。
むしろ、戦う理由を教えてくれるものだった。
サラは膝をついたまま、ドルトルを見た。
その瞳には揺るがない信念があった。
「あなたを救えるわけないでしょう。私は神ではありません」
ドルトルは虚をつかれたようで、顔から笑みを消した。
サラは父の背中に手をおき、亡骸に鎮魂を捧げる。
「動けず、ごめんなさい。どうか、安らかに」
サラは腰を持ち上げる。
血に濡れた足を動かす。
ぬるつくそれをけがわらしいとは思わず、尊いものだと思いながら。
ドルトルはひきつった笑みを見せた。今までの余裕な態度が崩れている。
「神ではないから、救えない? 君のしていることは、人を救うことじゃないか」
サラは違うと即座に否定した。
「私は守りたいだけです。理不尽に命を奪う敵から守りたい。救いになるかなど、考えたこともないです」
救いとは──相手が感じるものだ、とサラは思うのだ。
命を守った結果、サラのしたことを救いと見る者もいるだろう。そう感じるのは自由だ。否定するものでもない。
では、サラが救いと感じた精霊たちはどうだったか。彼らはサラの救いたいと思って、サラに笑顔をむけたのだろうか。違う。彼らのしたことは、〝そのままでいいよ〟と笑ってくれたことだ。どこまでも、純粋にサラをサラとしてみてくれた。
セトだって、自分をまるごと愛してくれた。
愛情を押しつけず、寄り添ってくれた。
サラを支配することはなかった。
彼の力があれば、サラを手の中におさめることは簡単だっただろうに。それをせずに、サラの気持ちが固まるまで、待っていてくれている。
眠っている間に、何度もセトに「好き」と言われた。気配に敏感なサラは、眠っていても意識が覚醒しやすい。セトの思いは、サラに届いていた。
でも、サラは好きと言えなかった。まだ心は定まらず、ごめんなさいと思いながら、背中を丸めた。恥ずかしさと、照れもあり、ますます顔をあげられなかった。
再びドルトルの狂暴な愛と対峙したとき、セトの態度が、存在が、大きくかけがえのないものだと実感した。彼の存在に、自分は救われていたと、はっきり思えたのだ。
彼への想いを言葉にするとしたら、一つしかない。
告げたい想いが、サラの胸のなかで、優しく灯る。
──私もセトが好き。この身が大地に還る日まで、そばにいたい。隣にいさせて。
サラの心は、夢は、ずっと先にある。だから、目の前の敵に屈しなし、立ち止まらない。
「あなたを倒す。もう、誰も殺させない」
サラは聖女の力を解放する。首まわりにしかない高潔な赤い鱗が、彼女の全身を覆っていく。
その行為を、人は自己犠牲と言うだろうか。
献身的と言うだろうか。
では、逆に問いかけたい。
命を助けたいと願うことに、理由なんているのだろうか。
怪我したら、治してあげたい。
困っていたら、手を差しのべたい。
サラにとっては、ごくごく当たり前のことをしているだけだった。
サラは八年。国境を守った。
国に悪人がいようと関係ない。
それを気にしていたら、国は守れない。
あの人が嫌いだから、拳をおさめるのか。
敵の攻めを見過ごすのか。
そんなこと、できない。
敵に向かっていくとき、命をかけて戦うとき、個人的な感傷はなくなるのだ。
強く、一歩を踏み出すために。
誰よりも早く、駆けるために。
嘆きを叩きのめし、拳をふるうために。
国を守るということは、きっと、そういうこと。
そして、サラは仲間と共に国境を守りきった。
戦い抜いたことは、サラの誇りだ。
胸を張っていえることだ。
今も仲間と共に守ろうとしている。
一人ではできないことも、二人なら、あるいは三人なら、大勢ならば、できる。人を、守れる。
仲間がいる限り、諦めない。
どれほど、心と体を傷つけられても、立ち上がってやる。
血の重さを知る、赤い聖女は、拳を握った。
動揺して指示が遅れたドルトルの隙をつき、サラは黒いフードの男たちに向かった。母親の背後にいる男に詰めより、殴りつけた。男は潰された蛙のような声をだして、倒れる。サラは母親を背に庇った。
