聖女と王 ②
「──娘よ」
彼の口から、彼の声とは違う、年を取った重々しい声がでた。
「──その者と我は契約をした。その者の【賢者の石】を我に与える代わりに、この者の願いを全て叶える。エターナル・ループも、黒いポーションも我が授けた知恵。この者を殺すというなら、我は【最後の審判】を発動させる」
サラは目の前の異様さに恐れをいだきながらも、情報がほしくて否定を口にする。
「……国中の人間を石にするなど、できるはずない……おまえは魔法使いだとでも、言うのか……」
「──我は魔法使いではない……だが、信じられないというなら、その目で確かめるといい」
彼は影をひきつれて、ゆらりと歩いた。
大地を踏んで歩く人間の足取りではなく、操り人形のようは足さばきだ。
足音もなく動いて、部屋の片隅にある呼び鈴を鳴らした。
リン──と、短くなった音に、誰か呼び出したと理解して、サラは咄嗟にベッドから飛び出す。
「何を──!」
ベッドから出て足をついた瞬間、鎖によってそれ以上いけないことに気づく。その間に、近衛兵が扉をこわごわと開いた。
「逃げろ!!」
サラの怒声をきいて、近衛兵は体を硬直させる。王の背後に見えた巨大な黒いもやを見て、ひっと小さく悲鳴をあげ、腰を抜かしてしまった。サラは枷を絶とうと、力任せに鎖を引っ張った。
──こんなものっ!
手首に痛みが走ったが、構うものか。
早く、早く。黒い鎖が邪魔だ。
サラが足掻いている間に、巨大なもやは、兵士に向かって右腕をあげる。手のひらは握られていた。操られたように、ドルトルも同じしぐさをする。地を魔物が跋扈するような、不気味な声が辺りに響いた。
「降臨せよ。天使サマエル。蛇となりて、その者の心臓を食らい、骨ごと焼きつくせ──バラク」
彼が声を出すと、手から青白い閃光が走る。稲妻のようなそれは、兵士の心臓を貫いた。
雷にうたれたように、兵士の体がびくんと跳ね、白目をむく。直後、彼の体は発火した。
「っ──!!!」
煙を出して服が燃えていく。その様子を見たサラは聖女の力を発動させる。三分の一ぐらいしかない力をフルパワーにする。この時、まだ解呪はされておらず、サラの力には制限がかかったままだった。
──バキッ!
ベッドの脚を折り、外れた鎖。素早く目配せをして、ベッドサイドにおいてあった水差しを手にとり、兵士にかけた。
水がかけられたが、兵士がまとう火は小さくなっただけだ。足りない。サラは豪華な模様が描かれた花瓶を手にとり、花ごと水をかける。
──バシャッ!
さっきよりは水が多くかけられたおかげか、火は消えた。サラは花瓶を投げ捨て、近衛兵士の前に膝をおる。
──バリン!
壁に叩きつけられた陶器の花瓶が、派手な音を立てた。
「しっかりしろ!」
兵士の心臓に耳をあてて、脈を確認する。微弱ながら鼓動が聞こえた。ほっとして、力を解除する。体に残り火がないか、傷の具合はどうか確認していると。
「っ──!」
不意に手首から垂れていた鎖を、後ろから引っ張られた。
兵士に意識を向けていたサラの体は、床に滑るように倒れた。
眉間に深く皺を刻んで顔をあげると、鎖を持ったドルトルが酷薄な瞳で自分を見下ろしていた。背後にあの影はなくなっていた。
握っていた彼の手のひらが開く。パラパラと黒い残骸が手からこぼれた。奇妙なほどに、それがはっきりと目に映った。
ドルトルは妖艶にほほえんだ。後ろで倒れた兵士がどこかへ連れていかれる音がした。
「今の力はアンラ・マンユさまのものだけど【黒い賢者の石】があれば、僕でも使えるんだよ。城壁には【黒い賢者の石】が仕込まれているんだ。合図を送れば、バラクの生け贄となる。人々は発火して、この国は煉獄となるだろうね」
くつくつ喉を震わせた彼を見上げる。怒りを通り越して、憎悪が胸に込み上げた。ここまでする彼が憎い。今すぐ殺してやりたい。これほど深く、強く、誰かを恨んだことはないだろう。
「城壁を壊す? でも、あれは国を囲う要でもあるからね、防御壁がなくなればどうなるか──帝国が攻めてくるかもね?」
「帝国とは、停戦条約を結んだではありませんか!」
「うん。結んだよ。でも、バルハッツ殿下が統治すれば、の話だよ。彼がうまく国を治めてくれればいいけど、帝国は広いからね。どうかな?
それに、君も歴史を学んだからしっていると思うけど、領土の奪い合い、宗教の違い、または権力保持のために人は戦争をしたがるよ。停戦条約が結ばれたから平和になるなんて……幻想だよ。国を守りたければ、武力や砦を持たなきゃね」
サラは奥歯を噛み締める。
よくよく考えれば、長年、戦争をしていた帝国と一枚の紙で和平が結ばれるなど、都合のよい話だった。
またも、彼の手のひらで踊らされた自分の愚鈍さが恨めしい。
「城壁を崩し、国を丸裸にして敵国からどうやって国を守る? 君が方々に走り回るかい? ははは! 無理な話だ」
不快な笑い声をあげるドルトルに、サラは落ち着けとはっと短く息を吐く。言葉で追い詰めるのは彼の作戦のひとつ。何か解決方法があるはずだ。
彼の好き勝手にさせない方法が。
自分は見つけられなくても、セトなら、みんななら思いつくはずだ。
今は、あの時と違う。心強い仲間がいる。
サラは絶望をせずに、キッとドルトルを睨みつけた。
好戦的な視線に、ドルトルはこてんと首をかしげた。
「……諦めてないって顔してるね。あの男? あの褐色の男がなんとかしてくれるって考えているの?」
セトのことを指摘されて口を引き結ぶ。ドルトルはひくりと眉を動かした。
「……サラ。別の男を心に住まわせているの……?」
答えない。すると、ドルトルは乱暴に鎖を引き寄せ無理やり立たせようとする。手首に痛みが走り、顔を歪める。顎をとらわれ、強制的に目を合わせられる。
「……そんなの許さないよ。サラは僕のものだ」
また唇を奪われそうになり、サラは鎖がない手に意識を集中させる。人の腕が赤い鱗に覆われ、爪は長く鋭利な武器となる。
ザシュッ!