「母上! 逃げてください!」
母はか細い体を震わせた。震えた涙声がサラの背後から聞こえる。
「もう……いい、から……サラ、にげて……」
母ファーディラは勇気をかき集めて、サラに声をかけていた。娘が傷つき、それでも戦おうとする姿に母親としての心が揺れ動いた。
「わたしのことは、捨てて、にげ……」
「母上」
サラは母親の想いに胸を痛ませながら、それでも快活に笑った。
「私を思うなら、逃げてください。生き延びて、命を守ってください」
サラは前に出た。
ドルトルは声を乱しながら、影たちに短く命令を下す。
「逃がすな、殺せ。聖女を傷つけても、母親を殺せ」
彼の黒い感情に操られたように、影たちは一斉に襲いかかってきた。サラは引くはずもなく、敵に向かう。
「母上! 走ってください! 走って!!」
願いを込めて叫ぶと、母は一度きつく目をつぶった後、その足を動かした。スカートの裾をもちながら、足を出して駆ける。この部屋の入り口へ。彼女が走るたびに、涙がまき散った。
影のひとりが母親を追いかけ、暗器をその背に投げつける。
「はぁ!」
サラはその前に、足を高くあげて、暗器の起動をそらす。暗器は壁にささった。母親は部屋からでた。サラは一気に相手の間合いをつめて、駆け寄った。
「おまえの相手は、この私だ」
「ぐっっっ!」
凍てつく眼差しで、腹に拳をめり込ませる。硬い鱗におおわれた一撃は、砲弾を食らうようなもの。相手の体を守った武具ごと破壊する一撃となった。
しかし、相手もしぶとく引き下がる。
口から血をだしながらも、震える手で腰から短刀を引き抜く。サラに向けて反撃の斬撃をだす。
──キンっ!
鱗に剣があたり、高音が鳴り響く。ぎりぎりと、金属を削るような不快な音が、二人の間で響く。
「寝てろ」
サラは冷めた声でいい、殺気を込めて、相手の体を足で吹き飛ばした。今度こそ、相手は床に臥せた。
不意に手首についたままの鎖を引き寄せられ、動きを止められる。サラは相手をにらみ、力比べをする。
サラは力をさらに解放して、鎖を掴み、逆に引き寄せた。ぎりりと、引き絞られた鉄の鎖。引力にたえきれず、ぱきりと、ヒビが入ったとき、相手の体が前にもつれる。
その瞬間を見逃さなかった。
サラはゆるんだ鎖を離し、相手の頭を掴むと、額に向かって膝蹴りをした。
脳を揺らす衝撃をうけて、相手は白目をむいて倒れる。
──次だ!
サラは拳を振るい続けた。
一人、また一人と倒していくが、最後の一人は格段に強かった。二本の短剣で連続攻撃をされて、サラは反撃の隙を伺っていた。
「タルウィ、下がって」
ドルトルの一言に影が身をひく。
それに警戒が強まり、サラは身構えた。
とんっと、軽くステップして、彼は一気にサラの前まで迫ってきた。
流れるような太刀筋が、目の前にきて、すべての力に腕に集中させる。赤い鱗で防御をした。
──ざしゅっ……!
サラの鱗に切りつけられた。
傷つけれた所から痛みが走った。
サラは眉根を寄せるが、すぐに蹴りをくりだす。
彼はまるでワルツでも踊るように、流れるしぐさでそれをかわした。
深淵に似た青い双眸をきらめかせて、ドルトルは微笑む。
「サラ。殺し合おうか。君はもう、僕を見ないものね」
サラは眉ひとつ動かさず、凛とした声でいう。
「お断りします」
ドルトルが瞬きして、瞳を丸くした。
「あなたは死なせない。でも、企みは阻止します」
彼の死があの黒い化け物を引き出すのなら、拘束が一番だろう。決して、彼に慈悲の心をむけたわけではない。
だが、ドルトルはそんなサラの態度を「聖女だなあ」と呟いた。
「聖女には死んでもらう。僕だけのサラを手にするよ」
サラは艶ややかに目を細め、不敵にほほえんだ。
「させませんよ」
「それは、……どうかな?」
三度目のやりとりは、サラの心を素通りした。恐怖はなかった。
互いに譲れないものがある。
二人はおのおのの武器を持ち、戦うために、一歩を踏み込んだ。