彼の頬を傷つけた。三本の赤い線が、ドルトルの顔に描かれ、血を滴らせる。サラは彼の腕を振り払い、心から叫ぶ。
「私はあなたのものじゃない!」
ずっと、言ってやりたかった。
「私の心も人生も、私のものだ! 誰を思うかは自分で決める!」
肩で息を息をして、言葉を吐く。ドルトルは薄く口を開いて頬についた血を指でなぞった。指先についた血を見て、ふっと目を細くする。
「……サラに初めて反抗、されちゃった」
どこか嬉しそうにする彼は体を反転させると、壁に添うように置かれていたチェストの引き出しを開けた。黒い液体が入った小瓶を手にとった。蓋をとり、一気に飲み干す。
バリン
瓶は投げ捨てられ、石の床の上で粉々になる。彼の傷がみるみるうちに回復していく。それどころか、こけた頬は艶を取り戻し、元の彼に戻った。
サラは動揺したが、すぐに構えをする。彼は悠然とほほえみながら【賢者の剣】を引き抜く。自分の鱗を切る剣。サラは聖女の力を解放する。
「君の心に僕がいないというなら、もう遠慮はしない。君の大事なものを全て奪ってやる」
ドルトルはにこっと笑いかけてくる。
「誰もいなくなったら、憎い僕だけが君の中に残るよね?」
サラは静かに言う。
「そんなことさせません」
「さて、それはどうかな?」
にっと挑発的に持ち上がった口元を見て、前にもこんなことがあったな、と既視感を感じた。
サラの予想はあたってしまった。
開かれっぱなしだった扉から金髪が見えて、サラははっとして視線を向ける。
「サラ……」
黒いフードの男に囲まれ、前に見たときより老け込んだ父の姿があった。隣には久しく見ていない母の姿もある。痩せた体が棒切れのようになり、立っているのもやっとのようだ。サラは瞠目した。
「父上……母上……」と、サラが呟くと、父は疲れはてた顔を手で覆った、やれやれと首を横にふる。
「もう、わがままを言うのはやめなさい」
サラの口元が、ひくりと歪にひきつった。何をこの人は言っているのだろう。父は自分と同じ金色の瞳を憎悪で濡らしていた。子供を思う父親の目ではなかった。
「陛下は、おまえのことを考えて色々としてくださっているのだ。それがなぜ、分からない。
なぜ、反抗的な態度をするんだ。
おまえが黙って受け入れれば、国は落ち着く。無意味に国をかきみだして、全く……」
軽蔑の眼差しを向けられ、握っていた拳が震えた。怒りが脳天まで突き抜けた。
「……父上は、私が単なるわがままでこんなことをしていると思っているのですか……」
「そうだろう。正妃ではなく寵妃という立場が嫌で、おまえはわがままを言っている。
おまえの意思など産まれたときからなかった。戦うしか存在価値がなかったおまえに、陛下は女性としての幸せを与えてくださるというのに、おまというやつは……」
「ふざけるな!!」
悔しくて涙がにじんだ。
泣きたくなんかなくて、サラは必死で涙をこぼさないように下唇を噛んだ。
血の繋がった人が、家族が、自分を認めない。
自分の価値観でサラを見て、心を踏み潰す。心が引きちぎられそうだ。
──セト……
彼の冷たいボディが恋しい。抱きしめて、ほしくなった。
ライデンに住む精霊たちにも会いたくなる。なんの疑いもなく、偽りもなく、皮肉もなく、サラをサラと認めてくれた彼らの存在は救いだった。
空を仰げば、巨人のユーミィが優しげな瞳で見守ってくれていて、その笑顔に自分も笑い返した。
人とは違う世界なのに、あそこでは呼吸が楽にできた。
ここでは、息苦しいばかりだ。
産まれた国であるはずなのに、居場所がない。
サラは涙を飲み干して、心のなかで育ててくれた感謝を肉親につげ、顔をあげた。
「……私は私であるために、戦うまでです」
静かに宣戦布告をすると、父親は罵倒してきた。何を言われても心が素通りした。言葉も耳に届かない。
「そう。なら、抗いなよ」
軽口を叩くような雰囲気でドルトルがいい、サラの父親の横にいた私兵に目配せする。私兵は影のように動き、黒いフードから暗器を取り出すと、父親の喉元を掻ききった。
血が飛びちった。鮮やかで、生々しく。人が生きている証の赤で、サラの頬が濡れた。ひゅっと、息を飲む。意味がわからず、サラは身じろぎもできない。
「ちち、う……」
何を言おうとしたのか。無意識に、父親に呼びかけていた。
どさりと、父親の体が床に沈む。びくびく震えて、やがて動かなくなった。
呆気なく無情に命が奪われて、サラの瞳から一筋の涙が流れていた。なぜ、泣くのかすら、よくわからない。
「なんで、泣くの?」
機械的に首を横に向ける。ドルトルは首をかたむけた。子供をしつけるような、厳しさをはらんだ慈愛の目で、こちらを見ている。
「これは、サラを傷つけた。いらないでしょ?」




